第10話  9

 飲み屋の引き戸を開けて、賑わっている店内に入ると、むわっと人いきれがした。席は半分くらいが埋まっていて、お客はみんなサラリーマンやOLだ。店の奥で座ってたおばちゃんが「いらっしゃいませ。三名様?」と聞いてくるのを制して

 「お客じゃないんですよ。あの、僕達、劇団いて座というお芝居のアマチュア劇団なんですけど、今度公演がありまして、このお店の前の所にポスター貼って頂けないかなと思いまして・・・」

 と恐縮しながら言ってみる。反応はいろいろだ。「ああいいですよ」って簡単に

言ってくれたり、「ちょっとなぁ・・・」と渋い反応だったり、わざわざ店の前に出て「ここがいいかしらね」って一緒に考えてくれたり――。

 これは、いて座の「ポスター貼り周り」だ。公演1か月前くらいに、一度稽古の時間を潰して、劇団員総出で飲食店の固まった地域にチームで行く。そして宣伝用のB3のポスターをお店の中や外に貼ってくださいとお願いするのだ。横浜駅西口や関内や伊勢佐木町、そして今僕が来ている野毛の飲み屋街に―。

 「野毛は、年に一度、大道芸を開催しているくらいだから、芝居とかそういう事に関しては優しいんですよ。」って松岡さんが言っていた。野毛の大道芸は、商店街にピエロやパントマイムや手品なんかの人が集まって、路上で芸をする。お客さんはそれを見た後で投げ銭をする。僕も何度か見に来たことがあるが、いろんなものが見れて楽しいイベントだった。

 「ああいつものね。いいわよ。どうぞぉ」と、この店のおばちゃんは言ってくれた。もう何年も続けてきたから、いつもOKな店からすると「またいて座ポスター来たのね」って感じだ。ポスターを貼らせてくれたお店はリスト表に書いておいて、また次回の公演のポスター貼りで声をかけさせてもらう。

 正直言って、営業中のお店に飛び込んで「ポスター貼らせてください」なんてお願いして回るなんて、恥ずかしい。それに断られた時のショックも大きい。

 俺は演劇をやりたくて入ったのに、なんでこんな事しなきゃならないんだよ?って最初は思った。

 芝居は儲からない。ってのは、公演した時に、役者はお客を呼べる。「私出るのよ」「俺出るんだ」だから観に来てねって。ただそういうお客さんは、その知り合いが役者で出てない時、もしくはその役者が劇団を辞めたら、観には来なくなる。それだと結局役者の周囲の人しか客として来なくなってしまう。田丸さんは、そういう客ばかりでなくて、少しでも「いて座という劇団が好きで観に来た」というお客さんを増やしたい。「いて座ファン」が増えれば観客動員数も安定してきて、劇団運営の黒字に繋がる――と、こういう宣伝活動にも昔から時間と労力を割いているそうだ。

 こうやってポスターを貼れば、それを見た人が「ちょっと観てみるか」と観に来てくれてファンになってくれるかもしれないし、劇団員がチケットを知り合いに買ってくれないか聞いてみる時でも「あ、この公演のポスター見たことある」って言われて売りやすくなるかもしれないのだ。

 そう言えば僕もいて座を知ったきっかけは、街中に貼ってあった公演ポスターで、僕の好きな作家の作品を上演するのだと知ったからだ。

 ポスターを貼ってくれたお店には、「良かったらどうぞ」とお礼代わりに公演の招待券を渡している。ひょっとしたら、そんなものは僕達が出ていったらすぐゴミ箱に投げられてしまうかもしれない。だが、それを使って観てくれる可能性もゼロじゃないのだ。ポスターだって、貼ってあってもどのくらいの人が目にとめるかは分からない。誰にも注目もされないポスターだってきっとある。なんだか、ポスター貼りって、とても地道だけど報われたかどうかがはっきり分からない作業だなぁ。

 リストにあったお店を全部回って、少しだけど新規でお願いして貼ってくれたお店を開拓したらポスター貼りは終わる。終わったら、稽古場の田丸さんに、終わりましたと電話を入れて何件貼れたか報告すると、

