Journey 08(014)


「浮遊鉱石があれば、飛行艇制作に必要な材料を掘るために危険な霧の下に潜る必要もない。ドラゴニアを人族が取り返せたなら、いつ上がって来るか分からない霧を避けた生活も可能だ」


「そんなに大きな大地が浮いているのか」


 ヴィセは後でラヴァニに頼み、ドラゴニアの当時の様子を見せてもらおうと思いつく。


 ≪良いが、見たその様子を決して誰にも語らないと誓えるか≫


(ああ、分かった。悪いが他人にドラゴニアを見つけるヒントをやるつもりはない)


 ヴィセは大きなジョッキのビールを飲み干し、つまみのウインナーを1本かじる。1本はそっと鞄の中に差し入れ、ラヴァニに食べさせた。


 午前中からカクテルを飲んで雰囲気を楽しむような客はいない。簡単なつまみや、ビールやウォッカなど、手の掛からない酒が良く出ている。


「マスター、ビールをお替りで。あと、旅に持っていきたいんだけど……干し肉は持ち帰れるかな」


「いいぜ、2人前くらいでいいか」


「有難う」


 マスターが保存庫から牛の赤身肉で作った干し肉を取り出し、食べやすい大きさに切ってくれる。藁半紙に包んでもらい、鞄に入れると、もう1つの質問をマスターに投げかけた。


「質問ばかりで申し訳ないんだけど」


「ん? 何だい」


「3年ほど前、この町に黒い全身鎧で……」


「おっと、こりゃいけねえ」


 ヴィセがマスターに黒い鎧の男の事を尋ねようとした時、突如外でサイレンが鳴りだした。


「話はまた今度だ! みんな、金を置いてさっさと帰りやがれ!」


 マスターと店員の女が慌てて片付けを始め、店の客達も足りているのかいないのか分からない金を置いて駆け足で帰っていく。


 ヴィセも金を払おうと足し算し、レジに置くが……鳴り続けるサイレンが何を意味するのかが分からない。


「まさか、ドラゴンの襲来……」


「あ? 何だ、兄ちゃん。旅人の癖にサイレンを聞くのは初めてか」


「あ、はい……何かあったのか」


「霧だよ、風向きで霧が危険な線より上がったって事だ」


 昨日町を訪れる際、霧の層ははるか2、3百メルテは下方に思えた。ラヴァニ村のある高原は標高が高く、更に山に囲まれていたせいで霧など気にした事がない。


「マスター! あたし帰るね! 霧が晴れたら夕方には来るから」


「ああ、気を付けろ。店のガスマスクを持っていけ」


「お客さんも、早くホテルに帰った方がいいわ! マスター、借りるね!」


 女性店員が急ぎ足で帰宅し、店にいるのはマスターとヴィセだけになる。今日泊まる宿はまだ決めておらず、まだ土地勘もないせいでむやみに外を歩きまわれない。


「俺は中に残るが、兄ちゃん、あんたはどうする!」


「俺も残っていいだろうか、生憎来たばかりで土地勘がない。ホテルはこれから取るんだ」


「そういう事か、じゃあ表の扉を閉めて、横にあるゴム紐で隙間を塞いでくれ! 俺は食べ物と酒を保存庫に! 食べ物が霧に触れたらおしまいだ」


「はい!」


 ヴィセはマスターと手分けして看板を取り込み、片付けや戸締り、隙間の確認をしていく。30分も経つ頃には全て終わり、マスターの手招きで裏口から上の階に上った。


 ひんやりとした薄暗い階段を上がって屋上に出ると、マスターは町の東の端を指す。


「見てみろ。霧がいよいよ町に入って来る。ハア。あっちに住んでる奴が無事だといいが」


「本当だ、端から町が工場の煙に包まれたように覆われていく」


 灰色の霧が標高の低い東の方からゆっくりと漂ってくる。ヴィセは霧をこんなにも身近に感じた事はない。


 コンクリート製の頑丈な建物ばかりだと思っていたが、それは栄えた町だからというだけではない。そうでないと霧が室内に入って来てしまうからだった。


「さあ、店に戻ろう。あれだけ入ってきたら1階も5階も大差ねえ」


 マスターと急いで店に戻り、2人はカウンターに座った。ラヴァニはまだ鞄の中だ。


 ≪ヴィセを通じて見せて貰った。かつての戦争で生み出されたというが、正体は分からぬか≫


(いわゆる毒だ。安心していい、ドラゴンには効かなかったと言われてる)


