第七話 大、大、大暴露
中学生最後の年が明けた。長期休みにはこっちに来なよと真人に言われていたけれど、結局はお互いに勉強に専念することになった。
放課後はほぼ毎日、トモとの勉強会だ。学校の図書室や俺の家で勉強することも増えた。
母さんとも顔見知りになり、最近ではおばあちゃんとかなり打ち解けている様子だ。母さんはキッチンを借りて、料理を披露することもしばしばあった。
放課後、枯れ木の続く道をトモと並んで歩く。ここに植えられている木々は全部ハナミズキだそうで、今はちょうど落葉の時期だけど、春になればまた花を咲かせる。
「……何色なんだろ」
花も実も付けていない裸の木から木へ、ぼんやりと視線を移していく。
「ん?」
「いや、ハナミズキ、咲いたら何色なのかなーと思って」
トモは一呼吸置いてから喋りだした。
「珍しいのなー、太智がそういうの気にするなんて。明日は雪降りそう」
「え、そんなに?」
冗談かと思いきや、雪は別として本気で驚いているらしい。
「だって太智、あんま周りのことに興味ねーじゃん」
「そうかな」
「うん。俺ら中坊、思春期真っ只中よ? 親しくなった俺に彼女がいるかとか、気にならない?」
……トモの言うとおりかもしれない。これまで過ごしてきた彼との時間から自然といないことを想像していたし、「気になって尋ねた」ことはない。
そういえば、俺がこっちに来た頃はこのハナミズキもただの枯れ木だと思っていたっけ。実を付けていたことはトモに言われてから気づいた。
「前の中学でも、お前好きな子いなかったんだよね?」
「……いなかった」
「ちょ、もうちょい青春しないの?」
あまり考えたことがなかった。年の近い女子と関わりがあったのは、幼馴染みのこころくらいだ。その彼女も学校は違うから、顔を合わせる機会も自然と減っていた。
「べ、別に。恋愛だけが青春ってわけじゃないじゃん。そういうトモはどうなの」
「ほー。部活とかやってればまだしも、それって大抵モテないやつが言うセリフよ? ちなみに俺は、彼女はいないけど好きな人はいる」
「えっ、誰?」
初耳だ。学校内での様子を見ていても、全然そんなそぶりを見せていなかったから。学外の知り合いの可能性を考えたが、彼曰く、同じ学校にいるらしい。
「俺が好きなのは……大野ゆかり」
大野ゆかり? クラスの女子にそのような名前の子はいない。他クラスか、もしくは学年が違うか。
「太智も最低一回は会ったことあるよーん」
いたずらっぽい笑みを向けられ、俺は脳内を必至に捜索した。けれど俺の記憶の中に、「大野ゆかり」は存在しない。
俺は観念して答えを促した。すると、トモの顔つきが急に変わった。これまでになく大人っぽい。色気さえ感じるようだった。
「……トモ?」
「太智、これ、絶対に誰にも言うなよ」
いつになく真剣な表情に、俺は頷き、心の中で言わないと誓った。
「大野ゆかり。他クラスでも他学年でもない。基本的に、いつも保健室にいる」
「……あっ」
思い出した。
「そ。養護教諭の大野ゆかり先生」
この日は俺の家で勉強をすることになっていた。お互いの家に一度帰り、着替えなどを済ませている。
トモを待つ間、先ほどの告白が頭を離れなかった。まさか先生に恋愛感情を抱いていたとは。度々「だるいから」と言って保健室に行っていたのは、彼女に会うためだったのだろうか。
チャイムが鳴り、いつものようにトモを招き入れた。まるでさっきの告白が嘘みたいに彼はいつもどおりで、話題にも出さない。それぞれ問題を解きつつ、分からないところを質問し合う。今までと変わらない時間が過ぎていった。
「なんかさ」
突然トモが言った。
「今日、静かだねー」
そう言われてみれば、この時間はもう少し外の声が聞こえてくるのに、それが今日はほとんどない。主婦だろうか、女性の話し声がたまに耳に入るくらいだ。もう少しすれば車の音も聞こえてくるだろう。
「あれじゃない? 最近暗くなるの早いし、寒いし、家に帰っちゃうんじゃない?」
俺の言葉が頭に入ったのかそうでないのか、トモは「んー」と曖昧な返事をして、窓を見上げていた。
「どうかした?」
トモは先ほどの返事を繰り返し、しかしその先を続ける気はないのか、口を閉じてしまった。
