12・【Levitation Stone】毒の海、霧の野が原

Levitation Stone 01


 11・【Levitation Stone】毒の海、霧の野が原




 どこまでも続く快晴と、空色の海。


 波は砂浜でプチプチと音を立てながら色を消し、小さな蟹がいそいそと穴から出て海を追う。


 浜辺に降り立った1匹のドラゴンがみるみるうちに小さくなり、細身の少年の腕に抱かれた。ジュミナス・ブロヴニクの海岸は驚きに包まれ、海水浴客が一斉に集まって来る。


「あ、あんた達、ど、ドラゴン、ドラゴンが今……」


「あいつらだぜ、ドラゴン連れの旅人! 飯屋の大将が言ってたじゃねえか」


「宿の人も言ってたわ、広場の出店ってあの人の発案なんでしょ?」


「知ってるか? 立ち往生したバスをあいつらだけで救出したって話」


 一度は地区を離れたものの、ヴィセ達の噂は随分と広まっていた。心なしか、初めて訪れた時よりも人の数が多いように見える。海水浴を楽しむ観光客たちは、ヴィセ達をも観光の対象にしかねない。


「今回も泊まるのはトメラ屋でいいよな」


「うん! 俺おばーちゃんのところがいい!」


 ≪我も構わぬ。今日は客として泊まれるだろうか≫


 ヴィセ達は愛想笑いを浮かべつつ、腰を低くしてその場を離れた。ブロヴニク地区は海岸沿に細長いため、殆ど迷う事もない。歩き始めて10分ほどで、目当てのトメラ屋に到着した。


 結局彼らはブロヴニク地区へ戻る事にしたのだ。


「いらっしゃ……あっ、あらら! やだあ、ヴィセくんにバロンくん! どうしたの、旅立ったんじゃなかったかしら」


「こんにちは。ドース島まで行ったんですけど、手掛かりを確認したくて戻って来ました」


「そうなのね、お帰りなさい。さ、お疲れでしょ! 勿論泊まるよね? お部屋に案内するわ」


 出迎えてくれたのはイサヨだった。まだお客を受け入れるには早い時間だからか、宿泊客もまばらだ。以前とは違う部屋に案内され、イサヨはあと1時間で風呂にも入れると教えてくれた。


「あーやっぱり落ち着く。第二の故郷って、こういう事を言うんだな」


「早くご飯の時間にならないかなー」


 ≪あの女、我の名だけ呼ばなかったぞ≫


「感想がバラバラだな、おい」


 少し有名になり過ぎたが、ブロヴニク地区はヴィセ達が堂々としていられる数少ない場所の1つだ。早速服を着替えながら、ヴィセは木の香りが漂う床に仰向けになる。


「ハァ、毎日がこんな退屈で幸せだったらいいのになあ」


 ラヴァニに乗っていただけとはいえ、体を支えるには力がいる。ヴィセは浴衣に着替え始めたはずが、殆どはだけたような状態のまま動く気にもなれずにいた。


「ヴィセ、パンツ見えてるよ」


「別に減るもんじゃねえし。バロンだってここに泊まってた時、朝起きたらミノムシが殻から出たみたいに脱ぎ散らかしてただろ」


 ≪しばらく休むとするか。我も飛び続けて少し疲れた≫


「有難うな。船で戻って来てたら何日掛かった事やら」


 急ぐ旅だとは分かっている。すぐにアマンの事を尋ねに行くべきだとも理解している。それでもこんな開放的で、気持ちが安らぐ瞬間を手放すことが出来ない。


「ゆでたまごでも肉でも、何でも好きなものを食ってくれ。力を蓄えてもらわないとな」


 ヴィセが半分目を閉じながらラヴァニへと話しかける。だが返事がない。


「ラヴァニ? ……なんだ、寝ちゃったのか」


 ラヴァニはヴィセの傍で丸くなり、僅かに背を上下させながら眠りについていた。千キロメルテ以上を休まず飛び続けたのだから、無理もない。


 反対側に顔を向ければ、バロンも床の上で寝落ちていた。ヴィセは風呂にも入りたかったが、1時間も待てそうにない。


「眠いから寝る、か。そういえばそんな生活も久しいな」


 ヴィセも睡魔に抗うことなく目を閉じる。夕食の準備ができ、イサヨが呼びに来るまで、ヴィセ達は4時間も眠っていた。





 * * * * * * * * *




「失礼します……夕食の準備、が……」


 他の宿泊客たちが夕食を済ませる中、ヴィセ達だけが食堂に降りてこない。不審に思ったイサヨが部屋を訪ねた時、窓を開けた真っ暗な部屋の中で2人と1匹は布団も敷かずに寝転がっていた。