 「もうちょっと行けたんじゃないのか? まあしょうがない。お疲れさん。」という不満丸出しのねぎらいの言葉が返ってくる。

 そしたら、飲みに行こう。となるのが芝居人の常みたいだ。

 僕と松岡さんと美代子さんの三人は、「今度はお客として来ました」と言いながら、さっきポスターを貼ってくれたお店の暖簾をくぐった。

 「どうだい? お寿司屋さんは?」

 「あんまりうまくいかないっスねぇ。」

 「でも奥村君のお寿司屋さん、元気があっていいわよね?」

 「そうっすか?」

 「まあ元気だけだけどね」と言って美代子さんはホホホと笑った。

 「芝居ってのは、難しいからなぁ」松岡さんはしみじみと話す。

 「どうやったら演技ってうまくなるんですか?」

 「それは・・・ねえ・・・」

 「ああ・・・」

 僕のド直球な質問に、松岡さんも美代子さんも口を濁してしまった。

 「だいたい、田丸さんはあんなに言うけど、演技上手いんですか?」

 松岡さんはハハハとちょっと前かがみになって、「ここだけの話ね、5年くらい前に田丸さんがちょい役で出演したことがあんのよ」

 「アアあったね、あれって「映画通りの・・・」だったよね?」

 「そうそれ。出てきて、「アレ?カバンが無いぞ!どこ行ったんだ?」とかって

  セリフ一言しか無かったんだけど、お世辞にもうまいとは言えなかったなぁ」

 「アレはひどかったもん」思い出して苦い顔の美代子さん。

 「でもさ、田丸さんが演出だから、演出がイイって言ったらみんなダメだって

  言えないんですよ。」

 「じゃあ、演出する人がみんな演技うまいってわけじゃあ・・・」

 「無いんじゃないかなあ。映画監督さんだってさ、役者出身で監督やる人もいる

  けど、有名な監督は演技なんかしたことないんじゃないの?」

 確かにそうだ。黒澤明が名優だったなんて話は聞いたこと無い。まあ黒澤監督が役者として撮影に来てしまったら、その映画の監督は緊張しっぱなしだろうけど。

 「そう言えば、奥村君はゆくゆくは演出の方になりたいんでしょ?」と美代子さんが聞いてきた。

 「そうっスね。まぁ、今はそんな事言ってられないですけど。」寿司屋が出来てないのに演出やりたいってのは、こっ恥ずかしい。

 「奥村君の演出した舞台か・・・見てみたいなぁ。マアその頃には我々がおっ死ん

じゃってるかもしれないから、早くなってもらわないと困っちゃうけど。」

 「そうよ。松ちゃんのお通夜と葬式は奥村君に演出してもらわないと。」

 「オレもう死んでんの? ひでぇなぁ」

 フフフと美代子さんが笑った。

 それにしても、こんなペンキ屋のおじさんとパートのおばちゃんと深夜の居酒屋の兄ちゃんが三人で飲んでいる。普通の生活してたらきっと会って飲みに行くなんて無かった三人だ。たぶん、芝居に関わらなかったら出会わなかった人達なんだろう。芝居をやってるっていう共有感なのか、同じ事に嵌まってしまった者同士の慰みあいなのか――。

 

 「ブゎカぁ。お前何やってんだ?」

 笠野さんは、あっと言う間に僕の事をオマエ呼ばわりだ。今は釘を打つ方向を間違えたからと怒鳴ってきた。

 「こっちから打っちゃうと、今度ソレが付くのに、釘が邪魔して繋がらねえじゃ

  ねえか」

 いや、ソレが付くなんてあんた言ってなかったろぉ? そうなら釘打つ前に言っとけばいいじゃないかよ? とにかくいちいち言葉が足りないおっさんだ。

 昨日の土曜日は、僕が釘を打っていたが何回ナグリで叩いても全く釘が入っていかない。あれぇ何で?と思わず大きな声で言ってしまうと、笠野さんが

 「オメエそこは木の節だろ!」

 「そこ節だよ」

 「節だろ。何やってんだ!」

 アレ? 最初の声は笠野さんで、二番目は増井さん。じゃあ三番目は?と思って顔を上げたら、座ってる田丸さんがタバコ持ってこっちを睨んでやがる。あまりにも目の前で怒られるものだから、イライラしてきたみたいだ。怒りは伝染するのか。

 言っておくけど、

「こういう部分は木の節だから、釘打っても入らないぞ」なんて一度だって教えてもらった覚えはない。

 装置の作成作業中、笠野さんは座って指示を出して怒っているだけなのか? 

