きみのとなりで
紙野やま
第1話 くまのぬいぐるみ
一
わたしの部屋にはくまのぬいぐるみがある。名前はクリス。六歳のとき行ったおもちゃ屋さんで買ってもらった。そのときの出会いは今でもよく覚えている。
ぬいぐるみコーナー。わたしは買い物をしている母親とそこにいた。欲しいものをひとつ買ってあげると言われていたわたしは、目をキラキラさせ辺りを散策していた。犬や猫、キャラクターものなんかが並ぶ棚で、独り残されたかのように置かれたくまのぬいぐるみ。それがクリスだった。胸もとの赤いチェックのりぼんがかわいかった。ほかの棚を探しても同じ種類のものは見当たらない。
「あなたも独りぼっちなの? 」
父親が転勤族だったわたしには、そのぬいぐるみが自分と似ているように見え、何だか寂しそうで放っておけなかった。もちろんぬいぐるみが言葉を話すわけがなく黙っていたけれど、わたしには「そうなんだ」と言っているかのように思えた。わたしは頭をなでて散策に戻った。そのあと、どうしてもあのぬいぐるみが気になって売り場に戻ると、やっぱりそれはぽつりそこにあった。わたしはしばらく見つめていた。するとだんだん「僕を連れて行って! 」と言われている気がしてきて、とうとう母親に買ってもらい家に連れて帰って、クリスと名付けた。
クリスはわたしにとって初めての友達で、その日学校であったことを報告したり、新しい友達ができたことを一緒に喜んだりとたくさん話しをした。転校が決まって、友達と別れるのがつらく部屋で泣いていたときも、クリスは私を見守ってくれた。新しい学校でなかなか友達ができなくてもわたしは寂しくなかった。やがてクラスに馴染めても、また父親の都合で転校することになってしまった。そんな二度目の転校先で運命の出会いをすることになる。
わたしがこの学校に転校してきたのは小学六年生のとき。となりの席だったマコトくんは転校して間もないわたしに、初めて声をかけてくれた人だった。家も近所で、わたしたちは自然と友達になれた。それから一緒に帰ることが多くなっていった。わたしは気さくなマコトくんにだんだん惹かれていった。
ほかの友達ができても、マコトくんとは相変わらず一緒にいることが多かった。二人で出かけることも多く、夏祭りに行ったり、マコトくんの家で星を見たり、放課後の図書室で宿題をしたこともある。仲は良かったけれど別に付き合うことはなく、今以上に発展することはなかった。それでもわたしの気持ちは強くなっていく。でも今の関係を壊したくない。自分の気持ちも押し付けたくない。だから今は言わないでおく。
小学六年生、十二歳。うわさに敏感な年頃。AくんはBちゃんと付き合ってるだとか、となりのクラスのCはいじめにあっているらしいとか。なんで簡単に信じるんだろう? 面白いから? 優越感に浸りたいから? 理由はさておき、そういった根拠ないうわさの中に、わたしとマコトくんのことも挙がっていた。
クラスで問い詰められ「違う」と答えたら、さらに色々と問い詰められた。そのときはチャイムに助けられたけれど、モヤモヤした気持ちが残って授業に集中できなかった。マコトくんと隣のクラスだから廊下ですれ違うだけで、何とも言えない気持ちになる。まるで芸能人になった気分。
そんなある日の帰り道。わたしはマコトくんに思い切って相談をしてみた。
「あのね。最近クラスの友達からかわれるようになったの」
「ああ⋯⋯ 」
マコトくん自身も心当たりがあるみたいだった。
「わたしたちいつも一緒に帰ってるでしょ? だからね、付き合ってるんじゃないかって」
するとマコトくんはちょっと不機嫌気味に言った。
「言わせておけよ。気にしなくていい。言いたいだけだよ」
「そういうことじゃないの 」
「あのさ、僕のこときらい? 」
「そういうことでもなくて⋯⋯ もういい 」
「じゃあなんだよ。おいユミ」
歯がゆいわたしは、足を速めて先を行く。マコトくんは困った顔で付いてきたけれど、わたしは終始何も言わなかった。
帰宅したわたしは、部屋のベッドに倒れ込む。どうしてこうなるの? 近所だからいつも一緒に帰ってるだけなのに。冷やかされたり変な落書きされたり。確かにマコトくんのことは好きだけど、だからってなんであんなに騒がれなきゃいけないの? このことは誰にも言ってないのに。もうイヤ。それからどれくらい経ったのかはわからない。わたしはいつの間にか眠ってしまった。
二
「ーー起きてっ! 」
誰かの声がする。でも眠い。
「ねぇねぇ!」
今度は叩かれている気がする。しつこいなぁ、もう⋯⋯
「ねぇってば! 」
「あぁ、もう、うるさいっ! 」
ダァンッ!
