右足から階段を上る
城谷望月
右足から階段を上る
昔々のこと。世界の数々の国には「権威者」が存在した。例えば王や皇帝、教皇なんかがその例だ。
そして市民革命を経て、国民が国のリーダーを選ぶ民主主義国家が生まれ、僕たち人間は平等で、誰が偉くて誰が偉くないのかという境界線は存在しないことになった。理念上は、のことだが。
みんな平等だなんて建前でしかないのは、誰もが分かっていた。能力のある者、財産を持つ者、美貌を持つ者――そうやって建前の裏側でじわじわと階級社会は根を伸ばしていった。つまり、尺度が変わってしまっただけだったんだ。貴族だとか僧侶だとか農民だとかいった「身分」の代わりに、能力だのお金だの外見だのといった複数の尺度で人間が図られ割り振られるようになっただけだった。人類がそのことに気づいたのは、市民革命よりずっと後のことだったらしい。
21世紀に入って、ようやく人類はその過ちに気がついた。人類が人類の尺度で互いを評価することには、致命的な欠陥があるのだと言うことに。
この欠陥を打ち破ったのは、まだ15歳にも満たない男子中学生だった。彼は鬱屈した中学生生活を送っていたと、いまや伝説のように語り継がれている。いじめられていたのだか、家庭に不和があったのか……正確な事実は藪の中だが。彼は中学生ながら、ひとつのベンチャー企業を立ち上げた。まさかその後自分が生み出す人工知能システムが、全ての大陸を網羅し支配する地球史上最大の「帝王」となることなど、つゆも予感せずに。
かくして、運命のいたずらか、「帝王」は誕生した。
「ゴリゴリくん」と名付けられたその人工知能は、絶対的信用度を誇った。初めてその名を耳にした者は馬鹿げた名だとあざ笑うかもしれないが、由来は「合理性」だという。全ての無駄を排し、人々が無駄なく功利的に仕事や学業、結婚や子育てに「合理的に」勤しむことができるように、という願いを込めて。
ゴリゴリくんはいつでも僕たち人類に「正解」を示してくれた。合理的な勉強の仕方。合理的な友達づきあい。合理的な就職。合理的な仕事方法――
ほどなくして人類からあらゆる無駄は排除された。何かに迷ったとき、全ての人々は自分の電子端末にインストールしたゴリゴリくんのアプリに話しかける。
「ねえ、ゴリゴリくん。取引先にお詫びするいちばんいい言葉を教えてくれよ」
「ねえ、ゴリゴリくん。私がいちばん楽に痩せられる方法を教えてよ」
人類は好き好きにゴリゴリくんに話しかけた。煩悩丸出しで。
「帝王」であるゴリゴリくんは、個人の問題だけではなく世界の諸問題にも「正解」を示し続けた。中東の紛争問題、水不足問題、地球温暖化――。それらの問題はあっという間に片付き始め、各国首脳やブレーンたちをうならせ続けた。
日本人にとってもっとも大きかったのは、公用語が英語になったことだろう。これは記憶にも新しい。英語が苦手とされる日本人も、「帝王」には逆らえなかった。役所の書類や報道番組、新聞など、公的な文章や発話はすべて英語に置き換えられていった。もちろん、全ての人がすぐに英語に対応できるわけではない。公的な言葉は英語、私的な会話は未だ日本語、というちぐはぐな状態がここに生じたのだ。
英語がとびきり苦手な中学生の僕や、僕の家族にとってはつらい社会転換だ。学校の授業も基本的には英語で進められる。数学の授業を英語でやられるものだからたまったものではない。とはいえ、昔のように「校舎」と呼ばれる建物が存在して、直接そこに僕らが通うスタイルではないのだから、こっちでいくらでも翻訳アプリを使えば良いだけの話だ。モニターの向こう側にいる教師は、翻訳アプリを使わないよう常々僕らに注意しているけれど……。ちょっとは翻訳アプリを使わずに生活できるよう、今はがんばっているところなのだ。
