第7話

 *



『織田作、今日は切れ味が悪いね。さては、昼間に面と向かって『なよなよした小説』だと言われたことを気にしているんだろう』



 ニヤリと笑って私を覗き込んだ顔は、あの愛嬌のある丸眼鏡……坂口安吾その人だった。このおとこは、存外と私の人生において重要な位置を占めていたらしい、と今更のように思った。



『なよなよ、じゃない……くねくねした気色の悪い小説、だ』



 吐き捨てるようにして呟いた私に、安吾は私の薄い肩をバシバシと叩きながら遠慮なく隣に座った。ひょろ長いばかりで中身の伴わない私よりずっと力強い腕は、叩いた場所をじんじんと痛ませて生きている熱と実感を与えてくる。



『ほうら、やっぱり気にしている。あんな風に言われるの、僕達はいつもの事じゃあないか』



 いつものことだ。確かにいつものことだったが、面と向かって、それも同業者が隣にいる時に言われたことは、私の自尊心を大いに傷付けたのである。坂口安吾も、それを分かっていてこうして最悪なふつかよいに付き合ってくれたのだろうが、それを全くおくびにも出さないのが、このおとこの良いところだと思っている。



『ナァ織田作、きみは生まれてくる時代を間違えたね。間違っても、戦時中とか戦後に生まれちゃあいけなかった。生まれるのが、早すぎるよ。それか遅すぎだ。良いかい、きみは優しすぎるのだ。今の時代は、バシッとバッサリと、僕や太宰君のように『何が気に入らん、これはダメだ、これが良い』と主張してやらにゃならんのだ』



 それは間違いなく、私の苦手なことだと溜め息を吐いた。時折頼まれて評論めいたものを書くことがあるが、これは小説を一本書き上げるよりもずっと私にとっては苦痛な作業である。もっとも、この坂口安吾に言わせれば『おかしな奴』であるようだが。


 私は人を納得させることが苦手だった。納得させるというのは、己が絶対の正解であると信じ込ませることに他ならない。それが例え大嘘であったとしても。私は大嘘まみれな自分自身をさらけ出すことが苦手だったのだと思う。小説でやる分には、おおいに結構。一方で、現実の己をこれ以上虚飾することには抵抗があった。




『きみは、何だってできる。天才だ』



 珍しく人を褒め始めた安吾に、私は目を見開いたが、もちろん彼の言葉には続きがあった。



『だから、今の時代ではダメなのだ』



 がっくりと肩を落とした私に、安吾は大真面目な顔で言葉を続けた。



『我々が『無頼ぶらい』と名付けられるのも、世間様がそれを求めているからだ。きみ、僕達とひとくくりに『無頼』と呼ばれるたびに、嫌そうな顔をしているぞ。僕は知っている』



 こうやって、人にとって耳の痛かったり、妙に核心を突くようなことを、ズケズケと気持ちの良いくらいに言うのが、坂口安吾という男だった。ただこの男には、懐に入れた相手に対してこういうことを言う時に、面白いくらい悪意がまるでないのだ。だから、黙って受け止め、考える余裕も生まれるというものだが。



 そうだ。何が『無頼』なものか。勝手に私を定義付けるな。



 そう、思ったことがない、と言えば嘘になる。今更、名前を気にするのも、それはそれで小さいような気がするから、だんまりを貫いていたが、そうやって無頼無頼と騒がれるたびに、それしか書いてはいけないような気にさせられてもどかしい。腹が立つ。そんな己にも腹が立つ。




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