ちょっとばかりトモの言葉を待ってみたけれど、特に何もなさそうなので、視線をノートに戻した。
「こういう時ってさ」
「ん?」
トモが再び口を開いた。
「なんか、無性に寂しくならない?」
「え……」
急に同意を求められて、ふと気づいた。「寂しい」という感情を、そういえば俺はあまり抱いたことがなかったかもしれない。寂しいの定義でパッと思いつくのは「一人」や「孤独」。けど俺の場合は一人でいることは気楽だから、「寂しい」という感情を抱くことはなかった。
そんなことはない――そう素直に答えると、トモは意味ありげに笑った。
「そっかあ、たいちゃんは寂しくないかあ。そうだよね、俺がいるもんね」
トモは母さんの「たいちゃん」呼びを耳にしてからというもの、たまーにこの呼び名を使う。そしてそういう時は大抵、何かしらの意図がある。
「……なんだよ、急に。気持ち悪いな」
俺が眉を潜めると、トモはあの時と同じ、色っぽい顔つきになった。まるで愛おしい何かを愛でるような、そんな顔だ。
それから元の表情に戻ったかと思ったら、唐突にこんなことを言い出した。
「たいちゃーん。もういっこ告白。俺ね、中学卒業したら、告ろうと思ってんの」
「ええっ⁈」
「うおっ、びっくりしたあ。太智、そんな大きな声出せるのかよ」
自分でも驚いている。それから、開いた口が塞がっていなかったことにも遅れて気づく。果たしてこれはトモの告白に驚いたのか、はたまたこんなに大きな声を出した自分自身に驚いたのか。
「先生っていくつなの?」
どうしても気になるのがそこだ。
「んーと、確か今年――ってもう去年か。二十八になったって言ってたかな」
「一回りも違うじゃん!」
彼女の年齢なら、結婚適齢期だ。こんな子どもを相手にしてくれるとは思えない。
「ショタが好きかも」
「ショタとか言うな」
反射的にツッコミを入れると、トモはケラケラとお腹を抱えて笑い出した。
「ふははっ。太智、今の
何度か机を叩いて気が済んだのか、トモはまた大人びた表情に変わる。コロコロと変化するそれに、何故か「羨ましい」という感情が湧いた。俺には到底真似できない。
「もちろん、付き合おうとは思ってないよ。ただ気持ち伝えるだけ」
てっきり、普段隣にいる子の誰かだと思っていた。しかし、まさか恋の相手が先生だとは。
「……あのさ」
「ん、何?」
「どうしてその先生を好きになったの?」
これも正直かなり気になるところだ。
しかし、この質問でトモの表情は消えた。そして何か思いつめたように、口を真一文字に結んでいる。
「いや、言いづらければ無理に話さなくていいよ」
知りたい気持ちを抑えて、再び勉強に手を付けようとシャーペンを握った。
「……たいちゃん。これ、秘密な? ばーちゃんにも」
「え、うん。言わないけど」
軽く返事をしてしまった。
「俺ね……自殺しようと思ったことがあんの」
母さんが会社から帰ってきて、もうそんな時間になっていたのかと気づく。おばあちゃんが夕飯を用意している、とトモは何かに追われるように帰った。
それから少しだけ、と思い屋上へ上がった。眩しい夕日を眺めながら、弾けそうな風船いっぱいの感情を抱えている時もこの景色を見ていたのかな、と想像した。
――俺ね……自殺しようと思ったことがあんの。
いくら気になるとは言え、おばあちゃんにさえ黙っていてほしい内容なのだから、もう少し慎重に返事をするべきだったかもしれない。じわじわと後悔の念が襲ってくるのを振り払うように、頭を左右に動かした。
一方で、衝撃的な内容のわりに思ったよりも驚いていない自分もいる。時々だけど、トモのまとう空気に危うさのようなものを感じることがあったのだ。
自殺の理由は……人によっては、よくあることかもしれない。
――生きる意味が、分かんなくなっちゃって。
トモはそう言っていた。「これだ」という限定的なものではない。「なんとなく」這い上がってきた不透明な感情。おばあちゃんにさえ吐き出せなかったそうだ。
その頃からよく保健室に通うようになったと言っていたから、それで先生とも親しくなったのだろう。
それ以上は聞かなかった。
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