第三章 戸惑い

1 一大事

 グラントとの長旅で、想像以上に心身が疲弊していたらしい。

 久々に運動という運動をしたのだから無理もないだろう。いや、久々というのは厳密には間違いで……以下略。

 そんなわけで翌朝はかなり遅い時間に目覚めてしまった。台座の間で出迎えてくれたのはシープルのみで、他の部下たちはもう思い思いに活動を始めているらしかった。


「何か私、することある?」

「いえ、特には……」

「まあ、そうだろうね」


 シープルとそんなやりとりをしながら、パッヘルはちょこんと台座に座った。

 彼女の出で立ちは、いつもの魔女っ子一式に戻っていた。希望としてはずっとグラントの古着を身に着けていたかったのだが、『それじゃあパッヘルさまらしくない』とニョルルンに大反対されたのである。


 まあ、この格好にもそこそこ愛着は湧いてきたけどね。


 パッヘルは台座の肘掛けに頬杖をついて、しばらくぼうっと座っていた。その脇にシープルが微動だにせず控えている。パッヘルが朝食のために食堂に向かうのを待っているのかもしれない。

 短い付き合いではあるが、この半獣執事の性格もだいぶ分かってきた。

 彼は基本的に、自発的な発言を行わない。質問をすればきちんと答えてくれるが、それがなければひたすら黙ったままである。


 それならば――


「何か変わったことあった?」 


 と一応尋ねておくのが大事だということだ。


「アザミさまが今朝から行方不明です」

「ええ!?」


 パッヘルは驚いて立ち上がった。


「行方不明って!? それじゃあ、他のみんなは?」

「アザミさまの捜索のために、森へ出ていきました」

「わ、私も!」

「パッヘルさま、朝食は?」


 慌てて扉へ向かうパッヘルの背中に、シープルが呼びかける。


「そんなの後でいいよ!」


 アザミの顔を思い浮かべる。いったい彼女の身に何が起きたというのか。

 みんなに黙って出ていくような性格ではないだろうし、ましてや家出なんてするわけ……

 その時だった。


「パッヘルさま、一大事です!」

「ぐへっ!」


 勢いよく開かれた扉に顔面をぶつけ、パッヘルはぐったりと倒れ込んでしまった。


「パッヘルさま! 大丈夫ですか!? しっかりしてください」

「ア、アザミ……?」


 自身に駆け寄る者の姿をなんとかとらえる。ちんちくりんな体躯に、着流しと耳と刀。それは確かに行方不明だったはずのアザミたった。


「申し訳ございません。あまりの事態に拙者、慌ててしまって……」

「い、いいよ……」


 痛めた鼻をさすりながら、パッヘルはやっとのことで立ち上がった。


「それよりあんた、どこ行ってたの? 今朝から行方不明だって」

「あ、いえ、はい……それについても申し訳ございません」


 アザミが項垂れると同時に、彼女の耳もしゅんと垂れた。


「実はずっと屋根におりました」

「屋根?」

「屋根裏部屋に窓がありまして、その窓の外――屋根の上に小さな手紙受けがあるんです」

「手紙受け? なんだってそんなところにあるのよ……」

「こんな森の中まで配達してくれる人はいませんから、手紙は伝書鳩が運んできてくれるんです。一般の方でも簡単に手紙を出すことはできますので、毎日一定数の手紙が届きます。パッヘルさまを賞賛したり逆に批判したり、内容はさまざまです」

