Awake-07


  

 オースティンにとっては、何気ない一言だったのかもしれない。だがマニーカのような珍獣、そう聞いたヴィセは違った。珍獣の運び屋をしていた彼が珍しく思う程の生き物なら、海や川で簡単に発見できる種ではない。


「ちょっと待って下さい、その生き物の名前は何と言うんですか」


「えー……何とか言ってたなあ、海のドラゴンみたいな、シードラ……」


「シードラか、ジュミナス・ミデレニスクの金持ちが飼っていた奴だな。俺も聞いたことがある」


 オースティンに続き、別の者も見たと証言する。当時は羽のないドラゴンだと思ったそうだ。


「大きさは? どれくらいですか」


「そうだなあ、君の肩に乗っている時のラヴァニさんくらいかな」


「そう、ですか」


 ヴィセは密かに翼竜、土竜とは違う海竜ではないかと考えていた。だがその大きさでは該当しそうにない。写真などがあればいいが、生憎持っていないという。


「飼うのが大変って言ってたから、もう手放したかもしれないな。大抵の金持ちは手に入れる事がステータスなだけで、すぐに飽きる」


 気になる証言ではあっても、今はラヴァニ村の事が先だ。ヴィセは皆に水汲み場を教え、小屋へと戻った。





 * * * * * * * * *





「まさか風呂に入れるなんて」


 小屋に戻ってから、ヴィセはラヴァニと共に焼け落ちた家から風呂を運んだ。岩をくりぬいて作った風呂は、2人同時に湯に浸かればぎゅうぎゅうだ。それでもあるのとないのでは大違いである。


 小屋の外に岩風呂を置き、焚火でお湯を沸かし、湯加減を調整すれば完成だ。辺りはすっかりと暗くなり、星々が輝きを取り戻す。ゆでたまご座もどこかにある事だろう。


 オースティンは壁に備えつけられた窓から顔を引っ込め、木板をはめて閉める。


「風呂、沸いたみたいです」


「ジェニスさん、お先に」


「まあ、あんたらが先に入らんね、あたしは村に着いてから何もしてないんだ」


「温かい汁物の作り方を教えてくれたし、この村まで連れてきてくれた。それだけで十分だ」


「そうっすよ、ヴィセさん達もいるけどよ、いきなり俺達4人だけで暮らせって言われたら無理だったかもしれねえ」


「今までこうして他人に感謝することもなかったしな」


 小屋はヴィセ達が用意し、畑はマニーカが耕した。ヴィセが村での生き方を教え、バロンが火を起こし、ジェニスが料理を振舞った。ラヴァニが風呂を運び、何もかも用意された。


 汲み取り式の便所は裏の壊れた家のものを使用している。最低限のものはすべてそろっている状態だ。


 まだ本当の意味での過酷な生活は始まっていない。オースティン達は、それをよく理解していた。


「村に辿り着くまで、まだどこか現実を舐めてた。行けば何とかなると思ってた。テントで寝泊まりして、土に種を植えて、木を切って家を作って、動物を狩ればなんとかなる、と」


「でも、実際に着いたらこのザマです。俺達は何も出来ないんだと思い知りました。火の起こし方も分からない、木の加工方法はおろか、斧を振っても幹に傷がついただけ」


「何をしたらいいのか、何から始めるべきなのか、分からなかった。湯を沸かす事すら思いつかなかった」


「1か月ともたずに餓死か、凍死か、村での生活を諦めていたか……」


 オースティン達は自分達が選んだ生き方を後悔してはいない。もう人に命令され、悪事に手を染め、なけなしの金を稼ぐ生活に戻りたいとは思っていない。けれど、村で生きていくことが出来るのか、不安になっていた。


「大丈夫ですって、俺もこの状態で3年暮らしました。廃材だけで家を修理して、畑の作物と釣った魚で生きてきました」


「あたしもね、質素ではあったけど、こんな何もない状態の村で暮らしたことはないんだ。連れていってやると見栄を張ったけどね、あたしはエゴールがいなけりゃ何も出来ない婆さんだよ」


