準賢者の行進

牛盛空蔵

01・学力のアスリート

 俺は全国二位だ。……今回も二位だ。

 竹永は教室の掲示板の前で、誰に聞かせるでもなく、心の中でつぶやく。


 この羽後沿岸高校では、定期試験や模試の結果が返ってくるたびに、校内の高成績者の順位を張り出す。その順位は、校内でのものも表示されるが、模試の場合は全国でのそれも開示される。

 そして竹永は、高校二年の文系生徒としては、全国二位である。今回たまたま運が良かったわけではなく、いつも安定して全国二位。

 大変な成績である。偏差値は九十以上。彼は文系なので、この成績を維持する限り、将来はどこでも受かる。海外の名門校となれば分からないが、少なくとも彼は海外に進学するつもりはない。

 しかしこの学校には、彼を上回る傑物がいる。

 比名。同じクラスの女子で文系。常に安定して全国一位。常に、安定して、一位。

 つまりこの女子のせいで、竹永はいつも永遠の二番手に甘んじている。

「クソが……」

 彼の苦渋は、いつも教室の隅にかき消える。


 比名がせめて別の学年だったら、同じフィールドで戦わずに済んだ。

 あるいはせめて理系だったら、同じ種類のランキングで激突しなかっただろう。

 その空想は逃げなのかもしれない。しかし、もし彼の苦しみを全て知る者がいたら、不運だったね、と言うに違いない。

 なにせ竹永も不動の全国二位なのだ。抜かれたことがない。つまり比名がフィールドの外にいれば、彼が名実ともに飛び抜けた一位になっていたのだ。

 もっとも、大学選びに困らない時点で、それはぜいたくな悩みなのかもしれない。

 竹永の学力は、総合ではほぼ極まっている。科目別の話はともかくとして、全科目の出来でいえば日本で二番目。国内大会銀メダルである。この頭脳を持っていて不運などとは、少なくとも竹永の口からは言えない。

 一般人にとっては、大学受験に全く困らないのなら、全国一位でも二位でもどうでもよいのだ。金メダルに圧倒的な価値を置くアスリートとは、前提が違う。

 要するに、竹永の悩みを正確に受け止められる人間は、いない。

 彼は今日も、授業の予習を退屈そうにこなす。


 竹永はまるで普通の人間のように、自分の無力を嘆く。

 その嘆きに追い打ちをかけるのが、比名の人となりである。

 その日、彼女は昼休みになってようやく、登校した。

「おっはよー!」

 彼女はいつものツインテール……本人いわく「魔法少女のたしなみ」を揺らしつつ、特大の胸をぶるりといわせて、ついでにあどけない満面の笑みを浮かべる。

「おはよう、比名ちゃん」

 返事をしたのは、比名と仲の良い不破という女子。穏やかそうに微笑する。

「いやあ、今日もワルゾーンの手下と戦っちゃったんだニャン!」

「ワルゾーンって、悪の組織だっけ?」

「そうだニャン。魔法の国『フィロソフィエン星』をおびやかす、わるいやつだニャン!」

 国なのか星なのかはっきりしてほしい。

 いや、言うべきことはそれではない。

 比名は自称魔法少女である。語尾にニャンをつける。ワルゾーンの魔の手からフィロなんちゃらを救うべく、日夜戦っていると自称する。しかし見た目に戦闘の形跡はない。

 彼女はそういう人間だった。

 そういう人間だったので、見た目の可憐さや抜群の頭脳にもかかわらず、クラスのリーダーシップに関与できなかった。元々そういうことに興味がなかったのかもしれないが、ともかく現状、親しくしているのは不破だけだった。

 俺は、こんなやつの下位に甘んじている。

 竹永は眉間をもみつつ、こぶしを握り締めた。ついでに「魔法少女」の特盛の一部分を目で堪能した。


 全国一位と二位が所属するこの高校、日本トップレベルの進学校……ではない。地方ならどこにでもある、一般的な普通科高校である。

 竹永の両親は、別段高校にこだわりを持たない人間だった。竹永が成績を維持できる程度に、環境などの整った高校であれば、どこでもよい。比重はどの大学に行くかにこそある。彼はそう聞かされた。

 そして、同じ高校に比名がいるということは、彼女、あるいは彼女の両親もそういう方針なのだろう。証拠も根拠もないが、そうでないと説明がつかない。

 この偶然が、幸運か不運か。それはまだ、今の竹永には分からないことだった。


 体育の授業。今日はソフトボールだった。

 竹永は体を動かすのは嫌いではない。しかし、得意というわけではない。

 はっきりいえば、竹永の運動能力は最低クラスである。

 サッカーをやればキックが空振り。バスケではシュートの機会すら回ってこない。バドミントンでは羽根の速さについていけない。

 対照的に、比名は。

「よっ」

 極限の鋭い振りがボールを捉え、彼方まで飛んでゆく。

「またホームランか……」

 守備陣のつぶやきをよそに、彼女は悠々とダイヤモンドを走る。

「これも魔法の力ニャン!」

 こぶしを猫のようにして、あざといポーズをする。

 彼女はスポーツも万能だった。

 およそ欠点がない。いや、「個性的」すぎる性格は大きな欠点だが、能力的には完璧な人だった。

 おまけに容姿も、花が咲いたように端麗。巨大な胸を差し引いても、十二分に可愛いといえる。

 さらにいえば、先ほど欠点とした性格も、奇妙なふるまいを除けば、おおむね明るく温厚。対人的な欠陥は抱えていない。もっとも、友達は少ないが。

 竹永も、決してコミュニケーションについて欠陥を抱えているわけではないが、どちらかといえばおとなしい方である。比名のように明るくキャンキャンやる性質ではない。

「うーん」

 彼はバットを使って、大きな伸びをした。

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