第9話 陰り


 味気なく、つまらない毎日が過ぎていく。

 目に入るもの全てが灰色だ。何もかも面白くない、心をくすぐられない。


 無味、退屈、普通……。


 新しい発見も真新しさも無い、陰鬱な日夜だけが鬱陶しく巡ってくる。

 イベント? ハプニング? ラッキースケベ? なにそれおいしいの?


「ふあぁ……眠……」


 アルバイトの疲労が溜り、ベッドでゾンビのように横たわる俺。

 ここ最近は勤務時間が増えて休む時間が少なくなったから、どっぷりと浸かるように眠りたい。


「……あ」


 寝返りを打つと、卓袱台の上に佇むが視界に飛び込んだ。


 疲弊している俺とは無縁そうに輝く水の星。

 睡魔に襲われつつ眺めていると、神様に宣告された残酷な言葉が甦ってきた。



 ――残念じゃが、それはできない。

 ――異世界に渡ることは願いに含まれていない。

 ――お主に出来ることは、トールキンを管理する事じゃ。



 異世界トールキンに行けない。

 その事実が、期待を裏切り希望を砕いた。


 神様なのに行けないとか。クソじゃん……。


 手を伸ばせば届くはずの異世界。近くなったはずの夢の世界が、遠く感じる。

 あれだけの時間、遊ぶ時間も惜しんで頑張ったのに行けないなんて鬼畜の所業でしかない。

 

「行ってみたかったなぁ……」


 一人で居る時はいつもこればっかりぼやいてしまう。もう親の顔よりぼやいた気がする。

 遠ざかる夢の異世界生活……今の俺にあるのはハードモードの人生だけだ。


 はぁ……何してんだろ。ぼやいていないでさっさと眠らないとな……。


 睡眠は俺を慰めてくれる。考える意識をぷっつりと途絶えさせてくれるからな。

 あと酒も良い。眠りが早くなる最高のスパイスだ。今の俺にとっては必須アイテムと言っても過言ではない。


『――我が主オリジンよ。我が声にお応えください』

「ん……?」


 深い眠りにつこうとした時、誰かの声が耳朶に触れた。


「……え?」


 今のは……女の声だ。女の声が聞こえた。


 おかしい。この部屋は俺しかいないはずだ。なのにさっきの声は外の喧騒でも隣室の音漏れでもなく、この部屋の何処からか聞こえてきた。


 そ、そんな……聞こえるはずがない。聞こえるはずがないんだ。ソール達は此処にいないし、俺に寄ってくる女に心当たりは無い。


 はぁっ! これはまさか心霊現象……!? ひぃっ……!


『我が主よ。私の声が届いていますか?』

「おあぁぁぁっ!?」


 またしても女の声が聞こえ、恐怖に驚くあまりベッドから転げ落ちてしまった。

 ひ、肘打ったぁ……! し、痺れる……っ!


『あぁっ、大丈夫ですか!?』 

「だ、誰だお前は!? 何処にいる!」

『あの……ここです。ここに居ますよ……』

「へ……?」


 声の出元は卓袱台からだった。


 そんな所に人が……? と恐怖を拭えないまま振り向くと……トールキンの傍に、立体映像に映されたような姿の小さい女性が立っていた。


 あいつは……見覚えがある。いや、見覚えが無い方がおかしいんだ。


「ソール……?」


 俺を呼んだ声の主は、日光の大精神ソールだった。


『久方振りでございます』

「な、なんだ……びっくりした。幽霊が出たのかと思ったぞ……」

『驚かせて申し訳ありません……』


 謎の声が心霊現象ではなく、ソールであったことに胸を撫で下ろす。

 驚いて転げ落ちてしまったせいで、重いはずの瞼も軽くなってしまった。


『トールキンから外に影像を送って連絡が取れるようにしたのですが、余計な混乱を起こしてしまったようですね』


 この技術……立体映像通信ってやつか? 無駄に凄いなあ。

 しかも立体映像は全方位に対応してて、もはやそこに生身のソールが居るように見える。映す機材も無い状態でこれとは驚いた。

 立体映像は光学の技術だから、光の大精神のソールも出来るって事か。


 しかし、ソールは何の用で現れたんだ? トールキンに何かあったのか……んん?


「あれ? なんか身体が……」


 久し振りに会ったソールの姿に違和感を覚える。

 以前と比べて頭身が少し高くなったような……。


『トールキンに移動したので、力を取り戻して在るべき姿に戻ったのです」


 あー、そういうことか。元に戻ったというわけね。

 そういえばこの前神様も言ってたな。


「へえ~、これがソールの本来の姿かー」


 小さかった頃より若干凛々しく見えるな。

 でも、心なしか……婆臭くも見える。なんでだろ?


「で? 何か用? 悪いけど、今構ってあげられる気分じゃないんだ。さっきまで寝ていたところなんだよ」

『お休み中でございましたか。これは重ね重ね申し訳ありません……。お時間はなるべく取らせませんが、大事な用件ですのでどうか耳を傾けてください』

「あーはいはい、わかったよ。それで大事な用件って何なの?」

『はい……我が主よ、こちらの世界は既に数百年もの月日が経ちました』

「ええっ、もうそんなに?」


 数百年だって? 早いなあ。

 こっちはまだ数日しか経っていないのに、トールキンはもうそんな途方もない年数が過ぎていたのか。トールキンは時間の流れが早いのか?


