4 アルマの町
森の出口は唐突に姿を現した。
なにせ濃い霧のせいでまともに前方が目視できない状態が続いていたのだ。グラントの「出口じゃ」という言葉の意味を理解するのにも数秒を要したほどである。
そのぐらい唐突に、空が開けた。
「ま、眩しい……」
パッヘルは太陽に手をかざしながら言った。
「世界ってこんなに明るかったっけ? これじゃあ明るすぎて逆に何も見えないよ」
「ふむ、魔女らしい立派なご意見じゃな」
皮肉ったらしくそう返し、グラントは道端の大岩に腰かけた。
「さて、ここからもうしばらく歩くぞい。ちょっとばかし休憩していこうかの」
当然といえば当然だが、森を抜けてすぐに目的の町に到着というわけにはいかなかった。ここから先は平原となっており、その先にはまだ町の影すら見えていない。
グラントの提案に異論はなく、パッヘルは彼の隣に腰を下ろした。
「本当に大丈夫なの?」
「なにがじゃ?」
「私は魔女なんでしょ? 人に見つかるわけにはいかないんでしょ?」
「自分から付いていくと言い出したんじゃろうが」
「だって、事情もよく分かってなかったし」
「心配するな。あの衣装があってのお主じゃ。その格好なら気づかれる心配はないじゃろ」
「魔物たちには思いっきりバレてたけど」
「あやつらは本質を見抜くのが得意なんじゃよ」
反論の言葉も見つからず、パッヘルはふて腐れたようにそっぽを向いた。すると一瞬、その方向に影がちらついた。
「ん?」
目を凝らしてよく見てみると、それは馬にまたがった人のようだった。軽快に身を弾ませながら、こちらへと近づいてくる。
慌てて身を隠そうとするパッヘルを、グラントが手で制した。
瞬く間に馬は二人の傍へと走り寄ってきた。そして、ヒヒィーンといういななきと共に前足を高く上げ、その場で停止する。
上に乗る男はどうやら兵士のようだった。鉄製の兜と鎧に身を包み、赤いマントを羽織っていた。
「ここで何をしているんですか?」
「アルマの町を目指しておったんじゃが、どうやら道を誤ってしまったようでのう。いつの間にか、こんなところまできとったわい」
グラントの言葉を聞いて、兵士はぎょっとした表情を浮かべた。
「まさか、この森に入ったんじゃないでしょうね」
「ああ、ちょっとだけな。でも、すぐに引き返したんじゃ。なあ?」
突然振られてパッヘルはうろたえたが、すぐに引きつった笑みを浮かべた。
「え、ええ。こんな不気味な森に迷い込んだら大変ですもの」
「うちの孫娘じゃ。なかなかいい女じゃろ」
「は、はあ……」
兵士は困惑した様子で、二人の顔を交互に見比べる。
「とにかく、もう二度とこの森には近寄らないでください。ここは幻夢の魔女パッヘルの住処だとされている森です。常人が立ち入っていい場所ではない」
「なんと! あの、幻夢の魔女の……」
「まあ、なんておそろしい! 私怖いわ、お爺さま」
二人はそれぞれわざとらしく声を上げた。
兵士は些か訝しそうにしていたが、それ以上は何も言わなかった。簡潔に町の方向だけ示してから、また軽快に馬を走らせてその場を去っていったのだった。
「意外といいノリしてるわね。なかなかいい女ですって?」
からかうような口調でパッヘルは言った。
「お主もな。じゃが、その大根芝居はもう少しなんとかならんかのう」
「うっさいわね!」
再びそっぽを向く。
「それにしてもあやつ……」
グラントは兵士が去っていった方向を目で追った。
「森の外周を回っておったようじゃが……まさか偵察じゃなかろうな」
「偵察?」
「いや、こっちの話じゃ」
そう言ってから、杖を大地に突き刺してゆっくりと立ち上がる。
「休憩は終いじゃ。アルマの町まであと少しじゃぞ」
「なんだってのよ……」
口を尖らせながらも、パッヘルは彼に倣うのだった。
それからも平原を三十分ほど歩いた。
しばらくすると一人、また一人と人とすれ違うようになった。彼らの行き先を眺めてみても、やはり幻夢の森の方角へ向かう者はいない。
人とすれ違うたびにパッヘルはまたグラントの陰に身を隠そうとし、グラントにそれをたしなめられた。
「ねえ、本当に大丈夫? 衣装は違ってても顔は覚えられてるんでしょ?」
「お主の顔をはっきりと覚えとるもんはごく僅かじゃろ。それに……」
「それに……?」
「もうこの辺りまでくれば、バレたって問題なかろう」
「は?」
