第五話 動き出すオータムデイズ

 トモに夕日を見せてもらってから、以前よりも前向きになれたような気がした。二週間後に迫っている三者面談に備え、俺はまず志望校を考え直すことから始めた。それまでにはきちんと志望校を選び、担任に報告しておきたい。

「おー、この前の本じゃん。志望校変えんの?」

  右側からトモの声が聞こえた。

「うん。この前は適当に決めちゃったから。ちゃんと考え直そうかと思って」

「ふーん」

 意味ありげな声色に、俺は冊子から目を離した。トモを見ると、彼はニタニタと顔を緩ませている。

「な、なんだよ」

「いーや、なんでも。そっかそっか、頑張りたまえよ」

 トモは愉快そうに俺の背中をバンバンと叩いて、手を振った。しかし、何故か俺に背を向けて教室のドアへと向かっている。

「あ、おい、もうすぐ予鈴鳴るぞ?」

「んー? だるいから保健室」

 トモは振り返ることなく、教室をあとにした。

 三限目の数学が終わっても、トモの席は空っぽのままだった。気になって緒方に尋ねてみると、彼女は困ったように笑った。

「あーあいつね、ちょいちょい授業をサボる癖があるんだよねー。よく保健室にいるの。成績は悪くないし出席日数も足りてるから、先生も何も言わなくなって、暗黙の了解みたいになっちゃってて……」

「そうだったんだ」

 トモの席は俺より後ろにある。自分から彼の席に行くことはほとんどなかったし、全然意識していなかったから、今まで気がつかなかった。

 四限目は体育だ。だるいからと言って保健室へ行ったのだから、わざわざ運動をしに校庭に来るはずがないと思い、俺は授業が終わってから様子を見に行くことにした。

 ところがどっこい、ハードルの授業で転んでしまい、早速保健室を覗く機会ができてしまった。ノックをして、初めて入る保健室に少し緊張感を覚えながら、そっと足を踏み入れた。

「どうしましたー?」

 スリッパのパタパタという音がした方に顔を向けると、白衣の若い女の人が近づいてきた。この人が保健の先生。思っていたよりずっと若い。三十は超えていないように見える。垂れ目と黒いおさげのせいかもしれない。

「あ、怪我ですね? 体育ですか?」

 彼女は俺の膝の傷に気づき、窓の外を見た。ここからはハードルに汗水流している姿がよく見える。

「ここにクラスと名前、内容のとこには『膝の怪我』って書いてくれますか。保健室の利用回数は、当てはまるものに丸を。他の欄は空白で大丈夫です。ここに座ってください」

 ドアの前に立ったままの俺に、先生はそう促した。俺は言われたとおり、ノートに記入した。

 ペンとノートを先生に渡し、ふと、最初に先生が来た方を見た。ベッドが二つ置いてあり、カーテンの閉められた方の床には一組の上履きがきちんと揃えられている。

「本郷太智くん……ん、保健室は初めて?」

「あっはい。二学期に転校してきたばかりで」

「そっかあ、大変な時期ですね」「えっ、太智?」

 二つの声が聞こえたのはほぼ同時だった。俺を気遣う先生の言葉も聞き取れたけど、それよりも大きな声の方を反射的に振り向いた。ベッドを仕切るカーテンが開かれ、目を見開いたトモがそこにいる。

「あ、トモ。具合どう?」

 緒方からは「サボる癖」と聞いてしまったけど、ひとまず起き上がれるようで安心した。

 俺が案ずる言葉をかけると、トモは「あー」と言いながら、頬をかいている。どうやら緒方の推測は間違っていないらしい。

「はい、終わりましたよ。横尾くんはどうしますか? 戻りますか?」

「あっえっと……戻、ります」

 トモが上履きを履くのを待って、二人で保健室をあとにした。



 結局、俺たちが廊下を歩いているうちに終業のチャイムが鳴ってしまい、グラウンドには戻らずそのまま教室へ向かった。教室の手前で、走ってきたクラスメイトに抜かされる。俺が自席に辿り着くまでの間に、すでに彼は着替えの半分を終えようとしていた。

 その様子をなんとなく見ていると、トモが水筒を手に耳打ちしてきた。

「今日は暑いってのに、よくそんなすぐに制服着られるねえ」

「はは。体育着、早く脱ぎたかったんじゃない?」

 十月に入り、制服は冬服になった。過ごしやすく感じられる日は増えてきたが、まだセーターを着用する気にはなれない。日によってはシャツの袖が肌に触れるだけで不快だ。それでも汗が染み込んだ体育着よりはマシだろうか。

 特に今日は気温が上がったので、この日に限って体育があるとは運のないクラスだ。

 俺が着替え終わると、トモは窓の外を眺めていた。心ここにあらず、といった様子だ。

「どうした? まだ体調悪いなら、保健室に――」

「いや、大丈夫だよ」

 そう強めに言葉を被せられてはもう何も言えない。トモの弱い笑みに、俺は彼との距離を少し感じた。

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