第四章 Over

第30話 いつか僕らが目指したもの


PC画面が真っ暗になる前、一文だけメッセージが表示された。


【パピ】『ごめんね光悟、貴方は貴方の世界で幸せになってね』


光悟は認めなかった。

カチカチカチ何度もクリックをしながら何か方法があるの一点張りだ。

和久井ではなくティクスが言っても、パピは俺が守るとしか答えなかった。


和久井はなんだかとても腹が立った。

こんな自分ですらパピの苦しみが少しは理解できるつもりだ。

彼女がどんな気持ちであのメッセージを送ったのか? 何があったのかはサッパリだが、昨日のあの態度から死を選ぶなんて絶対に大きな葛藤があったに決まってる。

なのに光悟はそれを無視して、また自分を殻で隠そうとしている。

巻き戻すことを否定しようとした彼自身が、また前に戻ろうとしている。


「諦めろよ! お前馬鹿か!? お前のそういうのが彼女を苦しめてたんだろうが!」


「馬鹿はお前だろ和久井! あのままでいいわけがないッ!」


「お前はな! でもパピは違う! テメェは昔からそうだ! 正義? ヒーロー? 馬鹿じゃねぇの。お前の自分さえよけりゃいいみたいな偽善が周りを傷つける!」


事実、和久井も傷ついた一人だった。

そりゃ昔は仲がよかったが、光悟がおかしな行動ばかりするから、友達だという理由で和久井もいろいろ馬鹿にされた。


和久井は光悟が嫌いだった。

和久井は光悟に高校生活をめちゃくちゃにされた。

和久井は頭がいいから学校とは世間から隔離された一つの国だということを知っていた。


だからまずやるべきはヒエラルキーの上部に自分を置くことだと知っていた。

和久井は半グレ集団と知り合いだという不良に気に入られた。金を要求されたので光悟に貸してほしいと言うと、彼はたくさん貸してくれた。

昔から光悟のせいでいろいろ迷惑を被っているので、それは当然のことだと思った。これで自分の位置は安定だと思った。


ある日、和久井は振り込め詐欺の受け子をやってみないかと誘われた。

和久井は賢いので断ったらロクなことにならないのを知っていたし、お金が貰えるのは魅力的だったのでそれを引き受けた。

ヘラヘラ笑っていた。あまり面白くはなかったけれど。


なんとなく光悟に自慢してみた。

すると後日、光悟はその不良グループに和久井をそんなことに巻き込むのはやめろと言いに行った。

ましてや詐欺なんていけないことだと説教をした。当然光悟は不良グループにボコボコにされた。

リーダーが和久井にもやれというので、和久井は考えた。


和久井は賢かった。

和久井は光悟を殴った。蹴った。角材で殴った。


後日、光悟は先生にすべてを相談した。

チクりなんてのは学生で最も恰好悪い行為だ。先生に言いつけてやるなんてダサくて最悪だ。だめだめだ。

不良グループは全員退学になった。和久井は巻き込まれた被害者として許された。


後日、光悟は半グレ集団にボコボコにされた。

光悟は警察に言いつけた。姑息なヤツだと思った。

それほど規模のある集団ではなかったらしく、連中は簡単に逮捕された。

全てが終わった後、光悟は和久井の家に遊びに来た。彼は青アザまみれの顔で笑った。


『安心しろ和久井! もう大丈夫だ!』


和久井は賢いから光悟を裏切ったことを理解していた。

光悟がとるべき行動は自分と縁を切るべきなのだということも理解していた。

だが光悟は何度も遊びに来た。お菓子を持ってきた。和久井が罪の意識から不登校になったとしても、それは変わらなかった。


「惨めすぎるんだよ……! お前はいつも!」


今の光悟と、今の自分に投げた言葉だ。

感謝、申し訳なさ、悔しさが複雑に渦巻いている。だからいつだって心が痛い。


「そう、だな。すまない。すまなかった」


光悟は部屋を出た。

和久井もティクスも追いかけてくる気配はないので、ただ行く当てもなくフラフラと歩く。

疲れたので知らない喫茶店に入ってみた。他に客はおらず、水を持ってきたのはかつて極光戦士ティクスで主役を務めた俳優だった。



ファンでした。

そういうと男は向かい側に座った。

俳優を辞めて妻の名字を名乗り、妻の地元で喫茶店をしているらしい。

吸っても? 光悟が頷いたので、男はタバコに火をつけて咥えた。わかってるとも、脇役で出た二時間ドラマじゃファンにはならない。


「なんか申し訳なかったね」


「プリズマーって覚えてますか?」


「……変身アイテムだろ? あの玩具、まあまあ売れたって聞いたよ」


「持ってました。なくしたと思ってたけど……、違う。捨てたんです」


持っていると馬鹿にされるから川に捨てた。男はそれを聞くと煙を吐いた。


「一時期やめたんだ。子供たちが見てるかもしれないから。あの子たちはそういう大人の事情なんて知らないからね。けっこう頑張ったよ。道に金が落ちてたら律儀に拾って交番に届けてたし、なんか落ちてればどんなに汚いヤツでもゴミ箱まで持ってった。迷子を見つけたらどんな用事があっても親探しを手伝ったよ。一回それで現場遅れて監督にマジギレされたけど誰が見てるかわかんないもんな。態度の悪いスタッフにもそりゃ優しくしたよ。逆に今の子たちってどうしてんのかな? 俺の時代はSNSなんてなかったけど今だと誰でも呟けるだろ? 下手なことなんてできないよな。それとも気にしてないのかな。割り切ってるのかな。普通にキャバクラとか風俗とか行ってんのかな」


