Dragons' Heaven-02



 戸惑うヴィセ達を知ってか知らずか、女性はハイヒールの踵をコツコツと鳴らして歩み寄って来る。服装、態度、それらから察するに金か権力か、もしくはそのどちらも備えていると思われた。


「キャロルのファンかな、俺サインしてもいい」


「んなまさか」


 ≪妙な匂いがする、果実のようだが……この匂いはあまり得意ではない≫


「香水だな。付け過ぎなんだと思う」


 女性がヴィセを腕組みをして見上げ、それからラヴァニを指す。


「これをわたくしに」


「……はい?」


 ヴィセは何と言われたのか、理解するのに時間が掛かった。通りは静けさを取り戻し、小鳥がさえずりながら頭上を飛んで行く。


「ラヴァニのこと? おばちゃんラヴァニ好き?」


「おば……コホン。ラヴァニとはこれのことかしら? もちろんタダでとは言いません」


 ≪我をコレ呼ばわりとは無礼者だな、焼き払うか≫


「あ、えっと……ラヴァニは人形やおもちゃじゃないんです」


 ラヴァニの事を小さなドラゴンだと思っていない可能性がある。ヴィセは断りながらやんわりとラヴァニを撫でた。ラヴァニは威嚇のように口を開けてみせ、ヴィセの肩に乗る。


 女性はそんなヴィセに憮然とした顔を見せ、財布を取り出した。


「わたくしがガラクタ趣味だとでも? 生き物なのは分かっています。お幾らかしら」


「ラヴァニは俺達の仲間だよ! 買ったんじゃないもん!」


 ≪こやつは商人の類か? そうは見えぬ≫


「えっと……もしかしてラヴァニを売ってくれと?」


「わたくしは強奪する気はありません。対価は支払いますわ、当然のことでしょう」


 女性は怪訝そうな顔をし、再び財布へと視線を落とした。札束を数え、ヴィセ達の顔を見ないまま好きな額を言えと告げる。ヴィセ達がラヴァニを売ると思っているようだ。


「あ、いや……何で俺達が売ると思ったんですか? それにラヴァニは俺達の物ではありません、一緒に旅をしている仲間です」


「このわたくしがこんなにも頼み込んでいるのに、断るつもりですか?」


「それ、頼み込む態度ですか?」


「このわたくしって、どのわたくしか俺知らなーい! 知らないおばちゃんと話したら駄目ってヴィセが言ってた」


「おばっ……コホン」


 女性はこの付近で有名なのだろう。しかしヴィセ達は旅をしており、どの町の誰が権力者なのかは把握していない。ヴィセ達が自身を知らないのだと理解し、女性はようやく名乗る。


「ビヨルカ・ニーカーよ。夫と貿易商をしておりますの」


「はあ……でもすみません、ラヴァニをお渡しする事は出来ません」


 ヴィセが断り、ラヴァニも再度威嚇を見せる。ビヨルカは驚きつつも、財布を引っ込めずにいた。


「まあっ! 浮浪者のような荷物を抱えておきながら、お金に困っていないフリなどしなくてもいいのです。額をおっしゃって」


「お金には困ってません。稼ぎはありますから」


「庶民の稼ぎなど、微々たるものではなくて? 100万イエン程あれば当分は楽になるでしょう? そちらの珍しい生き物も、良質な餌が必要でしょう」


 ビヨルカは全く動じていない。今までの人生の大半をお金で解決してきたのだろう。ヴィセが所持金を明かし、あらゆる土地を回る時間も金もあるのだと告げると、ようやく財布のチャックを閉じた。


