第3話 異世界トールキン


 我輩、皆本みなもと進児しんじはフリーターである。


 夢はなく、特にやりたいことは見つかっていない。

 食べていく為にアルバイトをし、未来設計の無い惰性的な生活を続けている。


 だから元クラスメイトの「結婚しました」報告に心を抉られているのである。

 結婚って……早いなぁ。俺なんか高校を卒業してからずっとコンビニのアルバイトしかしてないんだぞ。


 かたや新婚。かたやコンビニのアルバイト。

 一人暮らし、貯金ほぼ無し、彼女いない歴二十年目更新……。

 

 ハガキを握る手が、惨めなくらいに震えている。

 べ、別にっ、う、羨ましくなんかないんだからね……っ。



 そんな悲しい出来事を経験したその日、事件は起きた。



「うぅ……」


 結婚報告に色々ネガティブな気分になってしまった俺は、初めてだった酒を鯨飲してしまった。


 頭が痛い。これが二日酔いか。

 酒には強くなかったのか、途中から記憶が全く無い。


 あの後、俺は一体何をしでかしたのか。

 鈍痛の残る頭を抱え身体を起こすと、一つの異変を見つけた。


 それは卓袱台の上にあった。


 白くて黒くて、灰色の……何か。

 まるで闇鍋を一年間煮込んでパン生地と混ぜ合わせて練り込んで、叩き付けてそのまま放置したと言わんばかりにエグい見た目だ。


 これが一体何なのか非常に判断し難い。

 だけどその傍には、ドネルらしき残骸が散っている……。


「まさか……?」


 一片の手がかりから何となく状況が推察できた。


 これはドネルでつくられたもの。

 昨夜、酒に酔って部屋に置いてあったドネルを使ったらしい。


 しかし肝心な事にその時の記憶がはっきり思い出せない。いくら思い出そうとしても手繰り寄せることはない。



 ……ただし一つ、わかることがある。

 あの時、神様はこんな事を言っていた。




『――次にワシが来るまで決して何も創るではないぞ』




 空気がさあっと冷たくなったような気がした。

 あれれー? これってひっじょおぉぉぉにヤバいんじゃないだろうか?


「というか、もう来る時間じゃんっ!」


 時刻を見れば神様が来る一分前を差していた。


 マズいっ! これは非常にマズいぞおぉぉぉ。

 これが見つかったら罰を受けることになる! 神様の罰ってとてもヤバそうな気がする! 早く何とかしないと!


「――進児よ。また来たぞい。この前の続きをやるぞ……い……?」


 集まりゆく光の粒子。やがて一つとなった光点は、一瞬にして見覚えのある人型を形成した。

 その神物、、は言わずもがな神様だ。


「「………………」」


 無言の沈黙。

 さっきまで慌ててたせいで、今の俺は変なポーズを取っていることだろう。

 妙な異変を感じ、くぼんだ眼窩がんかから凝視が飛ぶ。

 

 考えを読まれたらマズいので何も考えないようにする。無心無心っと……。


「お主、どうかしたかの?」

「い、いやー……二十はたちになったんで初めて酒を飲んだけど、飲み過ぎちゃって気分が悪いんだ」

「ほほー、必要以上に飲んだのか。それは感心せぬのう。無理して飲むことはない。今後、お酒は嗜む程度にするがよい」

「はい……」


 上手くやり過ごせた。せ、セーフぅ……。


「何がセーフなんじゃ?」

「いっ、いや、が来ちゃって……」

「なんじゃ、吐き気を催したのか。本当に大丈夫かのう?」

「あ、あははは……」

「それにこの部屋の散らかり様は何じゃい。少しは掃除せんか」


 アレ、、の事を悟られまいと、苦笑いを演じる。

 危ない危ない。バレてない、よな……?


「酒気が抜け切れていないところ悪いが、続きを始めるとしよう。お主の創った世界は……む?」


 新しい創造を行う為、神様は先週創ったばかりの『異世界』を探し始める……が、『異世界』を見てまた訝しんだ。


「少し……濁っていないかのう?」


 どきり、と胸が鳴り、緊張の稲妻が走る。

 神様の視線の先、卓袱台の上に浮いていた『異世界』はさっきまでと色が違っていた。


 何も混じり気のない湖のような色はまるで泥をかき混ぜたそれに変色し、表面を走る光の波も、少し黒ずんでいるようにも見える。


「そ、そうか? 俺にはよくわからないや。はは、はは……」


 脂汗を滲ませながら、白々しく言葉を濁す。

 なぜ『異世界』が変色しているのか、心当たりが大いにあるからだ。


 それは、さっきのドネルで創ったらしい不定形のアレを『異世界』に突っ込んだからだ。


 この方法しか思い付かなかった。

 隠せるところは他にもあったはずなのに、木を隠すなら森の中という理屈で行動していた。


『異世界』に押し付けた不定形のそれは、不思議なことに水に沈むようにめり込んでいって、球体の中へと溶けるように消えていったのだ。

 それ以来二度と姿を出すことはない。


 だ、大丈夫だよな……? アレが何であれ、特に何も起きていないようだし。


「……ふむ。気のせいかのう」


 長眉に隠れた双眸を光らせていた神様が何事もないのを認める。

 その陰で俺は静かに安堵の息をついた。


 よ、よかった。今度こそやり過ごせた……。


「そういえば、まだこれに名前をつけておらんかったの」

「な、名前?」

「そうじゃ。お主が創った『異世界』の名前に付けるんじゃよ。つい忘れておったわい」

「これに名前を付けるのかよ? 何の意味があるんだ?」


 不意を突いた提案に疑問が生まれ、理由を尋ねる。

 神様は腰を落とし、淡く光るほしを見つめて口を開いた。


「名前とはすなわち『祝福』じゃ。万物は何であれ、名を持つものには全てそれが等しく与えられている。お前さんの『進児しんじ』という名にものう」


 だからこの世界にもそれ祝福を与える必要がある、と神様は言った。


 この世界の名前、か……。


「付けろと言われても急には思い付かんなあ……」


 腰を置いて、うんうんと唸りながらこの淡く輝く光球に付ける名前を熟考する。

 悩む俺に、神様は「まあそう難しく考えんでもいい。お主の好きなように付けるがよい」とアドバイスしてくれた。


「うーん……」


 俺が創った『異世界』の名前……。

 この世界に与える、俺からの祝福……。




「――『トールキン』にしよう」



 脳裏をよぎった、この世界にふさわしい名前しゅくふく。 

 

「この世界の名前は、『トールキン』だ」

「トールキン……お主らしい良い名前じゃの」

「へへっ、人の名前から取って付けてみたんだ」

「それも良かろう。ただいまをもってお主の祝福はここに成した」


 聞き届けた神様が、公式に決定したと言わんばかりに両手を上げる。

 名を与えられた事に反応しているのかわからないが、トールキンが少し強く輝いたような気がした。


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