6-6.『脳内麻薬キマってるぅ』

 轟音とともに崩れるから、瓦礫がれきもろとも落下してくる二人の人影。


 その周囲で霜雪そうせつ奔流ほんりゅうが吹き荒れる。大小様々なコンクリ片や圧し折れた鉄筋を氷の枝が繋ぎ、いびつおりを空中に形作った。


 囚われた〈セーレ〉を襲うのは、ワイスと白狼シルヴィ――人獣一体の連携攻撃コンビネーション

 その常人離れした外連味けれんみのある挙動は、ワイスがよく遊んでいる格闘ゲームの空中コンボに似ていた。


 四方八方から、縦横無尽に。

 暴力ちからと〈権能ちから〉の絶え間ない嵐の中で、白タキシードに包まれた長駆は風に吹かれる病葉わくらばのように踊り続ける。


「あっははッ――ぶっ飛べッ!!」


 トドメに躍動的アクロバティックなオーバーヘッドキック。

 吹き飛んだ〈セーレ〉の身体は瓦礫と氷塊の檻を破壊し、天井の穴から注ぐ月明かりスポットライトからも外れ、フロアを満たす闇の中へ吸い込まれた。


 ドミノ倒しのようになにかが薙ぎ倒されていく轟音の連鎖――やがて一際大きな激突音が響き渡った。


 どうやら終着点にあったのは配電盤で、衝撃によって誤作動を起こしたらしい。

 凹んだ鉄の箱と千切れた壁の配線から火花が上がり、天井の崩落に巻き込まれなかった電灯のいくつかが明滅を始める。


 射し込む月明かりでは微かにしか分からなかったフロアの全容が、浮かび上がってくる。

 そこはホームセンターのような資材売り場。

 等間隔に並んでいたであろう背高のスチールラックは、今やフロアの半分ほどが薙ぎ倒されていた。建築用の木材や鋼材、工具の類が、無残にも床に散乱している。


「……おっかしいなー、」


 落下したコンクリ片と氷塊の欠片が、濛々もうもうと粉塵を巻き上げる。

 それを背に着地したワイスの口からは怪訝けげんな声が漏れた。


 あれだけの猛攻を受けていながら、〈セーレ〉は平然と起き上がったのだから。


「開幕十割の即死コンボなんだけどなー。こないだ徹夜してつくったやつ」

「残念ですがこれはゲームじゃありませんよ。現実を見てみては?」

「あは、やっぱ現実リアルの方が断然良いわー。ゲームじゃ匂いまで届かないしねぇっへははッ」

と言うのなら、ちゃんと急所も狙ってくださいよ」

「ハ、なに言ってんのお前。すぐ殺しちゃったらさぁ――つまんないじゃんっ!!」


 こめかみを突いて皮肉ったあと、指を鳴らす〈セーレ〉。伸ばされた人差し指の先には、突貫のため姿勢を低めるワイスの姿。


 ブーツが床を踏み抜いたまさにその瞬間、不可視の角切り機ダイサーが脛の肉を抉り取る。

 漏れ出した苦痛のうめきが白く染まり、掌ほどの小さな白狼シルヴィを形成。脚に空いたうろにすぐさま飛び込んで氷塊に変化し、強引に傷を塞ぐ。


 指を鳴らす。鳴らす。鳴らす――

 全身各所が立方体キューブ状に抉り取られていくたび、吐息から生まれた小さな白狼シルヴィが飛び込んで即座に凍結。欠けた肉体は氷塊で補填され、駆ける勢いがおとろえることはない。


