Innovation 02
頼みと聞いて、ヴィセはホッとしていた。
自分で払うつもりだったからこそビールを頼み、朝食をお替りし、ラヴァニのために小鯛の塩焼きを2匹、ゆでたまごを5つ注文したのだ。ラヴァニは朝食を沢山胃に入れるため、封印を2段階解いたほど。
それをタダにして貰うのは流石に厚かましい。ヴィセはミナに申し出た。
「頼みとは何かまだ聞いていませんが、せめて追加注文のビールや朝食はやっぱりお支払いします。じゃないと……」
「分かりました。あんたら心の優しそうな顔しとるもんね、それならこちらも甘えさせてもらおうかね。1泊2食の代金分はあたしが払います」
ミナは畏まって頭を下げ、ノスケに指示を出す。
「さあ、この2人の分の仕事着を。バロンちゃんの分はサイズがなかろうけん、新品の浴衣を」
ヴィセは掃除や洗濯を任されるのだろうと思い、バロンと一緒に頑張ろうと意気込む。しかし、ミナの考えは違ったようだ。
「あたしが大切なお客様にそげな仕事させるかね。ええから着替えておいで。ドラゴンのあんたもお手伝いがあるけんね」
≪我が手伝えるような事など、何があるだろうか。出来る事と言えば、怖がられるか、飛ぶか、火を吐くかくらいだが≫
「あの、ラヴァニがとても不安そうにしているんですけど、一体何を……」
「俺、重たいものとか平気だよ! いっぱい仕事する!」
「ちゃんと説明するけん、着替えておいで」
ノスケから着替えの作務衣と浴衣を受け取り、ヴィセ達は部屋からトメラ屋の仕事着姿で戻って来た。バロンは足がスースーすると言って気にするので、下に短パンを履いている。
なかなかよく似合っており、ミナはこれなら大丈夫そうだと笑みを浮かべた。
「女将さん、何をさせるんですか? 教えながらだと時間が掛かってしまうし」
「あたしらが日頃出来んことをやってもらうんよ。あたしらが楽するためやないと。フン、あたしが1度見返してやりたい相手がおるのさ」
ミナは悪そうな笑みを浮かべ、ヴィセに写真機を手渡した。
「写真……?」
「あんたらにやって欲しいのは、お客の呼び込みさ」
「呼び込み?」
「ああ。そうやねえ、情けない話やけど、ちょいとばかしこの宿の事を話そうかね」
「女将さん、俺は大浴場の掃除に行ってきます」
「ああ。買い物はあたしが行っておくよ、頼むね」
ミナはヴィセ達を食堂に呼び、テーブルに着かせた。
「この宿は海賊から町を取り戻した後、少しずつ人の往来が増え始めた時期に建てたんよ。昔ながらの建築を再現して、あの頃に戻ろうって。あたしの旦那がね」
「旦那さんは……」
「15年前に死んだよ。まあ、心労が溜まったせいだと皆に言われた。そりゃあいい男だったさ。あたしに結婚を申し込んだ時、断るなら俺はこの橋から飛び降りてやるって大騒ぎ。あたしが迷っとるのを知っとったんやね」
ミナは寂しそうに笑い、亡くなった夫との思い出を打ち明ける。ミナにとって、このトメラ屋は夫の遺した大切な場所だった。
「夫が亡くなる3年前、ブロヴニク海浜荘が開業した。それまでも他に旅館が出来とったけど、みんなでこの町を盛り上げんばっち、みんなで案を出し合って頑張っとった」
「ブロヴニク海浜荘は違ったんですか?」
「ああ。あの店の大将は他所から来て、金儲けだけを考えとった。この町の観光客が多いと知って移って来たのさ」
ブロヴニク海浜荘の大将は皆で協力しようなどという気がなかった。最初こそ遜っていたが、料理人の伝手がなければ引き抜き、他の店に評判の看板娘がいれば嘘の悪評を流した。他店の良い所を真似し、同じサービスなのにあちらは質が悪いなどと言いまわる。
その結果、僅か18年の間にこの町の宿は半分となった。このトメラ屋もここ数日はヴィセ達以外に宿泊客がいない。評判は良く、リピート率も高いのだが、新規のお客が入って来ない。店を畳むのも時間の問題だ。
