1-6.『異常なのかもしれないね』
「――〈
ゾーイによる講義が始まって、
記憶が正しければそろそろ――いや、ようやく折り返し地点に差し掛かったはずだ。
脳内で予定の調整を終え、
ベッドに腰掛けたアルバートは、とりあえず話を聞いている
……もし聞き流していることがバレれば、自分も
一瞬でも気を抜けば死ぬ。
これほどの緊張感を持って大学の講義を受けていれば、もう少しマシな人生を送れたんだろうか……。
世界中のどこを探しても存在しないであろう刺激的な体験を前に、学生時代の
もちろん、それは後悔や追憶なんて立派なものではなく……ただの現実逃避だが。
アルバートの胸の内など知らないゾーイは、様々な色の薬剤が入ったビーカーを机に並べると、順に指差していく。
「黄金色は〈
そして黒色は〈
言葉を締めくくったゾーイは、おもむろに左手を掲げた。
そう、彼女もまた〈
……そうでなければ、
「取り込んだ〈遺体〉が損傷すると、治癒が完了するまで〈権能〉を発動できない――」
ゾーイの語る言葉は、ほとんどの〈悪魔憑き〉にとって常識だ。
「そして〈印章〉が浮かぶ位置は、〈遺体〉と同じ部位、もしくはその体表面――」
だからこそ〈印章〉の位置を隠し、〈権能〉は——対処できない
「つまり我々にとって〈印章〉とは、急所を示す弱点でもある、気をつけたまえ」
それが、理性ある〈悪魔憑き〉たちの暗黙の了解。
ワイスのようにわざわざ見せびらかす方がおかしいのだ。
おい、今のちゃんと聞いてたか——声をかけようとして、寝息が聴こえることに気付く。
視線をやると、ワイスは作業台の上で座ったまま器用に眠りこけていた。
彼女は暇を持て余すと――たとえ相棒の命の危機だろうと――十秒足らずで夢の中に入ってしまう。
アルバートでさえ退屈な講義を前に、
そんなことは露知らず、ゾーイの弁舌はさらに熱を上げていく。
「そして〈権能〉は一人につきひとつが大原則だ。既に〈悪魔憑き〉となった者が別の〈遺体〉を取り込んでも、既存の能力が強化されるのみで――」
◆◇◆◇◆◇
「――そもそもこんな得体の知れないものを理解しようとする、あまつさえ理解できていないのに使おうとする我々の方こそ、異常なのかもしれないね」
「――くしゅん」
舞った
言外に講義が締めくくられたのを察して、脱力したアルバートは固いベッドに寝そべった。
吐いた息に混じって力が抜けていき、身体には
「アルバート、ひとつ聞かせてくれないか」
と、ゾーイの目が良からぬ企みに細められているのに気付く。
「……なんだ?」
その目つきには見覚えがあるような気がして――しかし思い出せず、釈然としないまま応じる。
「住む階は違えど、君はエーデルワイスとひとつ屋根の下。そうだね?」
「……あぁ」
――大学時代の講師に、こんな奴がいた。
講義が終わると
その
「さて、健康的なヒト科のオスであれば、溜まるものがあるわけだが……」
「なぁ変態。セクハラって言葉くらい聞いたことあるよな?」
「安心したまえ、これは純然たる学術的興味だ」
予想通りの嫌味な質問に、がばっと起き上がって眉を引くつかせるアルバート。
どこ吹く風のゾーイは、『私は
「
「……週の真ん中。別れた彼女をネタにひとり遊びしてるよー」
答えたのはあくび混じりの
さっきのくしゃみで起きたらしいワイスが、とんでもないことを口走った。
「おい待て
「……あれ、図星だったー?」
寝ぼけ眼と半開きの口を、意地悪く
感嘆の息を吐いて顎に手を添え、なるほどねぇ、とほくそ笑むゾーイ。
「そういえばエーデルワイス。君はさっき私が話している間……ずいぶんと気持ち良さそうに眠っていたねぇ?」
「!!」
ゾーイの黒瞳が横に滑る。
ワイスは目を見開き、頭の天辺から爪先まで全身をぶるぶる
「君はいつも他人に縛られず自由だね。……そろそろ肉体の呪縛からも、自由になってみないかい?」
「ぁ、あー……あっ、そうそう、次の予定があるんだよねバートっ」
普段の悪態を考えると少し
仕方なく助け舟を出してやる。
「なに震えてんだ、早く来いワイス。ヴァルターを待たせてる」
「ぉお、
ワイスが早歩きで隣まで逃げ帰ってくる。
戦闘外の彼女にしては珍しく機敏で、しかしどこかぎこちない動きだった。
「――そうだ、最後にひとつ」
オカルト
「君たちは皮……じゃなかった、顔が良い。ぜひとも
「「断る」」
二人は全く同時に吐き捨てて、鉄扉を勢い良く閉めた。
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