Dragonista 02
ディモットが運んできてくれたのは、大きなミートパイ、ソースがたっぷりかけられた魚のムニエル、表面がはち切れそうなソーセージ、レタスとトマトのサラダ、それにベーコンエッグをのせたカリカリのパンだった。
「ここはね、ミートパイが美味しいんだよ。魚はディモットが町の裏の湖で釣ってくる」
「ったく何十年も来やしないで、常連のように言ってくれる。まあ男たちの憧れだったジェニスが広めてくれたんだ、頭は上がらんがね」
ディモットがヴィセ達へと振り向いてニコッと笑う。おそらく広めたというのはジェニスが言っていた弁当の事だろう。
「じゃあ、食べようか。バロン、ほら手を合わせて。命に感謝を」
ヴィセの祈りに合わせ、皆それぞれミートパイにかぶりつく。ラヴァニの分はヴィセが肉だけを掬って与える。ペースト状になるまで煮込んだ肉と、炒めたひき肉、それにチーズとソースが良く絡んで口の中に溶けていく。
「なんだ……すごい! 噛む前からもう口の中に肉とソースの甘みが広がっていく! 生地がビスケットみたいにサクサクだ」
「ほう、腕は落ちてないようだねえ、ディモット」
「はっは、納得のいかないもんを出しはしない。腕は上げ続けるものだ、下ろしたらお終いだからな」
「おいしーい! おいしいねヴィセ!」
どのように美味しいかを語らずとも、バロンの満面の笑みだけでよく分かる。ディモットは嬉しそうに「そうかい」と頷き、微笑んだ。
「ジェニス。ドラゴン連れという事は、エゴールに会いに来たんだろう。ここにも時々来てくれるよ、相変わらずだ。もう右手は駄目らしいが」
「そうかい。後で会いに行くつもりだ。ただエゴールの体の事はこの子達の前で言わないどくれ、まだ詳しくは話しておらんのでな」
「……分かった」
食後にコーヒーやオレンジジュースを飲み終わった頃、従業員の女性が会計伝票を持って来た。ミートパイはディモットからのサービスのようだ。
「ディモットさん、有難うございます。とても美味しかったです」
「こちらこそ、また寄っとくれ。ジェニスも達者なうちは顔を出せ。お前さんに会いたがっているのは俺だけじゃない」
「ネミアで楽しくやっとるよ。あんたらこそ遊びに来とくれ、娘の店でも貸し切ってやるわい」
ディモットはジェニス、ヴィセ、バロンとハグをし、笑顔で見送ってくれる。入口まで出てコック帽を取ると、少しだけ寂しくなった頭を掻き、ジェニスを呼び止めた。
「ジェニス」
「なんだい、心配せんでもまた寄るさ」
「そうじゃない。エゴールは……まだあんたの事が」
「……こんな後家のババアを見れば、そんな気も吹っ飛ぶさ」
馬車の乗り場に向かうまで、レンガを打つ杖の音が規則的に続く。
元恋人、そして親友とも呼べる仲のエゴールに会いに行くというのに、ジェニスの後姿はどこか寂しそうだった。もちろん、ジェニスが亡き夫をまだ愛しているというのは本当だろう。
だがエゴールと過ごした思い出を振り返っているのか、それとも、まだ未練があるのか。
馬車は町の北西にある湖のほとりで止まり、ヴィセ達は馬車から降りて森へ続く道を歩き始めた。まだ芽吹いていない野原は森の手前で消え、右手に見えていた湖も木々の陰で見えなくなる。
「あ、小屋が見えてきた」
「ったく、相変わらずこんな辛気臭い場所に住んでるんだねえ」
薄暗い獣道を歩く事数分、焼杉の板を張った小屋のような家が現れた。ジェニスがノッカーを4回鳴らすと、しばらくして厚い木の一枚板の扉が内側に開いた。
「そのノックの仕方はジェニスだね、待っていたよ」
「久しぶりだねえ、元気だったかい」
ヴィセと同じくらいの背格好の男が現れ、ジェニスとしっかりハグをする。
男の見た目は丈の長いポンチョのようなクリーム色のローブに木靴。この町の多くの者がそうであるように、男もまた室内にいたのに黒いフードを被っている。声の感じからしてまだ若い。
