2 からっぽ
パッヘルは一人、寝室のベッドに腰かけていた。館には今、彼女の他には厨房にいるシープルだけという状況である。
ある時間を境に、グラントとニョルルンの態度が急変したのだ。二人とも慌てふためいた様子で「安全な場所にいろ」と森へ飛び出していってしまった。
それからしばらく、森の中が妙に騒がしい。どこかで爆発音が鳴ったり、薄っすらと怒号のようなものも聞こえる。
討伐隊は夜を待って奇襲を仕掛けてくるという見通しだったのだが、もしかしてすでに始まっているのだろうか。
有り得るのかもしれない。グラントたちの態度は普通ではなかった。
アザミは無事だろうか。
彼女を探しに行ったガナールは? もちろん、グラントとニョルルンも。みんな、ちゃんと戻ってきてくれるのだろうか。
今すぐ彼らを追いかけたい気持ちはあったが、しかし行ったところでどうにもならない。むしろ、お荷物になってしまうだけだろう。だからこうして無為に時間を浪費することしかできない。
はあと一度深い溜め息をつく。
討伐隊に狙われているのは自分だということは分かっているが、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。
ひょっとしたら、死をあまり恐れていないのかもしれない。
そもそも、からっぽなまま突然放り出された世界だ。あるのは魔女という地位と、部下たちとの絆だけ。そしてそれらも全て、記憶を失う前のパッヘルが築き上げたもの。
自分自身は何も失うものがない。
『あなたはパッヘルさまではありません』
今更になって、アザミの言葉が胸に突き刺さる。
パッヘルは折り畳んだ膝の中に顔を埋めた。
――それじゃあ、私はいったいなんだってのよ。
しばらくして、トントンと扉がノックされる。
「シープル?」
「はい」
扉が開き、予想通りシープルが姿を見せる。相変わらず直立不動の無表情だ。
パッヘルはベッドから立ち上がり、彼に詰め寄った。
「どうしたの? みんなは?」
珍しく質問には答えず、シープルは言った。
「パッヘルさま、今すぐお逃げください」
「え!?」
「森の魔物から報告がありました。すでに戦闘が開始されています。予想以上に敵が手強く、間もなくこの館にも到達するだろうとのことです」
「……そう」
やはり戦闘は始まっていた。そして、やはり自分にはどうしようもない。
「分かったわ。あなたも急いで」
「私は館の守備につきます。パッヘルさま一人でお逃げください」
パッヘルは驚いてシープルを見つめた。
「そんな……あなたを置いていけるわけないでしょう!?」
「私のことなら心配はいりません」
顔色一つ変えずにシープルは言った。
「森の外は包囲されています。なるべく森の中心部を目指してください。魔物たちに手を借りるのもいいでしょう。とにかく、どこか目立たない場所に隠れていてください」
「だから、あなたも一緒に! 主人の命令よ!」
「二人では目立ちますので」
シープルは静かに頭を下げる。
「それに、館を守るのが私の使命です。館には一歩も足を踏み入れさせません」
パッヘルは力なく項垂れた。命令だと言っても従わないのであれば、彼を説得することはおそらくもう不可能なのであろう。
ふと壁にかかった絵画に目を向ける。
自分が契約を交わしたという悪魔――アスモス。
――神さまにお祈りするのは、魔女として間違っているのだろうから。
あんた、私の夫だっていうなら、今すぐ私を――みんなを守ってみせてよ。
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