1-6.『異常なのかもしれないね』

「――〈権能インペリウム〉を発動させると体表に 〈印章シジル〉 が輝く。私はその色に応じて、中世の爵位しゃくいをモチーフに階級ランク分けしている」


 ゾーイによるが始まって、はや二時間。

 記憶が正しければそろそろ――いや、ようやく折り返し地点に差し掛かったはずだ。


 脳内で予定の調整を終え、暇潰ひまつぶしに考えることもなくなった。

 ベッドに腰掛けたアルバートは、とりあえず話を聞いている体裁ていさいだけは保とうと、重くなる目蓋まぶたを必死に持ち上げていた。


 ……もし聞き流していることがバレれば、自分も事務机デスクの脇にとして飾られかねない。


 一瞬でも気を抜けば死ぬ。

 これほどの緊張感を持って大学の講義を受けていれば、もう少しマシな人生を送れたんだろうか……。

 世界中のどこを探しても存在しないであろう刺激的な体験を前に、学生時代の腑抜ふぬけた自分に思いをせる。


 もちろん、それは後悔や追憶なんて立派なものではなく……ただの現実逃避だが。


 アルバートの胸の内など知らないゾーイは、様々な色の薬剤が入ったビーカーを机に並べると、順に指差していく。


「黄金色は〈レクス〉、

 錫色すずいろは〈君主モナーク〉、

 赤銅色せきどうしょくは〈公爵デュークス〉、

 銀色ぎんいろは〈侯爵マルキオ〉、

 銅色どういろは〈伯爵コミティス〉、

 鉛色なまりいろは〈騎士エクウェス〉、

 そして黒色は〈総裁プライシス〉――といった具合にね」


 言葉を締めくくったゾーイは、おもむろに左手を掲げた。

 骨張ほねばった手の甲に滲出しんしゅつしたのは、紛れもなく〈印章〉——

 そう、彼女もまた〈悪魔憑きフリークス〉だ。


 ……そうでなければ、屍体性愛ネクロフィリア悲観主義者ペシミストな上、美的感覚センスが壊滅的なことへの説明が付かない。


「取り込んだ〈遺体〉が、治癒が完了するまで〈権能〉を――」


 ゾーイの語る言葉は、ほとんどの〈悪魔憑き〉にとって常識だ。


「そして〈印章〉が浮かぶは、〈遺体〉と、もしくは――」


 みだりに〈権能〉を使えば使うほど、急所と能力が看破されやすくなる。

 だからこそ〈印章〉の位置を隠し、〈権能〉は——対処できない初見しょけんごろしでもない限り——ここぞという場面でしか用いない。


「つまり我々にとって〈印章〉とは、でもある、気をつけたまえ」

 

 それが、理性ある〈悪魔憑き〉たちの暗黙の了解。

 ワイスのようにわざわざ見せびらかす方がおかしいのだ。


 おい、今のちゃんと聞いてたか——声をかけようとして、が聴こえることに気付く。

 視線をやると、ワイスは作業台の上で座ったまま器用に眠りこけていた。


 彼女は暇を持て余すと――たとえだろうと――十秒足らずで夢の中に入ってしまう。

 アルバートでさえ退屈な講義を前に、駄犬バカのなけなしの集中力が保つわけもなかった。


 そんなことは露知らず、ゾーイの弁舌はさらに熱を上げていく。


「そして〈権能〉はが大原則だ。既に〈悪魔憑き〉となった者が別の〈遺体〉を取り込んでも、既存の能力が強化されるのみで――」



◆◇◆◇◆◇



「――そもそもこんな得体の知れないものを理解しようとする、あまつさえ使我々の方こそ、異常なのかもしれないね」


 自嘲じちょうも含んだ口調でそう述べた後、ゾーイは手にしていた分厚い本を閉じた。


「――くしゅん」

 

 舞ったほこりを吸い込んだのか、ワイスがくしゃみをひとつ。

 言外に講義が締めくくられたのを察して、脱力したアルバートは固いベッドに寝そべった。

 吐いた息に混じって力が抜けていき、身体には疲弊ひへいの波がどっと押し寄せてくる。


「アルバート、ひとつ聞かせてくれないか」


 と、ゾーイの目が良からぬ企みに細められているのに気付く。


「……なんだ?」


 その目つきには見覚えがあるような気がして――しかし思い出せず、釈然としないまま応じる。


「住む階は違えど、君はエーデルワイスとひとつ屋根の下。そうだね?」

「……あぁ」


 うなずきと一緒に、既視感がに落ちた。


 ――大学時代の講師に、こんな奴がいた。

 講義が終わるとなまけていた生徒を指名し、恥ずかしいエピソードを暴露させて公開処刑する――

 その標的ターゲットを品定めするときと、よく似ている。

 

「さて、健康的なヒト科のオスであれば、があるわけだが……」

「なぁ変態。セクハラって言葉くらい聞いたことあるよな?」

「安心したまえ、これは純然たる学術的興味だ」


 予想通りの嫌味な質問に、がばっと起き上がって眉を引くつかせるアルバート。

 どこ吹く風のゾーイは、『私は死体デッドマンじゃないとたかぶらないよ』と笑う。


においに敏感な彼女に隠れて、一体どうやって発散しているのか……以前から不思議だったんだ」

「……週の真ん中。別れた彼女をネタにしてるよー」


 答えたのはあくび混じりの気怠げダウナーな声。

 さっきのくしゃみで起きたらしいワイスが、とんでもないことを口走った。


「おい待て駄犬バカ、なんで把握してんだ?」

「……あれ、?」


 寝ぼけ眼と半開きの口を、意地悪くゆがませるワイス。

 感嘆の息を吐いて顎に手を添え、なるほどねぇ、とほくそ笑むゾーイ。


 唖然あぜんとしていたアルバートはことに気付き、忌々いまいましげに舌を打つ。


「そういえばエーデルワイス。君はさっき私が話している間……?」

「!!」


 ゾーイの黒瞳が横に滑る。

 ワイスは目を見開き、頭の天辺から爪先まで全身をぶるぶるふるわせた。


「君はいつも他人に縛られず自由だね。……そろそろ肉体の呪縛からも、自由になってみないかい?」

「ぁ、あー……あっ、そうそう、次の予定があるんだよねバートっ」


 切羽詰せっぱつまった表情で、すがるように見つめてくるワイス。

 普段の悪態を考えると少ししゃくだが……ここから早く出たいのはアルバートも同じだ。

 仕方なく助け舟を出してやる。


「なに震えてんだ、早く来いワイス。ヴァルターを待たせてる」

「ぉお、賛成さんせーい。珍しく気が合うじゃーん」


 ワイスが早歩きで隣まで逃げ帰ってくる。

 戦闘外の彼女にしては珍しく機敏で、しかしどこかぎこちない動きだった。


「――そうだ、最後にひとつ」


 オカルト伏魔殿ふくまでんの奥から響いた声に振り返ると、ゾーイは舌なめずりのように目を細めていた。


「君たちは皮……じゃなかった、顔が良い。ぜひとも蒐集品コレクションに加えたいから、死ぬときはなるべく私の近くにしてくれ」

「「断る」」


 二人は全く同時に吐き捨てて、鉄扉を勢い良く閉めた。

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