選り好みがはげしい蒐集家

神無月そぞろ

蒐集家

第1話 愛憎「ストーカー」

愛憎(1)

「ヒィー、ヒィー! たっ、助けて! 誰かあぁ!」


 打ちっぱなしの灰色のコンクリートに囲まれた薄暗い地下駐車場で、短く荒い呼吸音の合間に助けを呼ぶ男の声が響く。


「誰かいないのかよお! 助けてくれぇ!!」


(エレベーターのところへは行けねえ!

 どこだ、どこにある! 非常口はどこなんだ!!

 確かどこかにあったはずだ。くそっ、なんでこの駐車場はこんなに広いんだよ!)


 男は片足を引きずりながら歩き、あたりを見回して必死になって非常口を探す。叫び声には嗚咽おえつが混じっている。


「うっ、うっ、誰か、助けてくれよお。ちきしょう、なんでこうなったんだよ」


(くうぅ、左足が痛い。血が止まんねーじゃねえか。

 止血してーけど、そんな余裕はねえ!

 早くこっから逃げ出さねーとマジで殺される! 非常口はどこなんだよっ!)



  ザシュ ザシュ ザシュ……



 地面のコンクリートと小さな砂利じゃりのこすれた足音が、駐車場内から聞こえてくる。


 足音に気づいた男は硬直し、目を大きく見開いて青ざめ、嫌な汗が顔からふき出している。恐怖で歯はカチカチと鳴っていて、体が小刻こきざみに震えているなか、視線だけを動かして音が聞こえた方向をうかがう。



  い る ――



 目の端に動くものが映ったので、男はすぐに体を向けて身がまえる。駐車場のひらけたところに、フリルのついたブラウスと、膝丈くらいのふわっとしたスカートという可愛い服装をした女がゆっくりと歩いてくる。


 女の姿を認めた瞬間、男の体は大きく反応して心拍数が急上昇し、汗がブワッと出てきて大声を上げる。


「うわわあああ!! んじゃねえ!!」


 男はすぐに背を向けて逃げ出した。太ももには傷を負っており、血で染まった足を引きずりながら大声で助けを求めて女から離れていく。


(なんなんだ! あの女!

 手加減なしで腹を殴ったのに、全然こたえていねえ!

 くそっ、動かすたびに足がものすごくいてえ! 思うように動けねえ)


 差し出した手に見向きもせずに去っていく男の姿を、見送っている女はボソリとつぶやく。

 

「……どおして逃げるの?」


 うつむき加減に立つ女の髪は乱れていて顔が隠れている。ブツブツと小さく言葉を発していてようすが変だ。女の上体は、ゆらりゆらりと小さくゆれていて、肩は力なく落ちている。腕の先を見れば、右手には先のとがった包丁を握りしめている。



「ヒイィ!」


 逃げているこの男は、とある店のホストでナンバー3の地位にいる人気者だ。


 男は仕事が始まる前に自身を化粧して美しく見せ、顔が引き立つように服で着飾る。鏡の前で手抜きはないか全身を最終チェックしてから開店を待つ。


 外で店のネオンが灯り、開店したことを知ったお客がドアが開くと、ていねいな身のこなしで女性たちをもてなし、彼女たちに夢を与える。


 女性たちの話を聞いて共感し、日ごろのストレスから解放させる。ガードがゆるんだところで注文を取ってもらい、さりげなくビジネスをする。また必要とあらば心をとかす甘い言葉をささやき、彼女たちが理想とする男性像を演じきって一緒にいるときは幸せの魔法をかける。


 この魔法はあくまでもビジネス。ホストが与える夢はカネのためで愛ではない。女性が喜ぶことを察知してサービスし、カネを引き出すのが仕事だ。


 大人の駆け引きは分別が大事だ。互いにビジネスとして割り切り、料金・時間限定のものとしなければならない。――それなのに彼はやりすぎてしまった。


 この男が働く店ではプライベートでお客と会うのを禁止している。開店前に店長の教訓から始まり、それは口癖のようになっている。


「いいかあ、おまえら。客とは外で会うんじゃねーぞ。あくまで店のサービスとして客には接しろ。でないとオレみたいになるぞ」


 そう言うと、店長は必ずサングラスを外して左目の義眼と痛々しい傷跡をスタッフに見せつけるのだ。


 若い頃、女泣かせホストと周囲から言われ、店のナンバーワン争いをしていた店長は、店以外にプライベートでもお客と会っていた。しかも一人ではなく複数の女性たちと同時に付き合って貢がせていた。


「オレにはおまえだけ。借金が返せたらホストを辞めておまえと一緒になる」

「いつも苦労かけてすまない。いつかオレがおまえを絶対に幸せにするから」


 甘いマスクに悲しそうな瞳をして、女性たちにじょうとう句をつぶやく。女性たちはほだされて、彼の言葉を信じる。


 巧みな言葉で女性たちをコントロールし、プライベートで出かけるときには、勤務先にばれないようスケジュール管理を徹底的に行った。デートでは、「キミが一番好きだよ」と何度もささやいて、彼女たちに特別な時間を与えてとりこにしていた。


 はじめはホストの言葉を信じていても、月日が経ち預金が減っていけば、たいていの女性は男の愛がまやかしだと気づいて去っていく。しかし女性の中には、「私がなんとかしなければ」「いつかは彼と一緒になれる」と盲目的になり、大金をつぎこむ人もいる。


 店長が付き合っていた女性の中にも、会うたびに高価な物をプレゼントし、かなりの額を渡してくる入れこんだ女性がいた。案の定、すぐに預金が底をつきたので、店長は彼女を切り捨てることにした。


 別れるときは怨恨えんこんを残さないことが肝心だ。トラブルにならないように、はじめはやんわりと別れ話を切り出した。しかし熱を上げている女性は納得しない。言葉を変えて何度も別れ話を持ちこむがらちが明かない。


「大丈夫! 私があなたを支えるから。だから一緒になりましょう」


 女性は一緒になることを望み、行動は次第にエスカレートしていってストーカーと化してしまう。お金がないので店に入れなくなった女性は、店の近くで出待ちをするようになり、元お客のおかしな行動に気づいたほかのホストから不審な目で見られるようになる。


 首尾よく別れるために遠回しに言葉を伝えていたが、禁止されているプライベート営業がばれるかもしれないという焦りと、往生際の悪い女性の態度に、イラッとしてつい言ってしまった。


「カネのない女に用はない」


 数秒後、店長は爪を立てた女に目をえぐられていた――


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