3-8.『まるで弱い者いじめじゃん』

 悲鳴を上げて逃げ惑っていた野次馬たちが、突然ぴくりとも動かなくなる。

 辺りを包む不気味な静寂は、先ほど店内で感じたものと全く同じ。


 ――まさか

 アルバートの脳裏にある可能性が思考に浮かぶと同時、彼らが一斉に振り返る。


 印章シジル〉が浮かんでいるのを見て、背筋に悪寒が走った。


 近くにいた男がアナスタシアへと手を伸ばす。五指はまるで猛禽類もうきんるい鉤爪かぎつめのように、細腕を引っ掴もうとしていた。 


 目の端でとらえ、咄嗟とっさに拳銃を照準エイム――


「――ナターシャに触んなッ!!」


 するより速く、疾風はやてとなって飛んできたワイスの膝蹴りニーキックが胸板に突き刺さる。


 胸郭きょうかくが砕ける無残な音とともに、よろけた男がその場にうずくまる。

 すると周囲の戦列は、どこか緊張した面持ちでわずかに動きを硬直させた。


 アナスタシアを挟んで、ワイスと背中合わせに立つ。肩越しに振り返った相棒の顔には笑み。


「フラッシュモブで奇襲サプライズとか、面白いことしてくれんねー。最後には親玉がプロポーズしに来るかもよー?」

「俺なら返事代わりに鉛玉を死ぬほど贈るね。良かったなワイス、この状況を楽しめるお前とお似合いだよ。末永くお幸せに――」


 皮肉をさえぎったのは、吹雪ふぶきを思わせる冷えた声音。

 ワイスの顔から不意に笑みが消え、氷点下よりも冷たくかげる。


「大勢で寄ってたかり方が気に入らない。まるで弱い者いじめじゃん」


 細めた目には純然な嫌悪。

 吐き捨てる言葉には刺々とげとげしい敵意。

 まるで別人のようなその様子に、かばわれているアナスタシアが小さく狼狽うろたえる。


「珍しく気が合うな」

 