 らちが明かないと眉根を寄せた〈セーレ〉は、足元に転がっていたプラケースを蹴り上げた。


 詰め込まれていた大小様々なボルトが、ワイスの行く手をさえぎるように空中に溢れ出し――

 指を鳴らした瞬間、宙に散乱したそれらが散弾銃ショットガンさながらに殺到。


 を狙うのではなく、での制圧。

 対してワイスは交差させた腕で頭と心臓を庇うと、もう一段踏み込んで

 飛来するボルトの群れへ、


 髪を千切られ頬肉を裂かれ腕を穿うがたれ脇腹をえぐられももを削られるのも構わず、弾幕を突破。血風を纏いながら、ワイスは強引に肉弾戦インファイトの間合いへ到達。


 傷口から棚引たなびく鮮血は、いつの間にか並走していた白狼シルヴィによって凍結。いびつなナイフとなってワイスの手に収まる。

 間髪入れず細腕が霞み、朱い一閃が笑みの前を横切った。


 空間を駆けた切っ先が突いたのは〈セーレ〉の頭――の空間。

 既に指を鳴らし、少女の矮躯わいくを浮かせていたのだ。


 空中に囚われ身動きの取れないワイスへ、逆さの瀑布ばくふの如く垂直に跳ね上がる蹴り。


「――ハ、」


 嘲笑うワイスの白い吐息が膨れ上がる。頭だけの白狼シルヴィが召喚されるや否や、〈セーレ〉は超反応で膝を畳んだ。

 氷柱が生え揃った大顎はタキシードパンツの裾を掠めて虚空へとかぶりつき、背筋を震わせる硬い高音が響き渡る。


 凄まじい反応速度を讃えるように、ひゅう、と口笛を吹くワイス。

 を受け、〈セーレ〉を取り囲んだ白い氷霧が、小型犬サイズの群狼を次々に生み出していく。

 みな一様に咥えていたのは歪な赤い刃――血潮を凍結させた赤黒いナイフ。

 全方位から投擲された直後、指を鳴らし消えた〈セーレ〉の姿は――ワイスの後方に。


「ぐるるぅうあッ!!」


 唸りを上げて首を振る白狼シルヴィ。放り投げられたワイスの身体は勢いのまま錐揉きりもみ回転――からの踵落とし。

 

 振り上げた右足はしかし、まるで空中に固定されたかのようになかばからズレた。腿の断面から血が噴き出し、暗幕となって互いの姿を遮る。


 だがワイスはさらに身体を捻ると、宙に浮かぶ己の足先を掴んだ。

 赤黒いとばりを裂き、脳天を目掛け振り下ろす。〈悪魔憑き〉の膂力りょりょくによって、鉄板の仕込まれたブーツの爪先は鉄槌ハンマーと化す。


 頭蓋を砕き脳を叩き潰さんとする一振りが迫る。〈セーレ〉は受け止めようと腕を交差させ――しかし寸前で右手を掌底に変えた。


 ワイスの前腕に叩き込んで逸らした刹那、衝撃で仕込み刃が舌を出す。

 蛇の吐息じみた鋭い音を立て、咄嗟とっさに首を傾けた〈セーレ〉の耳朶じだを斬り飛ばしていった。


 もし受け止めていれば脳天を貫かれ、

 逸らし切れなければ肩口から心臓を破壊されていただろう。

 紙一重で死を免れた――安堵と怖気がぜになった笑みを浮かべながら、〈セーレ〉は掌底を放った勢いのまま身体を旋転させた。


 左脚を軸に、上体を大きく沈めてほぼ百八十度開脚――躰道たいどうの海老蹴りに似た一蹴。

 振り上げた長脚は、ほぼ真上にあったワイスの身体をむちとなって打ち据えた。


 吹き飛んだ矮躯はスチールラックに叩き付けられ、詰め込まれていた工具や部品が衝撃で滝のように零れ落ちる。

 そうして出来たガラクタの玉座に、ワイスは四肢を広げ尊大に腰掛けていた。


 笑みに緩んだ口許から、普段より数オクターブ高い笑い声を上げると、握っていた自身の足先からブーツを剥ぎ取って、再生の終わった裸足を突っ込む。


つうッははは、あー来た来た来たっ、脳内麻薬ドーパミンキマってるぅ……ヤバぁっ♪」


 朱に染まる頬、とろける目許めもとうるむ瞳。どこか背徳的な色気すらかも恍惚こうこつの笑みに反して、瞳孔は狂暴な獣のごとく細められていく。

 殺意でヒリついた戦場の空気を、鉄と火薬と血が混じり合った殺伐の匂いを、むさぼり食おうとするかのような荒い呼吸。


 普段の気怠けだるく凍てついた声音こわねは解け切って、年相応の少女らしい透き通った熱を帯びる。紡ぐ言葉の端々には鈴を転がすような笑い声が混じる。


 戦闘中毒バトルジャンキーと常日頃から罵っている通り、タガの外れたワイスの様相は普段とは百八十度異なる。

 まるで興奮アッパー系の薬物をキメた麻薬中毒者ジャンキーだ。


 興奮物質アドレナリン快楽物質ドーパミンが脳から溢れ出すままに、戦闘を、闘争を、饗宴として身体ですすり喰らう。

 その過程で受ける負傷も激痛もなにもかも、彼女にとっては戦場食事を豊かに彩る刺激スパイスであり、己をこころよたかぶらせる美酒に他ならない。


 皮膚の一片すら残さず食い散らかすか――

 食い切れず膨れた腹をブチ破られるか――

 どちらかの命の火が消えるまで、狂った宴は終わらない。


 立ち上がり、額からの流血を舐め取るワイス。頬はみるみるまに紅潮し、碧眼へきがん恒星こうせいのごとく青白い熱をはらんでいく。


「いーねいーねぇ、やっぱ最高さいっこーだよお前っ!!」

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