2 魔女は風邪を引く?

「おお! おおー! 意外と可愛いじゃん!」


 玄関ホールにある鏡の前で、パッヘルは様々なポーズを決めながら感嘆の声を上げた。

 彼女はすでにグラントから差し出された服に着替えていた。

 服は良い意味で地味なデザインだった。

 上は飾り気のない白いシャツに麻色のベスト、下は膝上ほどの丈の若草色の半ズボンだった。加えて、羽のついたハンチング帽と丸眼鏡を装着している。


「気に入ってもらえてよかったわい」

「これ、どうしたの? ちょっとサイズが大きめだけど……」

「大昔、お主が作った服じゃ」

「私が?」


 パッヘルはもう一度、鏡に全身を映し出した。


「へー、ちょっと意外。こんな趣味のいい服を作るなんて」

「パッヘルさまに服作りの趣味があったというのも初耳です」


 アザミが不思議そうに言った。彼女の背後にはガナールとその腕に巻きついたニョルルンの姿もある。


「ボクも初めて聞いたニョロん」

「おいどんもでごわす」

「まあ、長いこと生きていれば趣味も変わってくるもんじゃ」


 それを聞いてパッヘルは思った。どうしてそのままの趣味でいてくれなかったのかと。

 かくして外出用の服を手に入れたパッヘルは、グラントと共に玄関先に立った。


「くれぐれも気をつけてくださいね」


 パッヘルとグラントの顔を交互に見ながら、アザミは心配そうに言った。


「今から出れば夕刻までには戻れるはずです。もし戻らなかった場合は館の者総出で捜索に当たります」

「もう、本当に心配症なんだから」


 パッヘルは苦笑した。


「そっちこそ留守を頼んだぞい。ガナールにニョルルンもな」

「任せてほしいでごわす!」


 威勢のいい返事を背中に聞きながら、グラントの先導で館を出た。


 窓からの景色だけでは気づかなかったが、館はぐるりと塀に取り囲まれているらしかった。塀の中は館の庭ということになるのだろうが、そこにも無数の木々が立ち並んでいるのですでに森の一部ともいえた。

 玄関のほぼ正面には小さな両開きの門があり、そこを出る直前にパッヘルは背後を眺めてみた。


「うっ……」


 初めて観た館の外観は、予想以上におどろおどろしかった。壁という壁には蔦が絡まり、雑草も伸び放題。建物自体の古さや周囲の森の不気味さも相まって、それは廃墟と呼ぶに相応しい姿だった。

 おまけに、館の外にも例によってどくろの燭台が取りつけられていた。赤い蝋が目の部分から溶け出しており、まるで骸骨が赤い涙を流しているようだ。


「さあ、さっさと行くぞい」

「わ、分かった」


 気を取り直して、パッヘルは門を出た。




「ちょっと! 今なんか声が聞こえなかった? あっ! そっちでもなんか動いた! ねえってば……」

「まったく、騒がしいのう」


 一人であたふたとしているパッヘルに目もくれず、グラントはどんどん先へと進んでいく。


「森に魔物がおるのはお主も聞いておるじゃろ? 今更何を怯えておるんじゃ」

「ほ、本当に襲ってこないのよね?」

「幻夢の魔女に喧嘩を売ろうなんて、そんな命知らずな奴はおらんよ」

「でも、今は魔法なんか使えないよ?」

「それを悟られんことじゃ。堂々としておればいい」


 パッヘルはわざとらしく胸を張ってみせた。しかし、その視線は激しく泳ぎまくっている。


「それにしても、なんちゅう不気味な森なのよ。霧だらけだし、しかもこの霧なんか黒いし……明らかに危ないオーラが漂ってるよ」

「無害そうに見えるよりマシじゃろ。実際危険なんじゃから」


 そんなことを言いながら、相変わらずグラントはマイペースに歩き続ける。


「よお、魔女さんよ。久しぶりだな」


 突然背後から話しかけられ、パッヘルはびくっと肩を震わせた。

 おそるおそる振り向くと、そこには顔だけがあった。中年ぐらいに見える男の首から上だけがふわふわと宙に浮かんでいたのだ。

 思わず卒倒しそうになるパッヘルを、グラントがすかさず支える。


「心配するな。見た目は不気味じゃが、世間話が好きなだけの魔物じゃ」

「そ、そう……」

「どうした魔女さん? 最近めっきり姿を見ないから、くたばっちまったのかと心配してたんだぜ」

「ああ、その、風邪を引いてたの」

「風邪? 魔女が風邪なんて引くのかよ」


 パッヘルはグラントに目配せする。魔女は風邪を引くのかと尋ねる意味でだ。


「さあな」


 グラントはそっけなく言った。


「今日は町に行くのかい? 随分と地味な身なりじゃねえか」

「う、うん。たまにはね……」

「先を急ぐんでな。雑談はあとにしとくれ」


 グラントがそう話を割ると、生首はあっさりと引き下がってくれた。


「そうかい。そいつは悪かったな。気をつけなよ」

「ああ、またな」


 生首に別れを告げ、二人はまた歩き始めた。


「なんか、気のいいやつだったわね」

「この森に住む魔物はそんなやつらばかりじゃよ」


 パッヘルは心なしか気が楽になった。魔物たちが襲ってこないのは本当らしいということを、身を持って知ることができたからだろう。

 ただ、少々複雑な気分でもある。


「やっぱり、私って本当に魔女なんだね」

「ふん。なんじゃ今更」

「そりゃ今更だってのは分かってるけどさ。なかなか実感湧かないもんだよ? 見た目だってほら、三百年以上も生きてるように見える? こんなにピッチピチの肌なんだよ? やっぱり、心のどこかで未だに信じきれていない自分がいたっていうかさ」

「信じるも信じまいも、お主は魔女じゃよ」

「うん。だから、今のでちょっと実感が湧いたっていうか……」

「ふん」


 グラントはまた鼻で笑った。顔を進行方向に向けたまま、横目でパッヘルを見やる。


「昔と同じことを言っておるわ」

「へ? 今なんて?」

「こっちの話じゃ」


 訝しげに眉をひそめるパッヘルを軽くあしらってから、グラントは杖で前方を指し示した。


「道が広がってきたぞい。出口まであと一息じゃ」

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