わたしは寝返りを打ちながら、ねむりの邪魔をするヤツにボディーブローを放った。
「ぶぉあ⋯⋯ 」
うまくヒットしたのか、それは何とも言えない声で部屋の隅まで飛んだ。
「痛いなぁ。ひどいよ⋯⋯ 」と言いつつまた声が近づいてきた。ほかにも何かぶつぶつ言っているようで、わたしはさすがに起き上がった。
「さっきからあなた誰なの? 」
寝てたのに! と言おうとしたわたしは思わず固まった。
信じられない! ぬいぐるみが、クリスがしゃべってる!
「ユミちゃんだよね? 初めまして。いまさらだけど改めて。あのとき僕を買っててくれてありがとう」
「ねぇ、あなたほんとにクリスなの? どうして言葉がしゃべれるの? 」
「そうだよ! 僕の名前はクリス。ユミちゃんがくれた名前だよ、寝ぼけてるのかい? 」
ぬいぐるみがしゃべっているなんて夢? さっきまでピクリともしなかったのに。
「おもちゃ屋さんにいた頃、ずっと独りで寂しかったの。みんな先に買われていっちゃって」
身ぶり手ぶりを交えながら話す彼は、まるで人間みたいだ。
「でも今はこうして温かいベッドの上。うれしいなぁ。ユミちゃんのおかげだよ」
「ねぇ、だからどうしてしゃべってるのって⋯⋯ 」
わたしが困惑していると気がついたのか、クリスはあわてて訳を話した。
「僕、ユミちゃんに買われた夜、すごくうれしくって、きみとお話ししたいっておもちゃの神様にお話ししてみたんだ」
クリスによると、わたしがやさしい心の持ち主なら、考えてやろうと言われたそうだ。
「きみは僕を色んな場所に連れていってくれたよね? お手入れもしてくれた。そんなきみが、最近寂しそうにしているから、元気になってほしくって」
わたしはまだ状況が把握できない。
「ユミちゃんを元気にしたいです! って、もう一度お願いしたら、おもちゃの神様が魔法をかけてくれたんだ! 心がきれいだって!」
クリスは嬉しそうに言った。
「クリス⋯⋯ 」
話を聞いているうちに心がジーンとしてきた。
「僕は今まで君の笑顔をいっぱい見てきた。でも最近は遊んでくれなくなったし、元気ないみたい。だからほら、また遊ぼうよ! 」
「クリス、ごめん。今あなたと一緒に遊んでも、たぶんわたし、元気になんてになれない」
「なんで? 今までだって、僕と遊んでてとても楽しそうだったのに」
「もうぬいぐるみで遊ぶような歳じゃないの」
クリスは一瞬きょとんとしてから悲しそうな顔をした。
「そんな⋯⋯。じゃあ、もう僕と遊んでくれないの? 僕、そんなのイヤだ。ねえ、ユミちゃん⋯⋯ 」
「そう言われても⋯⋯ 」
クリスは悲しそうに訴えてくる。ぬいぐるみに四季や成長がわかるだろうか? 丁寧に説明したところで、納得してもらえるだろうか。
「ねえ。僕に何ができる? 」
「それじゃあ、お話聞いてくれる? 」
「いいよ。それでユミちゃんが元気になるなら」
「うん、ありがとう」
わたしは起き上がりベッドに腰かけた。クリスはもちょこんととなりに座る。
「実はね⋯⋯」
わたしは今まであったことをクリスに話した。クリスは、ときどきあいづちを打ちながら、黙ってそれを聞いていた。
「ユミちゃんはマコトくんのこと好きなんだよね? 」
「うん」
「じゃあどうして正直に好きって言わないの? 」
「ぬいぐるみに人の気持ちなんかわからないよ」
「うん。わからない。だから教えて。どうして言えないの? 」
「クラス中でうわさされてるから言い出しにくいし、言うの恥ずかしい」
