第三章 運動会のナンバー

3―1 第三章 運動会のナンバー

『運動会』


 この人生において早ければ未就園児のころに始まり、下手をすれば高等教育機関でも終わらず、町内会まで引っ張られ、仮にそれから逃れられたとしても、子どもを持てば父兄参加種目なるもので、孫を持てば参観やらで、おおよそこの国に在住する限り、生涯で関わらずに過ごすことは避けらないであろうこの年中行事ほど、かくも画一的で面倒なものがこの世の中に他にあるだろうか。


 せめてもの救いは企業において、そのような催しをするところが、労災認定なる浄化魔法ディスペルワードにより、ほとんど絶滅したことであるが、過去には当たり前のように存在したというのだから全く恐ろしい。その時代に生まれてこなくてほんとに良かった。


 海外にはスポーツをして楽しむ日はあっても、日本の運動会に類するようなイベントはないという。つまり本気で逃げるなら亡命するしかないということだ。そもそも、その起源は海軍兵学校から由来するのだというが(諸説あります)、この平和な日本において、なぜそのような物騒なものが、戦争を知らない僕たちの教育カリキュラムにいまだに根強く残っているのだろうか?


 入場行進や団体演目などは、しめつけが厳しいアカデミーになると、ニュースに流れる某国のパレードやマスゲームの映像を彷彿とさせ、身震いすら憶えてしまう。それを1フレームも逃さまいとビデオカメラ、望遠つきミラーレスカメラ、さてはスマホにまでおさめようと、狂ったように場所取りに目を血走らせている父兄たちも正気の沙汰とは思えない。


 運動音痴の生徒にとっては苦痛以外の何ものでもない、これを楽しみにしている奴など天賦の才に恵まれた、ごく一部のスポーツ得意な生徒に限られる、そんな恐ろしい日。その運動会の出場種目と黒板に書かれた文字が、この俺の通う、海浜南高等学校にも、ご多分にもれずやっぱり存在しているのだと、悲しい現実を俺に突きつけていた。


 かくなる上は、古今東西より伝わる、ありとあらゆる雨乞いの方法でも検索してみようかと、そんな現実逃避的なことを考えながら、俺はホームルームの成り行きを見守っていた。


 とはいえ、高校生にもなれば、開催日は平日。別に親が応援にきて失望させるようなこともないし、炎天下のグランドで整列や踊りを何度も練習させられたり、大縄跳びで足を引っかける悪夢に苛まれるようなこともない。ただ、それらがトラウマになって忌避感を抱かせられているだけだ。


「というわけで、男女ペアの二人三脚なんだけどー」


 1年A組のクラス委員長である林原逸人はやしばらはやとが、議事を進める。くどいようだが、委員長風でありながら、委員長ではない、俺たちの瑛梨子様こと、江上瑛梨子は、教室の一番後ろの隅の席、いわゆる主人公席で、俺以上に、この不毛でくだらない非生産的な時間が一刻も早く終わって欲しいといった顔で鎮座していた。


 なぜ瑛梨子様かと言うと、新学期になってから、夏祭りのときの浴衣美少女モードのときの話を信用しない連中がいたので、俺がそのときに撮った証拠写真を見せてやったのである。

 このあと、江上から滅茶苦茶怒られたが、別にSNSに拡散したわけでもなし、クレクレ野郎どもに譲ってやるようなこともなかったので、なんとか許してもらえた。ほんとは、それほどまんざらでもなかっただろ……?

 まぁ、そんなこんなで、クラスの男子の中ではちょいとした騒ぎになった。


「はーい。ここは、加賀谷・吉澤夫婦がいいと思いまーす」


 他にも早く終わってほしい馬鹿な奴が、またロクでもないことを言いやがった。一緒に登校して、「恵くん」「陽子」と、下の名前で呼び合ってたら、あと、ついでに近所同士で小学校から高校までが同じの幼馴染みだったら、もう夫婦認定なんかい。お前ら小学生か? そもそも、この国はまだ夫婦別姓が認められてないだろうが? 設定的に矛盾してんだろ。


「あー、いいねー」

「2人なら、息ぴったりだもんね〜」


 他のクラスメイトも俺と陽子をスケープゴートにしようと、その提案に便乗してくる。自分じゃなければ、誰でもいいといった感じがあからさまだなオイ。


 やれやれ、高校生にもなって、まだこんな低次元の冷やかしの相手かよ。俺は心底うんざりした気持ちを飲み込みながら、


「いや~、俺たちはちょっと身長差が大きすぎるからさ~、違う人のほうがいいんじゃないかな~」


 わざとらしく片手を頭の後ろに作り笑いで、半分ほど椅子から腰を浮かせて、クラス全体を見渡し、ここはあくまで低姿勢に、下手に煽らないよう注意しながら、正論で反論する。


「えーっ、加賀谷、ヒドっ! さいて~」

「格差婚だ、格差婚、ヒャハハッ」


 ブチ切れそうなヤジが飛ぶが、こっちは伊達に長年、陽子と幼馴染みをしてきたわけじゃない。こんな挑発なんぞ、もはや慣れっこである。


「いや、しかし真面目な話、転んで怪我でもしたら危ないし、どうせやるなら、勝てそうなペアのほうがいいだろう?」


 一応、安全性を大義名分にすると、クラスメイトもそれ以上は言いにくくなったようで、空気が少し白けた感じになる。よし、落ち着いた。


「うーん、そうだねー、吉澤さんはどうだい?」


 委員長の林原が、陽子に水を向ける。よし、お前も断るんだぞ陽子!


「私は……別にやってもいいかな……」

「なっ⁉」

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