「ははっ、行動力だけはあるからね、つい周囲の人間が頑張ってしまうんだ。それもジェニスの力だよ」


「フン、おだてたって何も出来やしないよ。さて、お言葉に甘えて入って来るかねえ。バロン坊や、一緒に入るかい」


「うん!」


 ジェニスはエゴールとバロンを連れて外の風呂へと向かう。交代で火を起こしながら入るのだろう。ラヴァニとマニーカは寒さが苦手なのか、囲炉裏の傍から動かない。


「ラヴァニ、尻尾が焼けるぞ。ブランケットを敷いてやるから、もう少し離れろ」


 ≪我は構わぬ、いや……床が冷えておるからブランケットは欲しい≫


「マニーカも、ほら」


 ≪食ベ過ギテ動ケナイダケダ、心配イラナイ。コノ場所ノ土ノ中ニハ 獲物ガ沢山イル。気ニ入ッタ≫


「ずっとその大きさで生きるつもりか」


 ヴィセが囲炉裏の傍の2匹を抱え上げ、ブランケットにくるんでやる。かつて人々を震え上がらせた生き物だというのに、見る影もない。


 そんなラヴァニ達を見つめながら、オースティン達も寝床の準備を始めた。個室などというものはない。扉を内側に押し開けば、すぐ室内全体を見渡せる。この村では一般的だった造りだ。


「ジェニスさんを囲炉裏の傍に、ああ、ブランケットを重ねて敷いてやって。俺は寝袋でいい」


「俺も寝袋で十分だ。寒い外で野宿した事にくらべれば高級ホテル並だ」


 風呂の順番を決め、皆が明日からやるべき事を挙げていく。そんな中でオースティンが皆と示し合わせて頷き、ヴィセに頭を下げる。


「本当に世話になった。隣村ってのがどうなってるのか分からないけど、性懲りもなく訪れた様子もないし、もう襲ってこないだろう」


「まあ、大丈夫だと思うけど。明日ラヴァニにお願いして様子を見てこようか」


 ≪我は構わぬぞ、生きていれば牛の1頭でも掻っ攫ってやろう≫


「それは止めとけ。ああ、ラヴァニが家畜がいたら攫って来てやろうなんて言うから」


 ヴィセは余計なもめ事を起こし、また来られては困ると言って苦笑いを浮かべる。オースティン達も、春になれば自分達で町に行き、鶏などを飼い始めるつもりだと計画を打ち明けた。


「それで……厚かましい話なんだが、ヴィセさんにお願いがある」


「はあ……えっと、何か」


「俺達は、何とかしてちゃんと暮らしていける事を示したい。冬だから大したことは出来なくとも、種まき、水汲み、藁を編んで、魚を釣って、木を切って、他の家の建築にも取り掛かりたい」


「そんな、いっぺんにばーっと上手くはいかないですよ。1つずつ」


「いや、それじゃ困るんだ。時間がない」


「時間がない……って?」


 食べ物の備蓄の事か、それとも今の環境では生きていく自信がないのか。ヴィセはオースティン達が何を急いでいるのか分からない。


「ジェニスさんだ。あの人、俺達が尋ねる前に大病を患ってる。病み上がりなんだ」


「何だって?」


「俺達を放っておけなくなったんだろう。娘さんは勿論反対した。だけどジェニスさんのあの性格だ、このまま村に骨を埋めるつもりでいる」


「ジェニスさんに何かあったら、娘さんに何て報告したらいいのか」


「それならエゴールさんが許さないはずだ。でもエゴールさんは何も……」


 オースティンはハァっとため息をついて首を横に振る。


「あのジェニスさんの性格で分かるはずだ。心配ならあんたがついてきな、で終わりさ。俺達は1日でも早く帰らせてやりたい。また来ようとしないくらい安心させて」


「あともう1つ。これも言っておきたい」


 銀髪の男が背を丸めてヴィセへと身を乗り出す。


「エゴールさんは、ドラゴンの力を持っている事を隠さなくなった。エゴールさんはドラゴンじゃなくて人。それが仇になった」


「何かエゴールさんにも良くない事が?」


「ああ。ドラゴンを襲えばドラゴンの怒りを買う。だが、人であるエゴールさん相手なら……」


「そう考えて、血や鱗を手に入れようとする輩がいる。汚い事をしてきた俺達だ、そんな動きはすぐに察知できた」


「こんな山奥じゃ、誰にも見つからずに撃ち殺す事も可能だろう。あの2人は早く人の多い町へ戻るべきなんだ」

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