「そっか。でも言葉にしないと伝わらないよ? ずっと前から好きだったんでしょう? 」
「⋯⋯」
自分の気持ちをうまく言葉にできるか不安だった。一言一句間違いのないように。うわさが立ったから言い出したと思われるんじゃないかとかマコトくんにほかに好きな人がいたらどうしようとか色んな考えが頭に浮かんだ。そして、いっぱいいっぱいになったわたしはいつの間にか泣いていた。クリスがぽんぽん背中をさする。
「ユミちゃんなら大丈夫。だって、優しい心の持ち主だから」
三
うわさ止まない中、わたしが風邪をひいて、何日か学校を休むことがあった。病み上がり、わたしが学校に行くと、うわさが退きはじめていた。なんでなのかはわからない。その夜、彼と電話をした。
「僕が言ってやったんだ。うわさを広めたヤツらに」
「なんて? 」
「根も葉もないこと言いふらすな。僕たち何もない! って。それでもしつこく聞いてくるヤツには殴りかかってやった」
「えっ、ほんとに殴ったの? 」
「先生に止められて、職員室に呼び出された」
「大丈夫だった? 」
「うん。そのあとちゃんと謝ったよ」
何と言ったらいいのかわからず、わたしは黙ってしまった。マコトくんが誰かに暴力を振るうようなところをわたしは見たこともない。もし、わたしのことでそこまで一生懸命になってくれたとしたら、それは友達だから? それともーー
心の底からじんわり温かくなったかと思うと、頬は熱い。でも、マコトくんはさっき「何もない! 」って言ってた。じゃあどうして⋯⋯。
「ありがとう。マコトくん。もう夜遅いし⋯⋯ 」
そう言いかけたときだった。
「アイツらの前でそう言っただけだから。じゃあ、おやすみ」
「えっ、ちょっとそれって⋯⋯」
私が聞き返そうとするより早く電話は切れた。
翌朝おそるおそる教室に入ると、以前と変わらない日常がそこにあった。いつも話している友達も変わらず接してくれた。うわさの勢いに呑まれて、声をかけづらかったらしい。ときどき冷たい目線を感じることはあったけれど、わたしは、いつも通りにふるまった。
あの電話以来、お互いの顔を見るとなんだか気まずくてすぐ目をそらしてしまう。帰りもなんとなく別々に帰っていたし、廊下ですれ違うこともなかった。正直、どんな顔をすればいいのかわからない。マコトくんが電話で言っていた、あの言葉の意味を確かめるのも怖かった。本当はわたしのことが好きでも、みんなの前でああ言っただけなのか。それとも、マコトくんの中でわたしは親友ということなのか。わからない。あのとき、話越しに、気持ちが同じなのかもと思ったのが、わたしだけなら恥ずかしい。結局、わたしの気持ちは伝えられないまま電話は終わった。
ほら、そうやって君が言うから
わたし、何にも言えなくなる
君のことならだいたい知ってるはずなのに
近づこうとすればするほど、
わたしの知らない君が見え隠れ
by stander そう決めたんだ
そう決めたはずなのに
もっと知りたいよ もっと聞かせてよ
君のペースでいいから 心のカギを開けて
ほら、そうやって君が笑うから
わたし、また言いたいことを呑んでしまう
背負っている荷をどうか半分、背負わせて
by stander そう決めたんだ
by stander わたしバカなんだ
自分の気持ちに知らん顔してんだ
だけどこれからも好きでいさせて
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