第十一話 一緒に行こうぜ

 二月に入った。俺にとっては公立学校の受験を控える月であり、いよいよ本命が待ち構えている。

 東京ではほとんど雪は降らなかったけど、福岡こちらに来てからは早速体験した。久しぶりの雪だった。受験の日に重ならないといいなと願うばかりだ。

 志望校はトモとは別になる。ここだけの話、どうやら緒方は彼と同じ高校に決めたみたいだ。彼らの志望校は、俺にとってはちょっとばかり偏差値が足りなくて。母子家庭だから、失敗して私立に通うことは避けたい。そう思って無理はしないことにした。秋に決めた高校なら充分射程圏内だ。

 トモは元々の成績はいいらしい。……授業をサボりがちだったのに、俺より偏差値が高い高校を狙っているのはちょっとシャクだけど。あまり遠くはなくとも電車の乗り継ぎが面倒だ、とここらへんの生徒からは不人気の高校らしい。

「あんま同じ中学の人がいないとこがよくってさ」

 理由は言わなかったが、以前そう言っていたのを覚えている。あの時は分からなかったが、今はトモの気持ちを少しだけ知ることができた気がする。彼なら遠くの高校を選ぶ

 四月からは違う学校で日々を過ごす。どうせ同じ団地なのだから、会おうと思えばいつでも会えるし、それでいいと思っていた。けれど卒業が近づくにつれ、寂しさのようなものが湧き上がってきているのを感じていた。



 受験当日。忘れ物がないか今一度確認して家を出た。冷たい空気を肺に入れると、ぶるぶるっと肩が震えた。雪は降ることなく、今のところ電車の遅延の心配はない。白い雲がちらほら見えるだけで、よく晴れている。

 階段をゆっくり下る。未来に近づく一歩一歩を、しっかりと踏みしめたかった。

 下に降りて扉を開けたところで、名前を呼ばれた。

「よっ、たいちゃん」

「お、おはよう、トモ。……あれ? トモの受験校って、試験今日だっけ?」

「ふっふっふっ」

 トモはゆっくりと近づいてきた。

「俺さ、受験校変えたんだ。つーわけで、学校まで一緒に行こうぜ」

「えっ?」

 俺が驚いて固まっている間に、彼はスタスタと歩き始めていた。



 先を歩くトモを追いかけながら、尋問するかのように尋ねた。

「おい、トモお前なんで?」

「もちろん受験するためー」

「じゃなくって、受験校変えたってなんで? どういうことだよ」

 トモが初めて俺を見た。

「なんでって、同じ高校に通うためだよ、たいちゃん」

「俺と同じって……正気か? わざわざ偏差値落としたってことだろ。それに、俺のとこは受験する人結構いるよ。同じ中学のやつが少ない方がいいんじゃ」

「あー、それね」

 いたずらっぽい笑みを浮かべて続けた。

「なんか、前ほど気にならなくなったっていうか、どうでもよくなったっていうか。周りの人間より、俺はたいちゃんを選んだんだよ」

「な、なんだよ、それっ」

 そんな風に言われたら、どうしていいか分からなくなる。果たして喜んでいいのだろうか。

「それに偏差値高いって言っても、大きく変わるわけじゃねーし。むしろ太智ならこっちだって受かったと思うけどなあ」

 そういう問題じゃなくて。「俺を選んだ」っていうのがどういうことなのかを知りたいんだ、俺は。でも、いざ聞くのも変に勇気がいるものだ。

「その、『俺を選んだ』って?」

「ん? そのまんまだよ」

「そう言われてもさ。なんで俺を選んだんだ? 話が見えてこないんだけど」

 困惑しっぱなしの俺に、トモの声色が優しくなった。

「俺さ、中学校生活まじでどうでもよかったの。前に少し話したけど、自殺だって考えたし。いや、中学校生活って言うより、人生がどうでもよかった。ほら、誕プレだって。別にあげたいと思えるだけの人はいなかった」

 確かに、俺自身も相当驚いたけど、クラスメイト――いや、他クラスの人さえも、あの様子を見かけた人は目を丸くしていた。

「だけど太智がこっちに来てさ。真っ白な進路調査票を見て、俺と似たようなもの感じてさ。そしたら、いつの間にか話しかけるようになってた」

 トモの話を聞いて納得した。何故、彼のような人気者が俺みたいな無愛想な転校生に構ってくれるんだろうかと、不思議に思っていた。でもそれは、最初は同情だった。

 ――いや、少し違うかもしれない。彼は俺を通して、鏡越しに自分を見ていたのだ。彼は差し伸べられる手を待ち望んでいたんだろう。

「適度な距離感が楽だと思ってたし、そんなタイプだと踏んでた。けど、話してみていざ予想通りかなって思ったら、踏み込みたくなった。つか、踏み込んでた」

 夕日のことだろうか。

「でも俺は、トモに救われたよ。夕日を見せてくれて嬉しかった。学校で抱いた印象とはだいぶ違うなあとは思ったけど」

「あ、やっぱし? 俺も柄にもないことしちゃった」

 改札を通過して、駅のホームで電車を待つ。

「『同中のやつがいない代わりに太智もいない』学校か、『同中のやつはいるけど太智もいる』学校。その二つを天秤にかけたんだ。その結果、今に至るってわけ」

 素直に嬉しかった。こんなふうに言ってもらえて、嬉しくないはずがない。

「それに、こっちのが近いからばーちゃんに何かあった時に、駆けつけやすいしなー」

「そうだな」

 それから電車に乗り、学校に到着した。その間は参考書を開いていたけど、気がつけばぽつりぽつりと会話を交わし、参考書は俺たちを「受験生」に彩っただけだった。

「じゃあ、俺はこっちの教室だから」

 手元の紙と教室の表示を、交互に確認した。

「おー。そんじゃね。健闘を祈る」

 トモが差し出した拳に、俺は右手を合わせた。



 試験の翌日。俺たちが登校すると、目の前に女子が飛び込んできた。

「もー! トモ、志望校変えたってどういうこと? 同じ学校だから、一言くらい直接話そうと思ったのに全然見当たらないんだもん。私ハラハラしたんだからね」

 緒方の勢いは、トモの胸ぐらを掴みそうなほどだ。

「わーるい悪い。直前になって変えたからさ。俺、太智と同じ高校とこに行こうと思って」

「……太智と?」

 明らかに声色が変わった。緒方は驚きながらも、同時に探るような目で俺を見た。そしてわざとらしくため息をつくと、今度は途端にしおれた花のようになった。

「トモがいないんじゃ私、同中の友達いないじゃん……」

 まるで俺が責められているような気分になる。当の本人は、緒方の頭をぽんぽんと叩きながら、自分の席へ向かった。

「緒方ならすぐに友達できるって」

 俺を残して行くなよ。気まずいので、俺も席につこうとそそくさと歩き出した。すると後方から、なんとか聞き取れるくらいのか細い声が聞こえた。

「こんなの、いつまでも演じきれないよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る