緩く丘になった道を越えて、ようやくアルマの町の遠景が視界に入った。
町の四方は塀に囲まれているようだった。二人が歩く道は蛇行しながらも正面にある入り口へと伸びている。町に近づくにつれ道の整備が行き届いていき、小さな橋を渡った頃には完全に石畳となっていた。
入り口には石造りのアーチがあり、開け放たれた門の両脇に二人の兵士が佇んでいた。
「ふむ……?」
グラントが眉をひそめる。
「どうしたの?」
「いや……」
グラントは口をつぐんでしまったが、先ほどのこともあってか、なんとなく彼の言わんとすることが分かるような気がした。
ひょっとしたら、普段は入り口に兵士など立ってはいないのではなかろうか。
入り口が封鎖されているわけではなく、次から次へと人は行き交っている。そんな人々に紛れるように、パッヘルたちもすんなりと町に入ることができた。
入り口を抜けた先には大きな広場があり、そこには多数の商店が立ち並んでいる。所狭しと人が行き交っており、パッヘルは何度も肩をぶつけてしまった。
もはや身を隠そうとする余裕すらもない。心持ちハンチング帽のつばを下げる。
「へいらっしゃい! 新鮮な魚はどうだい?」
「自家製のミルク買ってってよ! 安くしておくよー」
威勢のいい商売文句を聞きながら、パッヘルは辺りを忙しなく見渡していた。
「ここがアルマの町……随分と活気のある町だね」
「そう見せるために、入り口付近を商店街としておるわけじゃな。町の大部分は住宅街で、それはもう静かなもんじゃよ」
「ふーん。でもなんか不思議な感じ。ずっと森の中にいて外界と隔離されてたから」
「人混みが懐かしいか? 懐かしいという感覚とは違うかもしれんが……」
「いやなんていうか、世界はちゃんと回ってるんだなぁって」
「なんじゃそりゃ」
グラントはまず目についたらしい一つの店の前で立ち止まった。どうやら食料品全般を扱っている店のようで、そこで卵やら小麦粉やらを大量に注文する。
「そういえば、大丈夫なの?」
「なにがじゃ?」
「荷物よ。あそこで荷車を借りられるみたいだから、私が行ってこようか?」
広場のはずれを指差す。しかし、グラントはふんと鼻で笑いかぶりを振った。
「そんなもんは必要ない。まあ、見とれ」
彼は差し出された商品に両腕をかざしてみせた。すると、次第に商品たちが薄っすらと透けていき最後には何もなくなってしまったのだった。
「え!? なにそれ!」
「見れば分かるじゃろ。魔法じゃよ。館に直接転送しておいた」
言いながら店主に代金を払う。店主も何食わぬ顔でそれを受け取っていた。
周囲を眺めてみると、同じように魔法で商品を転送している風景が所々で見受けられた。
「魔法って普通の人がこんな簡単に使えちゃうもんなの……?」
「魔法それぞれに向き不向きはあるがの。人間でも魔物でも、素質があれば訓練次第で使えるようになる。まあ、あいつらは不器用じゃからな……」
あいつらというのはアザミやグラントのことらしい。
「じゃあ、初めからあなたが買い出しにいけばいいじゃない」
「それもまた難儀な話よ。買い出しは主にグラントの仕事じゃが、奴から力仕事を奪うのは忍びない」
「なんか、自分がサボりたいだけに聞こえるけど」
「わしも年なんじゃじゃから、勘弁せい」
そう言われてしまうと返す言葉もない。そういう自分だって館で楽をしているのだし。
その後も同じように色々な店で商品を注文、転送するグラントに付いて回る。パッヘルの仕事は特になく、これなら館に残っていてもよかったんじゃないかと思えてくる。
「ん?」
ある店の順番待ちの列に並んでいた時のこと、ふと人の視線を感じ、そちらに目を向けた。するとやはり、食料品の詰まった麻袋を手に持つ中年女性と目が合ってしまった。
慌てて視線を逸らす。
ま、まずい……
ついにバレてしまったか?
パッヘルはこのことを伝えようとグラントの背中に呼びかけるが、彼が反応するよりも早く例の中年女性が声をかけてきた。
「あのう……」
「は、はいぃ?」
思わず上ずった声を上げてしまう。
「ひょっとして、パッヘルさまですか?」
「へ?」
パッヘルは目を丸める。
やはり、バレてしまったようではあるが……
パッヘル――さま?
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