Dragonista 10
「ぐっ……は」
村長は肩から落ち、呼吸も出来ないまま呻く。ヴィセが首元を掴み上げ、村長の足が再び地から離れる。
「ひっ……ひぃぃ!」
ヴィセの顔は半分以上がドラゴンと化していた。鋭い目と顔の端まで裂けた口は、村長のすぐ目の前にある。村長は口の端に泡を垂れ流しながら震えている。
ヴィセは自身の怒りに引きずられている。再び村長を地面に叩きつけるべく、背負い投げの体勢に入った。
「ヴィセ!」
そんなヴィセの腕を細い手が掴んだ。それはバロンのドラゴン化していない右手だった。
「駄目だよヴィセ! ヴィセがやりたくなかった事だろ!」
バロンの声が聞こえているのかいないのか、ヴィセは動かない。バロンはしがみつくように止めに入った。
「どうしよう、ヴィセに声が聞こえてない!」
バロンは破壊衝動を追い払おうと首を振り、伝染する怒りに抵抗している。ドラゴンは元々仲間意識が強く、敵に容赦がない。己の正義に反する行動への寛容さにも欠ける。ここでバロンまで我を忘れてしまえば、もう誰も止められない。
人は殺さないと誓った事など関係なく、村人諸共滅ぶことになってしまう。
≪我はもう耐えられぬぞ≫
「すまない、オレもそろそろ村の破壊に……走りそうだ」
ドラゴン側のラヴァニとエゴールは、ヴィセの怒りをそのまま感じ取っている。この状況を脱することが出来るかどうかは、皮肉にも村人の行動に掛かっていた。
「この子達が怒りに我を忘れたなら、村が焼き尽されるだけじゃ済まないよ! あたしを撃ってみな、まずその子の腕がそいつの首をへし折る! そして皆殺しが始まる! いいのかい!」
「い、良い訳ねえだろう! クッソ……」
周囲の者は逃げるでもなく、攻撃するでもなく、この後どうすればいいのか考えるのを放棄している。ジェニスは内心焦りを感じつつ、その者達をキッと睨んだ。
「武器を捨てな! 戦意ありと見做されると次に殺されるのはあんたらだよ!」
「は、はいっ!」
村人たちは農具や銃を地面に捨て、両手を上げる。村長も苦しそうに両手を上げるが、村長の足は地面から離れたままだ。
「お耳のぼうや! この子はいったいどうしたら怒りを鎮めるんだい!」
「わ、分かんない! 怒らなくなったら終わる!」
「その怒らなくなるのはどうすりゃいいんだって聞いてるんだよ!」
バロンもどうすれば良いのか分かっていない。いつもならラヴァニかヴィセが助けてくれるが、今回は自分が助けなければならない。バロンはすっかり泣きそうな気持ちが勝ち、ドラゴン化も解けていた。
「ボイ! 何か良い案はないかい!」
「そんな事を言われてもなあ……」
「ヴィセぇ、どうしたら元に戻ってくれるんだよ……もうドラゴンの力に負けちゃうの嫌だよ!」
バロンが泣きながらヴィセの腕を揺する。その腕の力は少し抜けたようだが、まだ声が届いている様子はない。
「あーん! ヴィセが、元に戻んないぃ……ふえーん!」
「あーもう、あんたが泣いてどうすんだい、どうにかしてもらいたいのはあたしの方だよ」
「ああぁぁーん! ヴィセ戻って来てぇぇ……」
バロンの大泣きが村中に響き、一度その場を離れた者達が恐る恐る様子を見に戻って来た。数名の火傷を負った者がいるものの、どういう状況なのか理解しかねているようだ。
「あたしらは村の仇を討ちにきた。ヴィセはあんたを敵と見做した。……ってことは、敵が無力化したら、いやいや、それだけじゃ怒りは収まらないね」
「そうだ……そうだ! 無力化しただけじゃ駄目だ。ジェニス、敵を懲らしめないとその子の怒りは収まらないんじゃないか」
ボイの閃きに、ジェニスは成程と頷く。
「という訳だ、村をあんた達の手で焼くか、このままドラゴンの怒りのままにみんな殺されるか。どっちがいいか選びな」
「元々はお前らが俺達の故郷を焼き払い、このボウズの目の前で皆殺しにしたのが原因だ。皆殺しは勘弁してやると言っているうちに大人しくやるこった」
