回想 ハイデルベルグの思い出-5

建物の中には、たくさんの人が横たわっていた。

鼻先をくすぐる匂いは、知らないはずの死の匂い。

何故かそう思わせるなれない香りの中で、一人、祈るように両手を組んでいた。


それは少女だった。

その髪は長く亜麻色で、

その肌は白磁のように滑らかに白く、

わたしたちに気づいて振り返ったその瞳は、

わたしと同じように、深い、深い茶色の目をしていた。


「なにを、しにきたのですか?」

「ここにいる人々を、わたしは癒しています」

「傷も病もないあなたたちは、何を望むのですか?」


聞こえてきた声は聞き慣れないはずなのに、なぜかわたしを不愉快にさせた。

その声はどこにでもいそうな少女の声で、不快さなんてありはしないのに。

握りあっていたキルトの手は、驚いたように強く私を握りしめていた。

まるで、そうしなければ離れていってしまうかのように。


「投影体よ、虚ろなるものよ、真実に似せた偽りのものよ」


ローザさんが、さっきと同じように手を真上に挙げる。


「汝を滅ぼし、世界を正し、帰るべき……場所へ」


けれどその声は震え、集まっていく光はずっとか細く


「なさなければ、ならないのだ。わたしが、あなた、を……」


・・・・・・


光は、亜麻色の髪の少女に届かず地に落ちる。

手を下した彼女は泣き崩れ、震えたままの声を漏らす。


「どうして、どうして私が、あの子を、私の……」

「違うよ、ローザ」


黙っていたモーゼスさんが声をかける。


「君が願うのは、この結末じゃない」

「そんなこと!」

「大丈夫、人は忘れてしまえる。あまりにもよく似たその顔も、きっと」

「!!! あなたも」

「いいや。でもきっとそうなんだろうって、予想ならできるから。さて、キミ」


亜麻色の髪の少女に、彼は声をかける


「すまない。けれど、未来を選ばなくてはいけないんだ」


「ここで、苦しむ人を癒すよりも大切なことですか?」


「あぁ。苦しむように生み出された彼らを、安らかにさせるためにも」


「……わかりました。では、どうか幸せになってください。苦しそうな、あなたも」


「ありがとう、キミの祈りにも、きっと応えよう」


彼の聖印が光を放つ。

光がときはなたれ、目の前がまっしろになる。

こうして見えた光景は真実なのか、それはわからない。

けれど、この瞬間は巻き戻された。

それを望む人がいたから。


そうして、この未来は捨て去られた。


・・・・・・


光が、亜麻色の髪の少女を貫いて地に落ちる。

胸を穿たれた彼女は崩れおち、声を漏らす。


「これで、いいのですね」


「あぁ、そうとも。私達が、正しいものにしてみせる」


何かを悟ったように、少女は穏やかな声で呼びかけた。

ローザさんは、誓うように彼女の言葉に答えた。

その声はもう、震えてはいなかった。


目を閉じた彼女から、”何か”があふれ出したように風が騒いだ。

Non、この”風”は、空気ではなく世界の震えているせい。

混沌が、世界を傷つけようとする何かが、これからの運命に抗おうとしている。


二人の騎士が、聖印を掲げた。

その輝きに向かって、光を、時を、世界を縛る何かが殺到する。

けれど二人はただ、それを見ていた。

なぜならそれはもはや、恐れるものではないから。


「「シャンドールわれらの聖印を以って、この地の秩序を取りもどす」」


世界の姿が変わっていく、あるべき姿に還るために。



・・・・・・



風が吹いた、穏やかに、一度だけ。

気づけば、世界は元に戻っている。

まるで、何も起きていなかったかのように。


「いやぁ、何もかも消えてなくなるとはねぇ。ボクらは夢でも見てたかな?」

「否定。確かに混沌は収束し、彼らが浄化したのです」

「まぁそうだね。お二人とも、幾らか規模の足しになったかな?」

「……えぇ、確かに」

「それはなにより。輝きが増したなら、きっともっといろんなことができる」

「肯定。願うことがある者に、聖印が力を授けることは確かな事実です」

「そう、ですね」


わたしたちは、ぼんやりとその話を聞いていた。

全部終わってから聞こうと思ったことがあったはずなのに、それも思い浮かばない。

手をにぎりあったふたりわたしたちは、すっかりくたびれてしまっていたから。


「さて、と。皆さん、一度屋敷に行きましょうか。食事にしましょう」

スュクルさんが、みんなに呼び掛ける。

そうして、初日に起きた騒動は終わる。

一連の記憶の中で、一番強く残っていた出来事が。


・・・・・・


それから帰るまでの日々は、正直に言えばたいして印象に残るものではなかった。

なんどか混沌操作を見せてもらったけれど、わたしは一度も気づけなかったし。

一方キルトはコツをつかみ、帰るころには的中させられるようになっていた。


それは羨ましかったし、あの子だけ褒められることにもやもやした思いもあった。

ただ、得意がるあの子自身を嫌うこともなかったし、そんなに悩んでいなかった。

あの頃は追いつけると思っていたし、置いていかれることもないと思っていたから。


そして、魔法師見習いだった私の覚えている記憶はここで終わる。

結局、魔法師になれなかったわたしはハイデルベルグを去ることになったのだ。

制御できない魔法に繋がる記憶は消し去られ、ほとんど残っていない。


けれども何故か、このとき記憶は残されていた。

どうして消えずに残っているのか、この記憶はわたしにとって何なのか。

折に触れて他人に話して見せては、自分に向かって問いかける。


けれど、例え答えが出ないとしても、忘れることはないだろう。

この記憶が、これからのわたしを織り上げる一部である限り。

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