男はそれなりに早口だった。

タバコを持つ手に力が入っていた。


「俺、それなりに矜持はあったよ。オーディションで掴み取った時から公私ともにヒーローになろうとしてた。でも俺はヘビースモーカーだったからやっぱ急な禁煙と、オーディションで勝ち取った主役っていう重圧で精神の具合が悪くなったのかな?」


男は当時を思い出していた。確かにとても辛そうだった。


「耐えられなかったんだ。正しくあり続けることが。いつか心が真っ黒になるかもしれないって思ったら薬を飲まなきゃ眠れなくなった。あ、もちろん普通のヤツね。まあ人間は完璧じゃない。でもヒーローは完璧でなければならない……」


視聴率が悪いとドヤされた。

両親から電話で子供向けのジャリ番なんて恥ずかしくて周りには言えないからもっと早く月9とかに出てくれ、何のために大学を辞めたんだと言われ。

共演俳優の大御所がとんでもないパワハラ野郎で。

まあ俺も未熟だった。軽い気持ちであの女優を抱いたら向こうが結婚してくれなきゃ関係をバラすとか云々。


「気づいたらヒーローが円形脱毛症だ。その実、俺が一番正義の味方を欲していた。颯爽と現れて俺を助けてほしかった。俺を救ってほしかった。俺の手を取って……」


でもヒーローなんていない。近くにあったのは酒くらいだ。

でも実際、度数が高ければ高いほど嫌なことを忘れられた。

あの日も結構飲んで、電話がかかってきて、スポンサーの社長が呼んでるから今すぐ来て媚びを売れって。だからそれで車で――

そこで男は言葉を止めた。光悟が泣いていることに気づいたからだ。


「……何か悩みでも?」


「どうしていいか、何をすればいいのかもわからないんです。俺には正義が見えない」


「そういう時もあるだろうね。時代が悪いのさ。生きていればいつかなんとかな……」


男は、あれ? と思った。腕にプリズマーがあった。勘違い。腕時計だった。

みんな夢を忘れていく。みんな希望を口にしなくなる。それは当然のことなんだ。


『だからこそ、あの時、俺たちが目指したのは――』


男からティクスの声がした。それは男にしか聞こえなかった。男は真顔になった。

慌ててタバコを踏み消した。床が汚れたが必死に謝れば許してくれる筈だ。

すぐに換気扇と空気清浄機をオンにした。なぜそんなことを? なぜってそりゃ俺が――……。


「少年! 諦めちゃダメだ! 俺は諦めたけど、俺にはできなかったことだけど! だからこそキミはその姿を嘘にしてくれないと! ほらほらどうした! 泣かないで!」


男は光悟にエールを送り始めた。

『九十九回失敗しても、百回目は成功するかもしれない!』だとか、テレビで聞いたことのあるポジティブなセリフを思いつく限り投げた。

我ながら凄まじく無様で情けなかったが、しかしもしも今、目の前にいる光悟を救うことができたなら、彼はきっともう一度あの時失いかけた言葉にできない大切な何かを再び掴み取れる筈なんだ。

それはもしかしたら生きていく上では必要のないものなのかもしれないけれど。


「俺は『―――』になれますか?」


光悟が震える声で言った。男はすぐに答えた。


「なれるとも! 絶対に! 俺が保証するさ!!」


窓から木漏れ日が射す。強い光が男の影を作った。

それはかつて男が変身していた極光戦士の姿であった。ティクスが言うなら間違いないので、光悟は部屋に戻った。

月神と柴丸が遊びに来ていた。

勝手に和久井とスイカを食べていた。


「スイカは種がウザイから嫌いだったが、これはハイセンスだ。甘くて美味いね」


「トモヤンの家が農家で。毎年甘くて大きなスイカを贈ってくれるんだ」


「そうか。しかし真並くん。キミの部屋はやたら手紙や年賀状が多いが?」


「有田と谷岡さんは毎年贈ってくれるんだ」


「そうか。しかし物も多い。統一性がないのは嫌いだぜ」


「玄関にあるお面は高田のお土産だ。キッチンの木彫りの熊は山崎からもらった」


「そうか。パソコンのお気に入りを見たがメイク動画のチャンネルが登録してあった。キミはメイクをするのか? あと動画の女性がキミらしき人物にお礼を言っていたよ」


「村瀬さんのチャンネルだ。応援する意味で登録してある。六十四万人もいるんだぞ」


「そうか。凄いね。ところでこの萌えフィギュアはなんだ? 明らかに浮いている」


「和久井の奥さんだ。触ると怒られるから触るな」


「そうか。ところで落ち込んでいると聞いたぜ。呆れたね、あれだけおれに偉そうにしておきながら。失望したよ、所詮キミもその程度というわけなのか」


「だがもう大丈夫だ。俺はパピを助ける。協力してくれ月神」


「そうか。じゃあ話しておこうかな、おれの考え」

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