「ふーん……そういった外界との繋がりも一応あるんだね」


 なんとなく感心してしまう。


「で、その手紙を確認しようと屋根に出たはいいものの」


 しわがれた声が響く。


「足を滑らせて屋根から落ち、燭台に着物が引っかかって降りられなくなっているところを、わしらが発見したわけじゃな」


 パッヘルは扉のほうに目を向けた。どうやらグラントが戻ってきたらしい。その背後にはガナールとニョルルンの姿もあった。

 ニョルルンがはあと溜息をついた。


「必死に森を探して損したニョロん」

「さっさと大声で助けを呼べばいいでごわす」

「だって、恥ずかしかったんですもん」


 更にしょぼんとアザミは肩を落とした。


「まあ、確かにあられもない姿だったのう」

「グ、グラントさま! それ以上はいけません!」


 いったいどんな姿で発見されたのか、気になるところではあるが……


「で? 一大事って何よ」


 アザミははっとしたように口を開けた。


「そ、そうでございました!」


 そして彼女は懐から一つの封筒を取り出し、それをパッヘルに差し出したのだった。


「こんな手紙が届いていたのです。まずは内容をご確認ください」

「なんだってのよ……」


 緊張した面持ちで、封筒から便箋を取り出す。同時にパッヘルは台座へと歩き、折り畳まれた便箋を広げる頃合いで台座に腰を下ろした。


「なになに? 親愛なる幻夢の魔女パッヘルさま……」


 その時突然、脇にいたシープルが便箋にかぶりついた。


「あ、え……?」


 むしゃむしゃと便箋を噛み潰す山羊執事の姿を呆然と眺める。


「わー、パッヘルさま、何やってるんですか! シープルさまの前で手紙なんか広げたら食べられちゃうに決まってるじゃないですか!」

「まったく、パッヘルさまにも困ったものでごわす」、


 部下たちの非難を浴びながら、パッヘルは思った。


 わ、私のせいなのか……?




 親愛なる幻夢の魔女パッヘルさまへ


 世界情勢がますます不安定になる昨今、如何お過ごしでしょうか。

 さて、今回筆をとったのは他でもありません。パッヘルさまにいち早くお伝えしなければならない事案が発生したためです。

 王都にて兵舎の清掃をしていたところ、大臣から親衛隊隊長のミハエルへ宛てたと思われる書状を盗み見てしまいました。

 内容は次の通りです。


『幻夢の森一掃作戦の許可が、正式に下った。ブラキリス魔法兵団の到着次第、王都を発つべし』


 ところで最近妻の態度がめっぽう冷たくなり、話しかけてもろくに言葉を返してくれません。もしかしたら他に男が出来たのではないでしょうか。

 今度、仕事を休んで妻のあとを尾行してみようと考えております次第です。




「うろ覚えではありますが、手紙の内容はおおよそこのような感じでございました。手紙の差出人は王都に住まう清掃夫の男性です。熱心な悪魔崇拝者で、以前よりよくファンレターを送ってきてくれます」

「最後の一文がどうだっていいってことは読み取れるとして……」


 パッヘルは腕を組み、眉をひそめた。


「つまりは、どういうことなのよ。幻夢の森一掃作戦って? ブラキリス魔法兵団って?」 

「ブラキリスとは我が国――ジブナールと交戦中の隣国じゃ」


 グラントが代わりに答える。


「ブラキリスが有する魔法兵団は世界最強として名が知れ渡っておる。おそらくは魔女討伐のために一時休戦し、ジブナールの憲兵どもと手を組んだのじゃろう」

「魔女……討伐!?」

「国が攻めてくるのはこれが初めてではない。そりゃもう、お主がこの森に住み着いてから三百年超。幾度となく討伐隊が繰り出され、その度にお主が絶大な魔力をもって追い返してきたんじゃ」

「彼らが手ごねいているのは、森の魔物たちの存在も大きいという話ですが……」


 アザミの言葉に、グラントは深く頷いた。


「下手に手を出すと、森に住む魔物たちが一斉に近隣へ解き放たれてしまうじゃろうからな。しかし、一掃作戦ということは……そんな魔物たちすら殲滅できるほどの戦力を得たというわけじゃろうか」

「な、なんということでしょう……」


 溜息をつきながら、アザミは肩を落とした。


「これもすべて拙者たちのせいかもしれません。妖精たちにパッヘルさまのことを知られてしまうという大失態を犯してしまったばかりに……」

「それは今回のこととは無関係じゃ。ブラキリスとの協力体制はものの半日では得られまい。そして昨日の段階で、国が動き出しておるのをわしらが実際に見ておる」


 グラントの目配せに、パッヘルは思わず頷く。

 そうか。町へ出かけた際の兵士たちの不穏な動きは、すべてこれに繋がっていたというわけか。


 いや、そんなことよりも――


「ど、どうすんのよ……」


 パッヘルは力なく言った。その声には不安と狼狽が色濃く含まれていた。


「国が攻めてくるって言ったって……私、魔法なんか使えないよ? 世界最強の魔法兵団なんて相手に出来るわけないじゃん……」


 その言葉を聞いた部下たちは、しばらくは何も答えなかった。各々が難しい表情をして、何やら考え込んでいる様子だ。

 最初に口を開いたのは、意外にもガナールだった。


「おいどんがパッヘルさまを――いや、この森を命に代えても守るでごわす」

「せ、拙者だって」


 アザミもそれに呼応する。


「剣の腕はまだまだ未熟ですが、誇り高きパッヘルさまの右腕です! 最後まで戦ってみせますよ!」


 彼らの言葉は頼もしかったが、パッヘルの胸の中の不安はまるで拭えなかった。

 記憶を失ってからまだ五日目。まさか、このような事態が待ち受けているとは。

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