閑話 リオ

 ゴミが散乱する路地裏を少年は裸足で歩く。身に纏っている衣服は、ボロ布と呼ぶほうが相応しいもの。更に、全身のいたる所に、緑色の液体が付着しており、体からはきつい匂いを放っているが、周りもそうなので、誰も気にしない。


「おい!ガキ!!そいつは何だ?」


 脂ぎったボサボサの髪と、汚れた髭を伸ばした浮浪者が、少年に声をかける。彼が手に持っている物を目ざとく見つけたのだ。


「ゴブリンの角と魔石だけど」


 そっけなく答える少年に浮浪者は顔を輝かせる。


「やっぱりか!!飯のネタになる!おい!ガキそれを寄越せ!!」


「…」


 浮浪者の言葉を無視し、少年は歩き出す。早く行かないと買い取ってくれる商店が閉まるかも知れない。


「テメェ!!無視してんじゃねえよ!!ぶっ殺すぞ!!」


 無視された事に腹を立てた浮浪者は、怒りに任せて少年に掴みかかる。


「煩い!」


 浮浪者の手を軽やかに躱した少年は、その眼前まで跳躍すると、手に持っていた粗末なナイフを一閃させる。


「ぎゃぁぁぁぁ!!目が!!おれの目が!!」


 切り裂かれた両目から血を流しながらのたうち回る浮浪者を無視し、少年は再び歩き出す。


「おい!今やられたの誰だ?」


「さあな?見ない顔だ。田舎から流れてきた新入りだろう」


 一部始終を見ていた浮浪者達がヒソヒソと話し始める。


「あの「鬼刈のリオ」に喧嘩を売るとは馬鹿な奴だ」


「仕方ねぇ。見た目は唯のガキだ。それが、飯の種になるゴブリンの魔石や角を幾つも持ってウロウロしてんだ。俺だって知らなかったら襲うさ」


「ま、あいつは運がなかったって事だな」


 路地裏を寝床にする浮浪者達で、目が見えなくなればどうなるか。誰でも容易に想像できる。


 浮浪者達の声は少年には聞こえているだろうが、気に留めない。彼は、馴染みの商店に行くと、店番をしている中年の男の前に持っていた魔石を全て置く。


「どうぞ!」


 店番はちらりと、魔石を一瞥して、数を数えた後、銅貨の入った袋を少年の前に置く。


「今度からは薬師の爺さんの所に行く時だけじゃなくて、家に来る前にも風呂に入ってきてくれ」


「解った」


 店番の言葉に小さく頷いた少年はその場を後にする。角は薬屋の爺さんに売らないといけないが、その前に風呂に入らないといけない。薬屋には患者が来ている事も多く、不潔な格好で行くと、爺さんは怒って角を買ってくれない。


「よし!」


 一度裏路地に戻った少年は、一軒の店の前で立ち止まる。通りではなく、路地裏に店を構える以上、あまりまっとうな所ではない。しかし、少年は躊躇せずに扉を開ける。


「いらっしゃい」


 カウンターに座っているのは三十半ばの女性。髪や肌は手入れをされておらず、荒れているが、その上から厚い化粧と安物の油を塗りたくって誤魔化している。


「アデラさん居る?」


「居るよ!」


 ぶっきらぼうに答えた女性は少年の前に手を突き出す。


「銅貨50枚!」


「はい」


 少年が言われた枚数の銅貨をカウンターに置くと、女性は頷いて奥に向かって大きな声を出す。


「アデラ!!!アンタに客だよ!!」


「ハイハイ!」


 疲れた様な声を出して奥から出てきた女性はカウンターの女性と同じく厚い化粧をしており、胸元や太ももが露出した扇情的な格好をしている。歳の頃は三十代前半といった所。疲れた雰囲気や目元の隈を合わせれば四十代に見える。