 答えは否。よく観察していると、そんな事はない。特に、装置の重要な部分を作成する時になると、増井さんにさえ任せずに、自分で黙々とノコやナグリで作業し始める。そんな感じで黙ってナグリを振り上げている笠野さんを見ていると、バイト先のマスターの加山さんを思い出した。

 加山さんは、いろんな飲食店で修業してきて、あの店をやってる。店では焼き鳥や簡単な炒め物のメニューなんかは僕や自分の奥さんに任せる事はあるけど、刺身の盛り合わせの注文が入ると絶対に僕達には任せず、最初から最後まで自分で皿の上を作っていく。

 「やっぱり、中トロとかカンパチを切ってみて、その色合いとか状態を見ないと

  盛り付けられないんだよ。それはよ、洋平ちゃんがどんなに料理の腕上げたと

  しても、俺のセンスっていうか感性だから伝えられないよな。」

 「それは、あれですか? 料理人のプライドっていうものですか?」

 「うーん・・・そりゃあ、下手な物出したら、俺の腕が落ちたって言われるから、

  それもある。でもそれだけじゃないんだよな。こうこうこうやってくれとか

  ああやってくれとか、そういうのだけじゃあ伝わらないものがあるんだよなぁ」

 言葉だけでは簡単に伝えられない大事なものを持っている人を、職人と呼ぶのかもしれない。笠野さんも、人への説明は下手だしすぐ怒るしだけど、お客さんに見せる物を俺は作っているんだぞっていう「心意気」みたいなものは感じられた。

 

 セリフとの闘いは続いていた。

稽古中に出番が来て、すし桶を持ってピンポン押して、お客さんに渡して去ると、

 「お寿司屋さんさぁ、もうその言い方じゃなくて、ちょっと違った言い方とか工夫して出来ないか考えてみな」と田丸さんに新たな課題を出された。

 さあ困った。「お待たせしました」はどう読んでも「お待たせしました」だし、「ありがとうございました」は「ありがとうございました」だ。もうその音とリズムで読んでいるので、違う言い方なんてどう転んでも出てこない。頭の中が「このセリフはこういう言い方しか無い」という固定概念で固まり、一つの言い方の音程やリズムやテンポしか出なくなってしまっていた。脚本には「このセリフはこの音程とテンポやリズムで喋ってください」と楽譜のように書かれてはいないのだが、まるでそれしか正解じゃないような思いこみだ―。

 「どう? 寿司屋は順調なの?」と湯座さんがハイライトをくわえながら聞いて

きた。

 「順調じゃないッスよ。喋るたびにダメ出しばかりだから、たまにダメが出ないと

  なにかおかしいぞ?って思うようになりましたヨ」

 「あー、ダメ出し中毒だね」

 「そんなのあるんですか?」

 「無いよ。今考えた」

 「なんだそりゃ・・・なんか、見ててアドバイスとかありますか?」

 「エー?そんなの自分で考えなよ」 

 「冷たいっスねぇ。トラップの時に一緒に苦しんだじゃないですかぁ?」

 「アタシ今回照明助手で、役者じゃないもーん」

 「ウワひでえ。後輩見捨てた」

 「ほら、がんばって明かり当てるから、舞台上でがんばってネ」

 「面白がってますヨね?」

 「そりゃそうだよ。苦しんでいる役者を見るのが、裏方の楽しみだもん」

 優しい先輩ばっかりだ。結局自分でどうにかするしかないのか。

 

 そう言えば、川村さんも今回初舞台という事で、「主人公の娘婿の会社の後輩役」という、聞くだけであまり重要じゃないなと分かるような役をもらっていた。出るのは1シーンで5個ほどのセリフがあるのだが、やはり同じようにダメ出しをくらっている。こうなるともう底辺のライバル意識が芽生えてきて、いつからか、川村さんと僕のシーンでどちらがダメ出しが多かったのかを数えるようになっていた。

