第4話
「……怖いのですよ」
ポツリと口からこぼれた言葉は、紛れもなく私の本心だった。
「皆、もう一度死ぬのが怖いのです」
戸惑いの表情を見せるおんなに、そうだろうなと苦笑する。
「焼け野原はもう見ましたか」
「ええ、街の外に見えたわ。そこが危ないんですか?」
私は首を横に振ると、言葉を続けた。
「いえ、そこには本当に何もありません。どこにも繋がらない場所……どこまで歩いても、この虚構都市に戻って来てしまう。ただ、その場所に『深淵』と呼ばれる大きな穴があって、あの場所からしか、どこにも行けないのですよ」
「あれは、どこに繋がっているの?」
「誰も知らないのです。行ったことのある人間がいないから」
正確に言えば、行って帰ってきたことのある人間がいないだけなのかもしれないが。ただ不思議なことに、この街にいるのは『ここから出て行きたくない』と思っている人間ばかりだった。
おんなは私の言葉を聞くと、どうしてか瞳を輝かせた。
「あら、素敵。誰も足を踏み入れたことがないなんて、何だか子供の頃の冒険みたい」
私はおんなの言葉に、今度こそ目を見開いた。そんな風に、考えたこともなかった。確かに、あの場所は前人未到の地なのだ。どこに繋がっているとも知れない、何が待ち受けているのかも分からない。生前なら、喜び勇んで飛び込んでいたかも知れない。
「素敵な、ものの考えをお持ちだ」
自然と口元がほころぶのを感じていた。それもまた、間違いなく本心だった。
「ありがとう。ねえ、さっき『お仕事』とマスターが言ってたけれど、何をしていらしたの?」
急な話の矛先に、私は内心おおいに焦った。己の口から『小説家』と名乗ることは、やはりどうしようもない羞恥があった。
『我々のような小説を書いていると、おんなが気味悪がって、口説いてもシュッパイするのさ』
そう、津軽弁で肩を竦めた
「いえ、趣味のようなもので、そんな大層な話では……生前は、新聞社に勤めておりました」
嘘ではない。本当の事ではないが。一時期、勤めていたこともある。死後、売れているかどうかも分からない、小説家を名乗るよりずっとマシだ。
「貴女は?」
何となく職業婦人であるような気がして、ふと聞いてみれば、おんなはどこか恥ずかしそうにはにかみながら
「画家を、しているの」
そう、答えた。
「大したものだ」
いや、本当に大したものだ。婦人の身で画家を名乗っていることも、それを実際に口にして認められることも。私より、よほど立派ではないか。
「いいえ、本当に大したことはないのよ。パリに住んで画家をしてるって言えば、みんな凄いって誉めてくれるけれど、全然売れないの」
「
驚いた。どうやらおんなは、私よりも少し先の時代に生きているらしい。少なくとも、私の周囲に巴里で画家をしていた女性には、お目にかかったことがなかった。むしろ、巴里にいるから会ったことがなかっただけかもしれないが。
「私も一時期、パリに住んでいたことがありまして」
珍しく話に割って入ったマスターの言葉に、おんなは顔を輝かせて身を乗り出した。私は同郷(その表現が正しいのかは分からないが)の者同士、おおいに話すが良かろうと大人しく身を引きながら、ぼんやりと記憶の海にひきずり込まれていくのを感じていた。
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