「ああ!客ってアンタかい」


 女性は頷くと、少年の手を引いて奥に有る個室に入る。


 個室の中には簡素なテーブルとベッドだけが置かれており、隣にある仕切りの奥には、並々とお湯が溜められた大きな桶が2つ有る。


「これ、洗っといて」


 少年はさっさと脱いだ服を女性に預けると、桶の前に行き、黙々と体を洗い始める。


「全く。何時も思うがあたしらの仕事は男の相手をすることだよ。此処は男の体を洗う場所さ。服を洗う場所じゃない」


 文句を言いつつも、女性は少年の衣服をもう1つの桶に突っ込んでゴシゴシと洗い始める。


「体なら洗ってるじゃん」


 少年は呟きながら手近に在った古びた布で、体を拭う。


「普通は娼婦が男の体を洗うのさ」


 苦笑した女性は洗っていた少年の衣服を桶から取り出す。何度か眺め、汚れが残っていないか確認した女性は、それを適当に干す。


「明日には乾くと思うよ」


「そう!おやすみ」


 女性の言葉に短く答えた少年は、体を洗い終えると、ベッドに入り、スヤスヤと眠りにつく。


「まったく。売○宿を寝床代わりに使わないで欲しいもんだね。まあ、こっちは楽だから良いけどさ」


 苦笑しながら女性もベッドに入る。元々寝ること以外を目的に作られたベッドは大きく。少年と女性が寝ても十分に余裕が有る。


「さてと。前に来たのは三日前だったかな?ちゃんと寝るのは三日ぶりだね」


 久々にちゃんと眠れることに喜びつつ、服の洗濯だけで銅貨50枚を払わせていることに若干の罪悪感を覚えないでもない。


「まあ、湯の代金も入ってるし、こんなオバさんに誘われても迷惑だろうから良いけどね」


 女性の子どもは、生きていれば少年より3つ年上だ、最も、行方が知れないし、生きている可能性も低いが。


「さて!寝るかね」


 女性は力を抜いて微睡みの中に落ちていく。


 そして、朝日が顔に当たり、意識が浮上する。


「ん?何だい?もう朝?」


 眠気眼を擦りながら起きた女性は室内を見て、困惑する。室内にはタンスや机などが置かれ、質素だが、化粧台まで有る。どう見ても売○宿の部屋には見えない。


 そう思った所で意識がはっきりしだす。


「ああ!夢かい!随分昔の夢を見たねぇ」


 もう5年も前の夢を見るとは、疲れているのだろうか?


「しっかし朝日が眩しいね。ん?朝日?」


 女性の顔から血の気が引く。慌てて今の仕事着に着替え、自室を出て、この屋敷の主の部屋に向かう。


「准男爵様!!准男爵様!!朝です!!朝!!」


 ノックもなしに無遠慮に扉を空け、主の寝室に入る。中にはベッドで眠るこの屋敷の主人の姿。夢で見たときに比べると、その寝顔は随分と大人びているが、線が細く、まだあどけなさが残っている。


 その布団を躊躇もなく引き剥がすと、その体を揺すって覚醒を促す。


「准男爵様!!准男爵様!!起きないと遅刻いたしますよ!!百騎将が遅刻など、兵たちに示しが付きませんでしょう」


「ん?んん??」


 眠気眼を擦りながら目を空けた少年は女性を見る。


「夢見てた」


「はぁ?」


「5年くらい前の夢」


「え!?」


 少年の言葉に、驚いた女性は目を見開くが、それどころではない事に気づいて、声を上げる。


「夢はいいですから、早く起きてくださいませ!!遅れますよ!!」


 女性の言葉に少年は首を振る。


「え?」


「今日はウチの隊は非番。だから行かなくて良いの」


「さ、左様でしたか」


 少年の言葉を聴いて女性はガックリと脱力する。


「お腹空いた!朝ご飯作って!」


「ハイハイ。ご用意しますのでお待ちください」


 女性は先程までとはうって変わって、落ち着いた態度で一礼して部屋を出る。


 朝食を優先しなくてはいけないが、その前に郵便受けのチェックだ。放っておくと朝露にやられるかも知れない。


「またかい」


 郵便受けの中には豪商や地主などからの手紙がどっさり入っている。それに混じって下級貴族からの手紙も幾つか有る。大方何時もの縁談の話か、使用人として雇って欲しいと言う話だろう。読んだ主の反応に予想はつくが、手紙は全て渡すのがこの屋敷の侍女頭たる彼女の仕事だ。