「ということで、ラヴァニをお渡しする事はありません。ラヴァニも嫌がってます」


 ≪我を飼い慣らそうなどと思わぬことだ。気高きドラゴンをみくびるでない≫


「おばちゃんのこと、嫌だってー」


 バロンがおばちゃんと呼ぶ度に、ビヨルカの眉がピクリと動く。ヴィセがおばちゃんはやめておけと言ったが、言い直してもおばさんに変わっただけだった。


 おばさんという言葉自体を悪意を持って使っておらず、バロンからすれば相手は好感を持てない中年女性。何故言い直す必要があるのかを理解していなかった。


 ビヨルカはため息をつき、腰に手を当てる。その表情はまだ諦めていない。


「それでしたら、交換はいかがかしら」


「……は? 交換?」


「おばちゃ……おばさんもドラゴンと一緒に住んでるの!?」


「……全然言い直しになってないわ。ええ、空は飛びませんけど」


「じゃあ土にもぐる?」


「土にも潜りませんわ。あら、興味がおありで? 十分交換に値すると思いますけれど」


 ビヨルカはヴィセ達が食い付いたと思っているらしい。だがヴィセ達はどうせ大きめのトカゲか、ワニの類だろうと考えており、そもそも交換にも応じる気はない。


「ラヴァニをお渡しする気はありません。何十億イエン積まれようと、珍しいトカゲやワニを見せられようと、ラヴァニは自由です」


 ヴィセが丁寧に頭を下げ、立ち去ろうとする。その背後から今度は別の声が聞こえた。


「ママー、まだなの? はやく首輪を付けてよ、あいつと散歩するんだ」


「デューイちゃん、お家で待ってなさい!」


 再度振り返ると、そこにはやや太り気味の少年が立っていた。バロンより少し背が低く、白いシャツにサスペンダー、黒光りする革靴を履いている。茶色いおかっぱを掻きながら、右手には金色の首輪を握りしめていた。


 ≪我をあれで繋ごうというのか。愚弄にも程がある≫


「この庶民共が売らないといって駄々をこねるのよ、困ったものだわ。今あいつと交換してくれと言ったところだから」


「ボク、あいつよりそいつの方がいいよ。あいつじゃ散歩出来ないもん! 早くしてよ」


「ハァ。ほらあなた達、うちのデューイちゃんがあんなにも嘆いているのだから」


「いや、嘆いてないですよね。甘やかし過ぎでは」


 ビヨルカはヴィセをキッと睨む。もちろん、ヴィセ達はそんなパフォーマンスを怖いと思っていない。ミデレニスク地区に住んでいる訳でもなく、貿易商を敵に回したからと言ってどうという不便もない。


 だが、刺客でも雇われ後を付けられては困る。すぐに振り払えるとしても、あと数週間後にはアマン達と合流しなければならない。バロンはトメラ屋のミナ達に会いたがっているが、いざこざは持ち込みたくない。


 今はエゴール達を狙う輩もおり、いつヴィセ達がターゲットになるかもわからない。出来るだけリスクは排除しておきたかった。


「……最初に言った通り、ラヴァニは俺達がどうこうできる存在じゃありません。ラヴァニはドラゴンだ、俺達と共に行動しているだけ」


「ならば、わたくし達と共に生活したくないと言っているのですか? あなた、ドラゴンの言葉を理解なさるのかしら」


「そうだよ! ラヴァニは首輪で繋ごうとするなんて酷いって言ってる!」


「おっほっほ! まあ、そちらのぼくちゃんはとても作り話がお上手ね」


「ママー、喋ってないではやくそいつを手に入れてよー」


 ヴィセ達が拒否をしても、親子は全く動じていない。いい加減うんざりし始めている中、ふとラヴァニが何らかの声を感じ取った。


 ≪……我の仲間ではない、何だ≫


「どうした?」


 ≪何かが我に意思を伝えてきた。我の仲間ではない≫


 ラヴァニがビヨルカの家の方角へと顔を向ける。ヴィセ達もそちらに意識を集中させ、心の中で呼びかけてみる。すると声の主はヴィセ達に気付き、ラヴァニのように意識に語り掛けてきた。


 ≪ああ、仲間が助けに来てくれた! 良かった、おれはここだ!≫


「ヴィセ、何かいるみたいだよ、飛ばなくて潜らないドラゴンかな」


 ≪こんな窮屈な所、これ以上いられない! ああ良かった、まだおれを見捨ててはいなかったんだね!≫


 声の主はヴィセ達を仲間だと思い、必死に助けを求めている。ヴィセは少しだけ考え込んだ後、ビヨルカに1つだけ提案した。


「交換するとは言っていない、でも何も分からない生き物を見ずに交換するなんて、そもそも無理な話だ。見せてくれるくらいはしてもいいんじゃないか」


「あら、それもそうね。きっと気に入りますわ。さ、いらっしゃい」

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