「随分とお疲れだったのね、そりゃあそうか」


 イサヨが小さく笑みを浮かべる。気配で一番最初に起きたのはラヴァニだった。


 ≪ヴィセ、バロン、起きろ。イサヨが呼びに来たぞ≫


「ん? んー……いてて。あれ? 真っ暗」


「寝ちゃってる所悪いけれど、電気を点けますね」


 イサヨが電気のスイッチを入れると、部屋は電球の温かな光に包まれた。眩しくて目を細めたヴィセ達を見て、イサヨは思わず視線を逸らす。


「もう、ちょっとやだあ。浴衣ははだけてるし、寝ぐせは付いてるし……ヴィセくん、逞しいのは分かってるから、ほら浴衣をちゃんと着て! バロンくん、起きた?」


 ヴィセはまだはっきりしていない意識の中、脱げかけた浴衣の紐を一度解いて着直した。それからバロンを起こしにかかる。


「バロン……飯だ、起きろ」


「……はっ。ごはん!」


 バロンが飛び起き、慌てて浴衣を整える。寝起き2秒で既に食事を口に出来そうな勢いだ。


「あの、ラヴァニの分は好きなだけ食べさせてやりたいんです」


 ≪良いのか≫


「大丈夫、お客さんがあれから連日そこそこ泊ってくれるようになったから、仕入れもバッチリ。お部屋に持ってきてもいいけれど、どっちにします?」


「あ、食堂に下ります。バロン、ラヴァニ、行こう」


 イサヨはヴィセとラヴァニにウインクを投げ、部屋を後にする。ヴィセ達も寝ぐせを手で押さえながらその後に続いた。


「ねえ、おばあちゃんは?」


「そう言えば見かけなかったな」


 ヴィセ達は旅の支度に加え、ミナに会いにここまでやって来た。そのミナの姿が見当たらない。食堂で酒蒸しのタイやアジの刺身、鶏肉の酢醤油焼きなどを平らげている間、やはりミナは姿を見せない。


「あの、ミナさんは……」


「ああ、女将さんね。お客さんが増えて張り切っちゃったみたいで。疲れが溜まって今日はお休みなの。まあ、無理矢理休んで貰ったんだけどね」


 マッサージ師を呼び、体に良いと聞く薬草の粉末を飲ませ、宿の仕事は全部禁止。ミナはそれを今日だけならと渋々受け入れたという。


「倒れたとか、そういう訳じゃないんですね」


「ええ。来週からは女将さんの息子さん夫婦が戻って来る事になったの。私達も少し楽になるかなって」


「明日はおばあちゃんに会える?」


「うん。今日も部屋にはいるんだけど、君達が来てると知ったら絶対に張り切るから、今日は内緒ね?」


 アマンの事を聞くのは明日になりそうだ。こうなったら急いでも仕方がない。


「ラヴァニ、明日は飛ばなくていい。飛び上がれないくらい食っとけ。バロン、次にいつ食べに来れるか分かんねえんだぞ、遠慮すんな」


「えー? なにー?」


 ≪ならば、サバのほぐし身とゆでたまごをもう3つ貰おう。封印を1つ解いてくれ≫


 思う存分食べたいからか、ラヴァニはひとまわり大きくなった。バロンは最初から遠慮する気がなく、既にヴィセと同じだけの量を食べている。


「バロンくんは将来背が伸びそうね。それだけ食べても太らないんだもん」


「そうなってくれないと困ります。これだけ食ってんのにガリガリじゃ、何も食べさせてないと思われる」


 ラヴァニは飲み込んだ食事の分だけ腹が膨れ、それでもまだゆでたまごを1つ丸呑みしようとしている。バロンは口の端にご飯粒をつけたまま、ニコニコと鶏肉を頬張っている。


「……やっぱり、旅ってこうじゃないとな。辛かったり、後悔したり、我慢したり、それだけの連続じゃ心が折れてしまう」


 ヴィセは幸せそうなバロンとラヴァニに安心していた。食事の手が止まったヴィセに、イサヨがビールの追加を勧める。


「さあ、飲んで食べて! 今日はちゃーんとお客さんとしておもてなししますからね!」

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