suck

Re:over

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 僕はミカンの手を引いて走っていた。住んでいた孤児院が火に包まれる光景がフラッシュバックする。頭を振り、ひたすら走る。ミカンはひたすら涙を流し、仲間たちの名前を叫ぶ。そこに追っ手がやってくる。


 せめて、ミカンだけでも助けなければ――


「お客さん、着きましたよ。ハムスラ研究所ですよ」


 運転手の声で目を覚ました。またあの日の夢だ。


 僕は降車し、研究所へ入った。入口や重要な部屋以外は開いている。


 単調で無機質な通路を進み、目的の研究室の前まで来た。部屋へ入ろうとしたところで足が止まった。何と挨拶しようか考えていなかったことに気がついたのだ。心のメンテナンスを終えて帰ってきたばかりで、疲れが残っているせいか、脳内シュミレーションを忘れていた。


 時刻は午前四時半過ぎ。空はまだ眠っているとはいえ、僕は起きているわけで、彼女はこれから朝を迎えるのだ。しかし、僕はしばらくすれば寝るだろうし、彼女も二度寝する可能性がある。ということは「おはよう」が正解なのか、それとも、「おやすみ」が正解なのか分からなくなってきた。


 そんな考えよりも彼女に会いたい気持ちが先行し、足が動いた。無難に「久しぶり」と言えばいいだけの話。何も悩む必要はない。


 扉は自動で開く。そして、僕はベッドに横たわる彼女を目にした途端にいろいろなものが溢れてきた。思い出とか、後悔とか、涙とか。でも、これら全ての感情は機械の心が与えているもの。皮肉なものだ。もっと僕が強ければ、彼女が傷つくこともなかったはずなのに。


 拳を強く握りしめた。すると、鋭い"爪"が皮膚に食い込む。冷たい血が滲み出る。こんな武器を持っていても、ここから彼女と逃げ出す力は持ち合わせていない。


 手足を固定され、たくさんの線と繋がっている彼女――ミカン。


 あの日、僕たちは孤児院を襲った国の軍に捕まった。そして、僕は戦争の兵器として改造された。ミカンはこの研究所のエネルギーであり、最終兵器だ。


 彼女に近寄り、手を伸ばした。それだけ。触れることはできない。爪が鋭いから、彼女を傷つけてしまう恐れがあるからだ。


「ん……」


 彼女は目を開き、僕の方を見た。その目は虚ろで、死んでいると言われれば信じてしまいそうだ。


「……」


 久しぶりの一言すら出てこない。彼女はここのエネルギーとして使われているせいで、首を振ることでの意思疎通がやっとだ。それを知っているのに何と言おうか思いつかない。言いたいことはあるが、勇気が出ない。


 口は開いているのに、何も言わないせいで、彼女は首を傾げる。情けないな、不甲斐ないな。こんなんだから弱いのだ。


 一度、ここから逃げ出そうとしたこともあったが、この部屋から彼女を出すことすら叶わなかった。


「ん……ん……」


 彼女は拘束されている手を小さく動かしていた。僕はいつものように頬をその手に当てる。血の温もりを感じる。自分が人間であるのかという疑問を忘れられる瞬間だ。


 彼女は顔色が悪くても、目が死んでいても、綺麗だった。


「ミカンのこと好き。孤児院にいた時から。具体的には、僕が孤児院に来た時から」


 彼女は頷く。


 何度目の告白だろうか。気持ちを伝えすぎて、彼女が受け取っている好意は薄れているかもしれない。


「それで、昨日、心のメンテナンスに行っていたんだ。そこで『心を買い換えればβを救ってやる』って言われたんだ」


 βというのはミカンのことだ。


「なんでも、今の心にはいろいろな感情や思い出が詰まっているから貴重なんだって。でも、僕、ミカンのこと忘れたくないって断ったんだ」


 それに、僕以外の他者がミカンを救うなんて嫌だ。


 彼女は頷き、指で僕の頬をなぞる。


 タイミングを見計らったように腕の時計が鳴る。戦争に呼び出されたのだ。


「行かなきゃ。またね」


 まだもっとミカンといたいけど、それを口に出しても、ミカンを困らせるだけだ。


 彼女は手首を軽く捻る。手を振っているのだ。僕も手を振り、研究所から出た。


 戦争は激化する一方。壊れていく世界で僕はどうしたらいい? どうやって彼女の手を握ればいい? どうやって彼女と最後を迎えられる? 寝起きの空に聞いても分かるはずがなかった。

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