「村長のあんたが決めな。周りのもんは喋るんじゃないよ」
この状況で断れば、真っ先に死ぬのは村長だ。村長は首を小刻みに縦に振った。
「見たかい。さああんたら、ラヴァニを焼いたようにやりな!」
村人の数人が観念したように動き出す。自分達が死ぬかもしれないという恐怖が間近に迫り、それでも死ぬ気で歯向かってくる者などいない。
自分の行動で周囲の者まで死ぬことになるとなれば猶更だ。
「火はあるぞ、爆薬もある」
ボイはオイルライターを投げて寄越し、拾った者が震える手で近くの家の壁に火を点けた。
「ああ! お、俺の家が……」
男がその場に膝から崩れ落ちる。1人が行動に出たなら、他の者も次々に続く。数分もすれば視界に入る家々の全てが燻り、煙と火花を立ち昇らせ始めた。
顔面蒼白で佇む者、泣いている者、淡々と火を点けていく者、それぞれが今ようやくラヴァニ村に対してやった事を後悔し始めていた。
≪……ヴィセの怒りが収まってきた。それにしてもグズグズしておるな、この期に及んでまだ燃やされまいと抵抗している者がいる≫
「ラヴァニ、君は行くといい。ボイさん、そっちの赤いドラゴンのラヴァニに爆弾を。落として炎を吐けばいい」
「あんた、ラヴァニって名か。そうか……。ラヴァニ村にもドラゴンの祠があった。村は消えたが、最後にドラゴンが受け継いでくれたならラヴァニの名は消えない」
ボイの言葉に対し、ラヴァニはゆっくり目を瞑って礼をした。
≪我はラヴァニという名を生涯誇りとしよう≫
ラヴァニは前足で爆弾を掴み、空へと羽ばたく。まだ燃えていない家の真上から爆弾を落とし、炎を小さく吐いて見せる。
「ほら! 早く逃げないと爆発に巻き込まれるぞ!」
ボイの声が響き、村人達が抵抗する男を無理矢理避難させる。それから間もなくして大きな爆発音が周囲を震わせ、真っ黒な煙がきのこのように立ち昇った。
夕方が迫った村は、もう一面火の海だ。火からは離れた所にいるというのに、真夏よりも強い熱気を感じる。
「……あんた、こんな熱気の中で生き延びたんだね。あたしだったらきっと心が折れていた」
そうジェニスが呟いた時、ふとヴィセの頬をきらりと光るものが流れた。ドラゴン化していた顔は少しずつ元に戻り、掴んでいた村長の胸倉を放す。
「……泣いた方がいい。あんたはこんな光景をずっと溜め込んでちゃいけないよ」
無表情だったヴィセの顔が次第に歪む。嗚咽交じりになったかと思うと、とうとう声を上げて泣き出した。
「うっ、うあぁぁ……!」
涙を止めようと袖で目を塞ぐが、それでも止まらない。怒り、悔しさ、悲しさ、絶望。3年間ずっと押し殺してきた感情だ。バロンの肩を抱き、ヴィセは涙を止める事を諦め、目の前の炎を見つめる。
当時の様子はエゴールも見ていた。
「ヴィセ君を助けたあの日、あの暗闇を照らす炎はもっと惨いものだった。本当は……ヴィセ君が助かったとは思っていなかった」
「っく、何で、何で……自分だけ生き残ってしまったのか、そう思った事もありました。何で俺も連れて行ってくれなかったのかと」
「オレは謝らないよ。どんなに代償の大きい方法だったとしても、救わなくて良かったとは絶対に思わない」
エゴールの言葉を最後に、ヴィセ達はしばらく無言になった。山の端に陽が沈み、ラヴァニが舞い戻って来た時、周囲の家はもう完全に燃え尽きていた。
「……復讐は終わったはずなのに、虚しさしかないのは何故だろう」
「それは、復讐がそういうものだからさ。さあ引き揚げるよ! ボイ、飛行艇でモニカまで付いてきな」
ボイが空き地の飛行艇に乗り、短い助走で飛び立つ。エゴールに続くその機影をしばし見つめた後、ラヴァニも飛び立った。
この後デリング村はどうなるのか。ヴィセ達はもう一切振り返らなかった。
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