 通りに面した部分はシャッターを下ろし、万が一風で何かが飛んできてもガラスが割れる事はない。強めの風がシャッターをガタガタと鳴らす音を聞きながら、マスターはラジオのスイッチを入れた。


「霧の時は緊急放送が流れる。町の状況を役場が知らせるんだ」


「音声放送、か」


 聞こえてくる声の主は若い男だった。町で一番高い塔から全体を見渡しつつ、現在の状況を詳しく教えてくれる。


『町の東側は役場通り沿いの3階部分まで霧に覆われ、現在南に迫っています。中央部はただいま霧が到達しました。映像機をお持ちの方は、放送番号8にて空からの様子をお伝えします』


「もう外に霧が来ているな。死人が出ないといいが」


「霧を吸うと、どんな症状が起きるんだ」


「本当に何も知らねえんだなあ。よくそれで旅に出たもんだ。霧が目にしみ始めたらもう毒が回り始めてると思った方がいい。まず肺がやられる。少しなら肺の機能が落ちるだけで済むが、数回吸い込むと肺から血を出して死んじまう」


 毒の製造方法は霧の下。今となってはもう分からない。と言っても分からないながらに毒の解析は進み、重症でなければ解毒も可能だ。


 しかし限られた居住可能地、限られた資源、分断された各町や村という状況下、最先端の医療や科学を維持することは出来なかった。霧を消す技術までは生み出せていない。


 現在、出来る対策はガスマスクのみ。自然消滅を待って100数十年、霧を根本的にどうする事もできず、結局出来た事と言えば「汚染霧」と名付けただけだ。


「水と反応して絶えず発生し漂い続け、標高の低い湖や池が更に高濃度の発生源に変わる。大陸内部から霧を消し去るのは無理だろうな。ドラゴンはこんな霧の中でも平気というが」


「……ドラゴンは、世界を浄化する存在だからという事か」


「浄化、ね。確かに世界に毒を撒き散らし、残った大気に工場の煙を垂れ流し、物を作っては捨て、岩を掘って水を汚す。そんな俺らを殺そうとするドラゴンは、世界の浄化役と言えなくもない」


 毒の霧を発生させたのは現代の人族ではない。皆が数百年前の人族に苦しめられているにすぎない。


 ただ、ゴミが街道に散乱していたり、壊れた機械駆動車が放置されていることもある。


 結局、程度の差はあれ、人族はドラゴンの怒りを買い続けているのだ。


(ラヴァニ、今の話をどう思う)


 ≪人族は少し思い違いをしておる。我らは我らを攻撃する者、この世界を破壊する者を浄化するのだ。人族だからという理由ではない≫


(工場の排気や、川の汚染は?)


 ≪自然の力で癒えるものまでドラゴンが目の敵にする権限もない。鉱毒や他の生命を大きく害する行為が続けば、我らが襲う事もあるだろう≫


(つまり、襲われたって町は、何かしらの理由があるって事だな。それは人族だけに向けられたものでもない)


 ≪そうだ。均衡が崩れた時、我らはそれを正すべく行動に出る≫


(生態系の維持、自然の調和……)


 ドラゴンが何を守ろうとしているのか。それはラヴァニと会話できなければ一生分からなかっただろう。ドラゴンは益虫ならぬ、益獣といったところか。


「まあ、慎ましく生きなかった先祖のやった事が、このざまってことさ。ドラゴンもそりゃ怒って当然だろうな」


「そうだと思う」


 ヴィセはマスターの話に同意しつつ、霧が晴れるのを待つ。


「映像機で空からの映像を……チッ、この町全体と、付近も完全に覆われてる。こんなに酷いのは久しぶりだ。化け物が上がってこなけりゃいいんだが」


「化け物?」


「霧に順応し、霧の中で生きる変異種の猛獣の事さ。綺麗な空気の中では呼吸が出来ないらしく、普段は町に出没しない。ただ霧が半日以上長引くと、時々出てくるんだ」


「霧の中に生きる動物なんて、俄かに信じがたい話だけど」

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