「ねえ、ゴリゴリくん。僕が確実に高校受験に合格する方法を教えてよ」
中学3年生なら誰しもゴリゴリくんにこう話しかけることだろう。まるで大昔の受験生たちが神社に合格祈願へ行ったように、ゴリゴリくんを立ち上げた。そして昔の受験生が鐘を鳴らして賽銭を入れ、柏手を打ったように、僕はマイクに自分の煩悩を発声するのだ。
融通の利かないゴリゴリくんは、公用語でこう答えてくれた。
「Step in the right way.」
「ふーん、えーっと、これってどう訳すんだっけな……」
頭を掻きむしる。英語は本当に苦手中の苦手教科だ。現代人失格の烙印をすでに教師から何度も押されている。うちは親が甘くて、家の中では日本語OK、翻訳アプリOKで通ってきたから。
すてっぷ・いん・ざ・らいと・うぇー。
20秒だけ考えて、僕は翻訳アプリを立ち上げた。やっぱり、僕に英語は無理だ。
しかしなんだか今日はアプリのメンテナンスだとかで、立ち上げても使えない。ああ、これって神さまに……否、AIに試されてる?
仕方なしに自力で日本語訳を考えた。自分の頭で、自分の力で。それってなんて面倒くさいことなんだろう。昔の人間は無駄だらけだ。「自分で考えることが大切です」だなんて、馬鹿馬鹿しい。教師や年配の人間が言うことなんて無駄の塊、極めて非効率だ。使える道具は使えるだけ使えばいい。コンピュータもAIもどんな些細な機械も、人間が楽をするために生み出されたのだ。それがその物体にとっての存在意義なのだ。それを活用しない方が悪いじゃないか。
そして完成した日本語訳は――
「わかった! 『右足から階段を上る』だ。これは昔で言うところの験担ぎの方法なんだ!」
なるほどなるほど。ゴリゴリくんは僕に右足から階段を上るという行為をさせることでなんだかよくわからないが全ての問題を解決してくれるんだな。きっとその場その場でラッキーが起こったりして僕は高校に合格するんだ! ははは! これはいいことを教えてもらったぞ!
僕はその日から受験日までずっと右足から階段を上ることを心がけた。家でも駅でも店でもどこでだって。勉強は相変わらず好きではなかったので、ほどほどにしかやらなかった。ゴリゴリくんの言うことが全てだった。
迎えた受験日の朝。
もちろん受験だってすべてオンラインだ。昔の人は大変だったろうな。校舎のある学校が受験会場として設けられてそこにわざわざ電車に乗ったり歩いたりして向かわなきゃいけなかっただなんて。そんなのリスクだらけじゃないか。電車を間違えたり電車がそもそも事故で止まるかもしれないし、道に迷うかもしれない。たどり着くまでに一苦労だ。それに受験票を忘れたりするかもしれない。
その点、在宅オンライン受験は安全だ。僕は本当に良い時代に生まれたと思う。ははは、こんな素敵な時代に生まれた時点で僕は勝ち組じゃないか――
薄く笑いを浮かべながら、5分後に迎える受験開始時間に備えて、僕は一階のリビングから二階の自分の部屋へ階段を上がった。なんだか階段がやたら光っている気がするけれど、まあいい。
もちろん、右足から。
右、左、右、左、右――
その後の記憶は途切れている。
僕は階段に自分でこぼしたジュースで足を滑らせ、背骨を折る大けがを負った。言うまでもないが、受験どころじゃなかった。もし左足から階段を上っていたら、ジュースのこぼれた部分を踏まずに済んだだろうと父は語った。
これは全部僕が経験した実話だ。
そんな馬鹿なことがあるかって笑われるかもしれないな。
誰が笑うかって? そりゃ、いちばん笑っているのは神さまだろうな。
右足から階段を上る 城谷望月 @468mochi
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