 相棒の言葉を、アルバートは苦い顔で首肯しゅこうする。 


 敵の〈権能インペリウム〉は、おそらく『他者を思い通りに操る』ものだろう。

 自分たちを睥睨へいげいする数多あまた双眸そうぼうに、意思の光は無い。

 額に〈印章〉を浮かべた彼らは、なにかの号令を待つように周囲に突っ立ったまま。


 周囲に存在する人間が突然、なんの前触れもなく命を狙ってくる――奇襲に利用するにはうってつけの即効性。

 ワイスがフラッシュモブに例えたのは言い得て妙だ。


 操られた人々の肉体強度は常人の範疇はんちゅう。それ単体は脅威ではない。

 厄介なのは、自我を塗り潰された彼らの行動に、死への本能的な恐怖が介在しないこと。


 長の命令に盲目に従う兵士のように、手足が千切れても構わず、ただ眼前の敵を駆逐し蹂躪じゅうりんするのみ。

 こちらが死ぬか、あちらが全滅するか。

 勝敗が決するまで、きっと進軍は止まらない。


「おまけに、親玉はどっかでしてるみたいだしね――反吐へどが出るよ」


 ワイスが小さく吐き捨てる。

 その口振りからして、奇襲サプライズはこの場にいないらしい。


 強力な即効性ゆえに効果範囲は広くない、〈悪魔憑きフリークス〉は近くに隠れている――そんな推測を改めざるを得なくなり、アルバートは舌を打つ。


 銀色の〈印章〉は〈侯爵マルキオ〉。

 ワイスと同じ階級クラスであり、〈公爵デュークス〉や〈伯爵コミティス〉と並んで〈悪魔憑きフリークス〉の大多数を占めている。


 母数が多いためその実力はピンからキリまで様々だが……今回の敵は間違いなく手練てだれだ。

 己の持つ〈権能ちから〉を熟知し、その練度も相当なものだろう。


 姿をくらますために人混みに逃げ込んだのが裏目に出るとは。

 敵は好都合だとほくそ笑んだことだろう。間抜けと嘲笑あざわらいもしただろう。



 ――敵陣のど真ん中とは露知らず、ファストフード片手に談笑していたのだから。



「つくづく最悪だな、今回はを引いたらしい」

「そぉ? あたしはだと思うけどねー」

に当選して良かったじゃないか。ほら、ファンの皆がお待ちかねだ。存分に触れ合ってこいよ」

「あたしがファンサすんの? やだよー、むさ苦しいのばっかだし、みーんな目ぇ死んでんじゃん……」


 辟易へきえきしながらも、ワイスは顔の前に掲げたナイフの腹に口付けする。


「まぁ、くらいはしたげよっかな……やられっぱなしはだし」

「あぁ、どんどん射抜いてやれ――と言いたいところだが」


 くいっと袖を引かれて振り返る。

 アナスタシアが左右の手で、それぞれアルバートとワイスの上着の袖をつまんでいた。

 怯えにうるんだ翠緑すいりょくの瞳を見ると、どうにも毒気どっけを抜かれてしまう。


「お願い――」

「分かってるって、ナターシャ」

「人の迷惑も考えずにするような奴らに、ちょっと痛い目を見てもらうだけだ」


 高速道路ハイウェイ荷物アナスタシアを奪いに来た、あのマフィアどもの差し金だろう。

 となれば敵はこの状況を、必ずどこかで見ているはずだ。三流の殺し屋ならいざ知らず、標的の最期を見届けない訳がない。

 そもそも――


 サプライズを受け取った相手の反応が気にならない仕掛け人など、この世に存在するだろうか?


 周囲をぐるりと見渡す。

 辺り一帯の様子を見渡せる位置、拳銃の射程距離よりずっと外、おそらく高所――


 アルバートの視線は人垣を越え、遠くのビル群へ向けられる。

 相棒の背中越しに見遣みやった、およそ数キロ先の一際高いビル。その屋上部分に目が止まった瞬間――


 が耳に届く。


「――ワイスッ!」


 目をき声を飛ばすと、ワイスも弾かれたように動いた。

 足下にうずくまっていた男の顎に、ブーツの爪先を引っ掛けて蹴り上げる。


 限界までたわめられたバネのように勢いよく直立させられた男の心臓を、背後から


 濃緑色のやじりが鼻先で停止し、ぎょっと仰け反ったワイスはすぐさま男を蹴り飛ばす。

 

 かしいでいく男の肌には、青紫色の壊疽えそが広がっていく。

 わずか一瞬で病葉わくらばのように全身を覆い尽くすと、今度は身に付けていたシャツに黒い斑点がいくつもにじみ出し――


 アスファルトの上に倒れ込む頃には、ひどく醜悪しゅうあくな死体に変わり果てていた。


 服のそですそからのぞくのは、溶けた筋繊維がへばり付いた骨。

 その周りには、とろけた青黒い肉が泥のように広がっている。


 死した〈悪魔憑き〉のような、正視に耐えないおぞましい最期。

 それをまともに見てしまったアナスタシアが、両手で口許くちもとを覆って声なき悲鳴を上げる。


「うーッわ、最悪……」


 ただよう強烈な腐臭。

 顔を歪める相棒を他所よそに、アルバートの額には冷や汗が滲む。


 死因はおそらく、鏃に仕込まれた毒。

 だが、あれほど急速に壊死と腐敗が進む代物は――自然界はおろか、人工的な毒物でも――聞いたことが無い。


 となれば、あれは〈悪魔憑き〉の〈権能〉。


 集団の洗脳統制と致死毒では、あまりに毛色が違い過ぎる。ひとつの能力を応用したとは思えない。

 そして、先の一射は明らかに俺たちを狙っていた――


 つまり、

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