 川村さんの出演シーンをみていると心の中で

 「あれ?今の「僕もう時間なんで帰らせて頂きます」ってのは力み過ぎじゃない

  の?何で止めないの?田丸さん聞いてた?・・・あー、そうこうしているうちに

  「僕本当に帰りますので」って言いだしちゃったじゃんか。ヤバイヤバイ、もう

  シーンが終わっちゃう。ノーダメ出しで帰らせていいの?・・・オ、止めた?と

  思ったら女の子のセリフの方かよ! ほらほらほら、あの歩き方でいいの

  田丸さん?見てる?・・・あー目つぶってんのか・・・」

 そんなことしてる暇があったら、自分のセリフの言い方考えろって感がある。

 こんな不毛な行為を脳内でしていながらも、セリフをもらった同じ初舞台って事で、川村さんとは同レベル意識みたいなものが働いてあれこれと話すようになって

いった。

 ある日、川村さんが「あのさー」と、こんなことを言い出した。

 「俺と奥村ってさ、ちょっとしか出ないわけじゃん。チョイ役。そのちょっとの

  出番で失敗したら、アイツ失敗したぞって、それしかお客さんに残んなく

  ない?」

 なるほど言われてみると確かにそうだ。

 「セリフとか出番たくさんあるとさ、一個のセリフ失敗してもまた次で挽回できる

  可能性もあるわけじゃん。でも出番少ないと、セリフ覚えるの少なくて確かに楽

  なんだけど、そのセリフ失敗するとものすごくデカくない?・・・そう考えると

  さ、映画とか舞台とかで脇役ばっかで何十年もやってる役者って、実は一番スゴ

  イ役者なんじゃないの?とかオレ思ったよ。」

 そうか・・・僕も映画観るときは、ついつい監督や主役やらの名前で面白そうか判断してしまう。でも地味にちょっとの役で出演している役者を特に気にしてはいな

かった。

 役者=主役やスターが一番スゴイ。って単純に考えていたけど、実は目立たなくても演技力がスゴイ人がたくさんいたし、そういう人が映画やテレビや演劇を支えた部分ってのは、僕が思っていたよりも大きいのかもしれない。


 ラスト、「群衆の中で親友を肩車する船井さん」というシーンとなるのだが、その後ろの壇上に、それまでの登場人物が横に並んで「群衆」として声を出したり「家族」として船井さんに声をかけたりする。

 僕は「山野井正二、ばんざーいばんざーい」と群衆として大声を出す役だ。

 ここはなんとか脇役として爪痕を残さないと!と意気込んだ僕は考えた。そして、このシーンで群衆としてパントマイムで動き続けてみることにした。

 船井さんがセリフを言ってる時も、一人だけ「群衆」として大声を出す動きをしたり、出征する兵隊さんに大きく手を振ったりしてみたのだ。

 センターにいる船井さんと動く僕との二元演技となる―「これはすごい事考え付いたな。オレって天才か?」とまで思っていた。

 稽古中に黙ってその動きをやり出したのだが、特に田丸さんは何も言わずに流している。ああこれはもう「奥村面白い事考えたな」くらいは思ってるぞ、と調子に乗ってそのシーンの稽古の時は常にその動きをしていた。

 そうして、本番一週間前の総稽古を迎えた。

 どの役者も本番と同じ衣装を着て、稽古場にも少し緊張した空気が流れる。

 総稽古は、本当に稽古としてのラスト。であると同時に、この稽古場で「きれいな口紅」の稽古をする最後の日。だ。もうここでこの白衣を着て、寿司屋のセリフを言う事は無いんだな―。そう考えると既に寂しさを感じたりしてしまう。

 「トラップワイフ」の時に吉田さんが言っていた寂しさを、ちょっとだけ分かった気がした。

 朝から田丸さんが気になる部分をいつものように稽古して、夕方からダメ出し無しの一発通し総稽古が始まる―。まあセリフがスムーズに流れない場面がちょこっとあるくらいで、特に何も起きない。もうよっぽどの事・・・例えば役者が意識失って倒れるとか、そういう事が起きない限り、止められないからだ。

 そしてラスト・・・僕はいつものように、群衆としてパントマイムの動きをしていた。いつものように。ただいつもの稽古と違っていたのは、田丸さんが目を開けて観ていたことだった。

 総稽古が終わると、みんなが田丸さんと舞台監督に対面して丸くなる。

 「総稽古お疲れ様です。まあちょっとがっかりした部分もあるけどよ・・・」田丸さんが話し始めた。「もう稽古出来ないから、後は本番に向けて風邪とかひかないように注意して・・・」と話し終えそうな雰囲気になりそうな時に「あそうだ」と何かを想いついた田丸さんは突然僕の方に目を向けて

 「寿司屋さん。あんた、ラストのあの動き、あれダメだよ。動かないでじっとして

  て」

 「え? 動いちゃダメなんですか?」

 「そう。あそこで寿司屋が動いてたら、こっちのセリフが死んじゃうから」

 ・・・・・・エー?あれだけ稽古でやってたのに、いまさら?

 でも他のみんなも笑いながら「やっぱりな」って空気になっている。

 ウ、ソ??そんならもっと早くやめさせろよ・・・

 どうしても納得出来ない。と言うか、悔しさの方が勝っていた僕は、稽古の後で田丸さんの所に行って「ダメなんですか?」と、自分の動きを見せた方が観ているお客さんがイメージが膨らむとか船井さんと僕で二つの表現が出来るとかそれっぽい事を言って説明してみた。

 が、ダメなもんはダメ。

 意外だったのは、田丸さんが「奥村!何で分からないんだバカ!」と頭ごなしに怒鳴ったりせずに、「自分としては、この場面は船井さんのセリフを聞かせたいのだからその動きは必要ない。あなたなりにいろいろ考えたのは分かる」と演出としての考えや思いを、僕みたいな若造に穏やかな口調で伝えたことだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る