『その為、死を迎えた数多くの魂達が行き場に困って彷徨っています。どうか彼らの魂を濯ぎ、新しい生を授けるために我が主の手で治めて欲しいのです』

「は……? お、俺がぁ?」


 トールキンで死んだ奴らの魂を何とかして欲しいだって? 冗談だろ?


「なんでやらなきゃいけないのさ?」


 ソールの頼みに異議を覚え、不満混じりに尋ねる。

 今の俺はアルバイトで忙しいんだ。そんなのお断りだ。


『何を仰いますか。貴方はトールキンをつくった創世主なのですよ。ならば御自身が創った世界を管理し調整するのは当然の道理でありましょう』

「管理ねえ……」


 母親のように説くソールにうんざりし、苛立ちで舌打ちする。


 なんて面倒なシステムだ。あっちはあっちで上手くやってると思ったのに知らない内にそんな状況になってるなんて。

 これが神様の言っていた管理ってやつか……。


「ちなみにどれくらいいるの?」

『確認している時点では既に七億、、は越えています』

「な……ななおく……」


 予想を遥かに超えた数に、気が遠くなってくる。

 嫌気が差してきた。こんな仕事、絶対にやるもんか。


 そもそもの話、異世界を創りたいとは言ったけど、管理したいとまでは言ってない。だから俺がやる必要は無い。

 行くことが出来ない異世界を管理するなんて面倒だ。ただでさえバイトの時間が増えてキツいというのに、魂の管理をやらされるとか苦行もいいところだ。


「あのさあ……悪いけどその仕事、お前が代わりにやってくれない?」

『私がですか……? 私にそのような権限はありません。我が主がお与えになれば話は別ですが……』

「じゃあ権限与えてやるからさ。お前に任せるよ。これは決定事項な」

『な、なななんと無責任な……! それに私だけでは手が足りませんよ』

「それなら俺だってそうだよ。手が足りないなら他の大精神の手伝ってもらえば良いじゃん。あ、そうだ。アンブラに協力してもらえよ。不気味なところが死神っぽいし、引き受けるんじゃね?」

『は、はぁ……』


 魂の管理を急に任されたソールは面食らっている様子だ。


 無理もないし、俺も少し心が痛む。だけどこれは仕方の無い事なんだ。今の俺は忙しいか疲れてるか眠いかのどれかで余裕が無いからな。

 ま、ソールのことだ。しっかりとやってくれるだろう。


「解決だな。用件はこれで終わりだろ? さあ帰った帰った。俺は眠いんだから」


 面倒事を無理やり押し付けることに成功した俺は、睡眠への欲求から一方的に話を終わらそうとする。


『あぁ、待ってくださいっ。用件は一つではないのですっ。実は……』


 だが、ソールの方はこのまま終わるのは不都合だったのか、慌てて話を続ける。

 なんだなんだ? また管理仕事をやらされるなら受け付けないぞ。絶対に断ってやるからな。


『我が大精神の一人であるマーニが人間ヒトを惑わしているようなのです……』


 は? マーニが惑わしてる? だから何だと言うんだ。


「それが何? 何かマズいの?」

『知らせを聞き、確かめてみたのですが……相手はどうやら王族の者のようなのです。もしこのまま放っておけば、掟を破りかねない事態に……ですので我が主から誡めてください』


 何だよ、今度は注意しろって事か。めんどくさいなあ。


「お前らは何してたんだよ。指咥えてぼけーっと見てたのか?」

『そ、その……私が赴いたのですが、マーニは忠告を一切聞かず去ろうとしません。人間ヒトの前で力を行使するにはいきませんので手をこまねいているのです』

「でもまだ破っているわけじゃないんだろ? 自分の役目をきっちり果たしてはいるんだろ? なら大丈夫じゃない?」

『そんな……! マーニのせいで人間ヒトの国がきな臭い状況になっているのです。どうかお導きを……』


 きな臭いだって? まさか戦争でも起きると言うのか?

 そんなアホな話があるか。


「マーニは大精神だぞ? 自分の立場と役目くらい弁えているはずだ。そのうち何とかなるって」

『しかし……私は以前マーニに危――』

「あーもー、しつこいなあ。俺の言うこと信じられないのかよ?」

『そ、それは……く……っ』


 一抹の不安が吹っ切れないソールだったが、創世主である俺の判断を疑ってしまった事を申し訳なく感じたのか萎縮し始めてしまった。


『し、失礼しました。このソール、我が主とトールキンのために最善を尽くします……』


 申し訳なさそうな様子のソールはそれだけ言うと、霧散して消えていった。


「やっと終わった……」

 

 ようやく終わり、エネルギーを余計に消費してしまった俺はベッドに背中を預け、遠い目で天井を見る。


 ソールの奴め、心配にもほどがある。

 トールキンでそう簡単に戦争が起きるはずがない。起こってたまるか。

 確証も無いのに、憶測で言いやがって……。

 

 でも……もし本当にそうなったら、人がたくさん死ぬってことだよな……。

 俺が止めてやらないと、トールキンで大勢の人が死ぬかもしれない事態になるのか?


「いやいやいやいや、何考えてんだ俺」


 そんな事は絶対にあり得ない。ましてやあのマーニがどうして人死にや殺し合いを求めようか?

 アイツが戦争を誘発するはずがない。創世主オリジンとして信じよう。

 

 それよりも貴重な睡眠時間が減ったんだ。さっさと寝よう。


「はぁー、やっと眠れる……」


 温泉に身を浸した時のような幸福感を覚え、今度こそ就寝についた。

 今日は良い夢が見れると良いな。

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