10・奮闘の結果
指導。
「たよりにも書いた通り、雨森さんのレベルなら、数学はまず、パターン暗記でどうにかなるものを徹底的に固める。問題集はあまり難しいと逆に身にならない」
竹永は定番の問題集を取り出す。
「国語は、漢字や文法の問題を確実に取ろう。もちろん、その上で読解問題もある程度解かないといけないけど、漢字とかで回収できる点数も、決して軽視はできない。現代文だけじゃなくて、古文、漢文もそう」
「特に古文と漢文は、知識があれば、純粋な文章読解も現代文ほどは難しくないニャン。ちゃんと該当部分を現代語訳にできれば、読解としては高度なものが問われているわけではないニャン」
前野と比名が説明する。
「英語も同じだが……模試まで時間がないな。長文読解の演習に時間を充てるのは、今回は分が悪い。短文読解や文法、単語、アクセントでがっちり点を取った方がいい」
全員、最善を尽くしていた。
テスト前日。
「もう夕方だし、そろそろ終わるか」
竹永は言った。
「明日が本番ニャ」
「本番というか、模擬試験だけどな」
竹永の無粋な突っ込みを無視して、比名が続ける。
「今日は早めに寝て、体調を整えるといいニャン。間違っても徹夜はダメニャ」
「一日で勉強できる量は限界があるから、徹夜してもたかが知れているしな」
一般的には、テスト前日に根を詰めて徹夜すべき、という考え方があるが、効率を考えるとあまりよくない。
定期試験ならともかく、模試となると範囲が膨大で、一日の徹夜をしたところで、意味がない。日頃の積み重ねがものをいうのだ。
例えるなら野球などスポーツ。一日の特訓で劇的に上達する選手はいない。
もっとも、今回は十日間しかなかったから、勉強会の施した「特訓」も似たようなものだが。
「ありがとうございました」
――まあダメだろうな。六十には届かなくとも、少しは改善するだろうから、部の実績にはできるかな。
竹永は期待しない心で送り出した。
テスト当日。
「それでは……始め!」
必ず酒井を超える。そして交際という名の栄光をつかむ。
雨森はシャーペンを握り、問題冊子を開いた。
それからしばらくして、雨森が報告に来た。
「どうだった?」
竹永が聞くと、雨森は肩を落とした。
「失敗でした」
雨森の偏差値は五六・七二。酒井の偏差値は六二・六八。
「そうか……すまない」
竹永が頭を下げると、雨森はあわてる。
「いや、頭を上げてください。これはあくまで私のテストです。結果を負うのは、最終的には私一人です」
「そうか、いや、すまない」
彼が一緒になって肩を落としていると、比名が彼に言った。
「で、どうするニャン」
「どうするとは?」
「恋愛相談にシフトしてもいいんじゃないかニャ」
「えぇ……」
不破も口をはさむ。
「いいねそれ、私も賛成!」
「いいわけねえだろ……」
「僕も竹永と同じく反対だ。ここは勉強支援同好会だからね」
前野が援護するが……。
「じゃあこの件は、私と不破ちゃんが『個人的に』対応するってことでいいニャ。相談場所は他にないから、この部室に来てニャン、雨森さん!」
「酒井くんのハートを射止めるために、私たち二人がお手伝いするよ。『部活外』、友人としてね!」
「おいおい……」
しかしこうなっては、竹永や前野も止めようがない。
「仕方ねえな……勝手にしろ」
「やったニャン!」
ガッツポーズ。
他人の恋愛相談に乗る比名。だがそれでも、この女は全国一位を維持し続けるんだろうな。
竹永は己の道の遠さを思った。
帰り道、竹永はふとつぶやいた。
「勉強って、万能じゃないよな」
「いきなりどうした」
かたわらの前野が面食らったような顔をする。
「いや、今回の相談で思ったんだ」
学生の本分は学業。よくいわれることだ。
しかし現実には、その学業とやらは、恋する女子にその恋をかなえさせることさえできない。
実際は断る口実としてテストの点数を持ち出したのだとしても、結局、学業の成績では恋を実らせることができなかった。そのことにかわりはない。
「親せきから聞いた話だと、学歴は就職にもあまり影響を与えなくなってきているとか」
ごく一部の巨大企業の中には、今も学歴フィルターで選別しているところもあるらしい。しかし、多くの企業は、人物を重視し学歴を軽視し始めている。
フィルターにしても、入り口を絞るだけで、そこを通ったといっても内定が保証されたわけではない。
「学業が就職とかその後の人生に結びつかないとしたら、俺たちはなんのために勉強をしているんだろう」
世の大人たちは、口うるさく「勉強しろ、勉強しろ」と言うが、一方で学業や学歴の比重は、もう絶対のものではなくなってきている。
……もっとも竹永は、元々全国ランカーなので、「勉強しろ」と口うるさく言われたことはないが。
「北里母とはまた違うアンチテーゼだね」
ハハ、と前野は笑う。
「まあ、どんな道でもそういうものじゃないかな」
例えば野球選手。
学生時代に野球をしていた人はたくさんいるが、それが直接就職や恋愛などに結びつくかといえば、たいていはそうではない。プロ野球選手として飯の種にできる「元野球小僧」は、ごく一握りでしかないし、純粋に野球の力量だけに惚れる女子もいない。
しかしだからといって、野球の経験は無駄にはならない。野球なんかしなければよかった、とうそぶく元野球小僧は、それこそごくわずかだろう。
「学業も同じさ。竹永とか比名さんとかのレベルは、例えば優れた学者になったりもできるだろうけど、ほとんどはそうじゃない」
「それでも無駄じゃないのか」
「たぶん。知の限りを尽くして、それぞれの出題に立ち向かった経験は、きっと何かの糧になる」
「何かに頑張った経験ってことか?」
「そういう抽象的なことばかりじゃない」
前野は首を振る。
「脳を鍛えたこと。考える力を養ったこと。知識を蓄えるための訓練をしたこと。それはいつか自分を支えるんじゃないかな」
「ふわっとした話だな」
「ごめんごめん。でも前向きにとらえるしかないんじゃないか」
ややあって、竹永はうなずいた。
「そうだな。俺たちがどう思おうと、直近の問題は受験だからな」
仮に学校の成績が軽視される社会が不当だとしても、それを変えるのは、すぐにはできない。
また時間をかけるとしても、そのためには学業を頑張って官僚や政治家になる必要がある。いずれにしても、今やれるのは勉強しかないのだ。
まして、世間には学校の成績を「軽視すべき」、代わりにコミュニケーション力や創造力を重視すべき、という風潮がすでにある。それを根底から覆すのは、生半可な事業ではないだろう。
「まあ、勉強を頑張るか」
「竹永に頑張りが必要かどうかはさておき、普通の生徒はそうするしかないよね。ホント」
「からかうなよ」
竹永は顔を少し上げた。夕日が目に染みた。
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