「そういえば、町の入り口で呼び込みをしていましたね」
「ああ、泊まるお客もそりゃあせっかくだからという話になる。でもね、問題はそこやないんよ。1軒がめつい宿が出来て客が取られたくらいで、他の宿が幾つも潰れたりせん」
ヴィセはミナの話に興味津々だ。ラヴァニもおとなしく聞いている。対してバロンは足をプラプラし始めている。話が込み入ってきてついて来られないのだ。
「ねえ、俺達のお手伝いまだ?」
「ああ、そうやったね。先にそっちから話そうか」
ミナはテーブルの上の写真機をバロンに差し出す。
「写真? 撮るの?」
「ああ。バロンちゃんがこの宿に泊まって、いいなと思った物や景色を写真に撮っておくれ。それはきっと他のお客様も良いと感じてくれる、ウチの見所だ」
「分かった! ねえヴィセ、撮りに行っていい?」
「いいけど、シャッタ―押す時はカメラを揺らすなよ。シャッターを押したあと1数えてから手を動かせ」
「うん! ラヴァニも行こう!」
≪我は話に興味があるのだが≫
「俺が後で伝えてやるよ。バロンを頼む」
話の途中だというのに、バロンはラヴァニを強引に抱え上げて食堂を出ていく。一体何を撮って来るのか不安だったが、使えそうになければヴィセが後で撮ってもいい。
「さて。写真を撮ったらこの帳面に貼って、この町にやってきた観光客に宿を売り込んで欲しいんよ。料理や大浴場の写真はあるけんね」
「分かりました」
バロンの写真次第だと苦笑いしつつ、ヴィセはミナの話の続きを促す。
「あの店の大将は、金を稼ぎに来とるだけ。他所を真似て、同じようなものを出す。でもね、あたしらのように海の何たるかを知らん。何が旬で、どんな食べ方が美味しいか。宿に求められとる癒しは何か」
「何か、同業者として不満でも……あ、もしかしてブロヴニク海浜荘の評判が悪くて、観光客が減ってる?」
「そう。最初こそ料理人を引き抜いとったけど、使う魚が高いだの、手がかかり過ぎるだの。どこで食べてもええような料理が増えて料理人も辞めた。従業員への当たりもきつくてね、それをお客様が見てしまう」
「印象が悪いですね……」
「金を稼ぎ終わったら出ていくつもりなのさ。だから宿の評判だろうが町の評判だろうが、どうでもいいんよ」
ヴィセはおおよそミナが言いたい事を理解していた。ブロヴニク海浜荘では、観光客を呼び込むだけ呼び込んで、代金さえ払わせたら後はそこそこのもてなしで済ませる。
それではまた泊まるどころか、この町に来ようという気も削がれてしまう。
ミナはブロヴニク海浜荘を見返してやりたいと言ったが、本音ではこの町で観光客に良い思い出を作って欲しかったのだ。
「あたしらはこの通り、呼び込みまで手が出ん。旦那の遺した宿を守りたいんやけど、もう新しく人を雇う余裕もない」
「ノスケさんやイサヨさんは……その事を御存じなのですか」
「ああ。ノスケはうちの娘の長男。イサヨはブロヴニク海浜荘でいびられて海辺で泣いとったのを、あたしが雇った。料理人は旦那の友人。うちの娘夫婦も働いとったけど、今は漁に出て宿の赤字を外で埋めてくれとる。情けない話さ」
ミナは凛として接客してくれていたが、本当はもうどうにもならない所まで追いつめられていた。ヴィセは頷き、ふと思いついた。
「この宿の良い所、この町の良い所……。そうだ、どうせなら派手に呼び込みをしませんか。他の宿も困っているんですよね」
「あ、ああ……他もうちと同じかちょっとマシなくらいだろうね」
「まだ魚はありますか」
「ああ、あるよ」
「じゃあ、あるだけいただけますか。きっと、写真よりももっといいと思います」
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