「そちらが連れて行きたいと電話で話していた若者だね。さあ、中へ」
「お邪魔します」
「おじゃましまーす!」
小屋の中は狭く、テーブルが1つ、椅子が4脚、ベッドが1つ、風呂トイレの入り口がそれぞれ1つ。簡素な台所の脇は窯に使う薪が幾つか積まれていた。本棚は収まりきらない本が溢れかえっている。
ジェニスやディモットの会話から、尋ねているのはエゴールの家であるはずだ。しかしベッドは出迎えてくれた男のものが1つだけ。1人暮らしを思わせる。
ヴィセ達は案内されるがままテーブルに着き、男の話を待った。
「さて、思い立ったらすぐ行動するジェニスらしいと言えばらしいけど、本気かい?」
「本気さ。故郷を焼き討ちにされて、みんな殺されたって言うじゃないか。黙っておれるかい」
「オレは構わないけどね。それで? ジェニスの復讐劇に付き合わされている君達は」
「あ、えっと……その前に、俺はヴィセ・ウインドと言います。焼き討ちに遭った日、ラヴァニ村で唯一生き残りました」
「俺はバロンです! 本当の名前は違うけど、バロンがいい!」
男の口元だけが見え、僅かに口角を上げた気がした。ラヴァニはじっと男を見つめる。
≪ヴィセ、この者に聞かなければならん≫
ジェニスのペースに巻き込まれたなら、肝心な話が後回しになってしまう。ヴィセはこの旅の目的の1つを成し遂げようと男に訊ねた。
「あの、あなたが……エゴールさんですか」
「ああ、そうだよ。どこまで話を聞いているか分からないけれど」
「悪いが、あんたの事は一通り話しているよ。そろそろその暑苦しくて辛気臭いフードを取ったらどうだい」
「暑苦しいはまだいいとして、辛気臭いかな。結構気に入っているんだけど」
エゴールは笑いながらゆっくりとフードを外す。その手を見た時、ヴィセは心臓が止まりそうになった。
右手だけが、まるでラヴァニの前足のようだったのだ。
長い鉤爪、長く赤黒い鱗に覆われた爬虫類の指、内側だけが柔らかそうな手のひら。鱗は手首から上も覆っている。そしてフードを取ったその顔を見て、バロンが「あっ」と声を上げてしまった。
「……また随分進んだようだね」
「うん。ジェニスと過ごしていた当時は、まだ肩から肘、それに胴体の右半分だけだったね」
「でも、やっぱりあんたは変わらないんだねえ」
「ああ、そうしてオレだけが置いて行かれる」
エゴールの声は低いが若い。その顔もヴィセと然程変わらない青年のものだった。面長で痩せ気味だが、とても整っている。目は切れ長で大きく、鼻筋も通っている。
けれどそれよりも驚いたのは、エゴールの顔の右半分だった。こめかみから頬、そして首筋まで赤黒い鱗が覆っているのだ。
バロンは怖いのか、右隣に座るヴィセの服の袖をぎゅっと掴んでいる。
≪この男、やはり我が同胞の血を飲んでおるな。年齢はジェニスより上と聞いたが≫
「……不快に思ったならすまない。もう20年早く来てくれたなら、顔は無事だったんだけどね」
「いえ、不快なんて事は……。あの、俺はあなたに聞きたい事があってここまで来たんです」
エゴールはヴィセの顔を優しく見つめる。ようやくたどり着いた鎧の男。ヴィセは深呼吸をして問いかけた。
「……ラヴァニ村が焼き討ちに遭った日、俺にドラゴンの血を飲ませてくれたのはあなたですね。バロンはユジノクの霧の下で。何故俺達をドラゴンの血で生かしたのですか」
「そうか、あの時の子供か。生きていてくれたんだね」
エゴールは嬉しそうに微笑み、次はラヴァニへと顔を向ける。
「後々困るとしても、助けられるなら助けたいと思ったんだ。それと、そちらのドラゴン君に1つだけ訂正」
≪我が意思もやはり当然伝わる、という事だな≫
エゴールは聞こえていると言う代わりに頷く。
「オレはドラゴンの血を飲んだわけじゃない。元々……生まれた時からこうだった」
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