「さてと!」


 屋敷に入り、キッチンに戻ると、昨日買った食材で簡単な朝食を作り、ダイニングの食卓に並べてから、再び主を呼びに行く。


「ありがとう!」


 部屋着に着替えてきた主はダイニングに着くと、朝食を食べ始める。


「そう言えば、此方が届いてましたよ」


 大きい食卓の空いている場所に手紙を乗せると、彼はそれを一瞥したが、食べる手は止めない。


 黙々と食べ続け、食事を終えると、笑顔で美味しかったと告げて、漸く手紙に手を伸ばす。


「あ〜」


 読み進めるが、何時もと同じくどうでも良さそうな表情だ。


 どうでも良さそうに羊皮紙を置き、次の手紙に取り掛かる。


 読み終えた羊皮紙を纏めておこうと手を伸ばした彼女の目に、手紙の内容が飛び込んでくる。この5年間、主と共に字の勉強をした彼女にはその内容が理解できる。ついつい読み進めてしまい、思わず声を上げる。


「何ですか!!これは!!モルテン殿は准男爵様を軽んじてるんですか!!」


 手紙は豪商モルテンが少年に当てたもの。自分の娘は美しく器量も良い。ぜひ嫁にどうかと書かれている。

 少年は准男爵。貴族である。貴族の正妻は同格か爵位が一つ違いの貴族家出身の娘がなるのが一般的だ。商人などが貴族家と縁戚に成りたい場合、娘などを側室として貴族家に入れる。

 しかし、この手紙には嫁と書いている。普通は側室と書く。つまり正妻にしろと言っているのだ。

 これは、お前は自分と同格だと言っているに等しい。商人が貴族に同格だと言うなど不敬どころの話ではない。


「すぐにモルテン殿に抗議するべきです!!」


「放っておけば良いよ」


 気のない返事をする少年に女性はついつい声が大きくなる。


「リオ!!侮辱された様なものなのよ!!解るでしょ!!」


「アデラさん」


「あ!申し訳ありません」


 ついつい名前で呼び捨てにしてしまい、慌てて不敬だったと謝罪する女性に、少年リオは静かに告げる。


「体面を気にしすぎ。俺は今は貴族だけど、5年前までは路地裏の孤児だった。アデラさんも、今はメリーン家の侍女頭だけど、5年前は場末の娼婦だったでしょ?

 軽く見る奴はいっぱい居るよ。でも、実害が有るならともかく、そうじゃないなら言いたい奴らには言わせておけば良い」


 それだけ言うと、リオは新しい手紙を手に取る。それに王家の紋章が付いている事を見つけ、少年は苦笑する。


「ア・デ・ラさん?」


「あ!も、申し訳ありません」


 王家の紋章が見えるように手紙を振られ、アデラは慌てて謝罪する。本来は、他のどうでも良い手紙と分けて、真っ先に見せないといけない手紙だ。


「そんなに謝らなくても良いよ」


 もう一度苦笑したリオは手紙の中身に目を通し、ため息を吐く。


「いかがいたしました?」


「ルベリア王国の件の続報が入ったからすぐに王宮に来るようにって」


「ルベリア王国?ああ!王家でゴタゴタがあったのでしたか?」


「そう。陛下はルベリアの混乱に付け込んで領土を拡大するつもりかな?」


「幾ら何でも小国ゼギアが、大国ルベリアに挑めがひとたまりも無いと思いますが?」


「確かにね。陛下はどうするおつもりかな?とにかく行ってくるね」


 代わりの休日貰えるかな?と呟きながらリオは屋敷を後にした。

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