サンタさんにお願い

川木

第1話 井上佳奈美はずるくて難聴系主人公

「私、サンタさんにお願いしたいことがあるの」


 なんてことを、成人女性から言われたらどう反応するのが正しいのだろう。へえぇ、そうですかあぁ? なんてしょうもない反応しかできなかった私は多分不正解だ。


「うん。あのね……今年こそ、好きな人と年末年始を過ごせますようにって」

「……そうですか」


 だけど酔っ払っていてもう正解も不正解もわからない先輩は、にこにこしながらそう続けて、私は相槌をうつことしかできなくなった。

 その見ているだけで胸がきゅんとしてしまうような、とろけるような表情に、苦しくなる。どうしようもない叶わない願いを、ずっと持ってしまう馬鹿な自分。


 私と先輩は、中学からの付き合いだ。隣の学区で、私が何気なく放送部に入ってからの付き合いで、先輩は今や声優になり、私は小説家志望のOLである。

 すでにこの時点で差がついている気がしないでもないが、本人はバイトでくいつないでいる実質フリーターだよぉと言うのでそう言うことにしている。


 そんなそこそこ長い付き合いの、先輩、穂波咲夜と私、井上佳奈美だけど、私には先輩には言えない思いがある。ずっと、高校生の時からくすぶり続け、ついには最近ではもう永遠に消えない劫火になっている気さえする思いが。


 最初は本当に、彼女を恋愛対象だなんて思ったこともなかったのだ。高校1年の春、その日、先輩が家に遊びに来たその時まで。

 先輩が家に遊びに来るのだって、珍しいことではなかった。お互いの家に何度か行き来していた。だけどそんな中、妙に緊張しした面持ちでいた先輩に、何かおかしいな?とは思っていたのだ。


「あのね、かなちゃん。私、かなちゃんに言いたいことがあるんだ」

「どうしたんですか? 何かあったんですか?」

「私ね、かなちゃんのこと大好きなの。だから、ずっと隠し事をしていたくなくて。変に思ったり、嫌だって思ったら言ってくれて全然いいし、もしそうなら、距離を置くからね?」


 と意味ありげに前置きをされて、緊張感高まる空気の中、先輩は照れたように頬を染めて、それでいてどこか苦しそうなこわばった顔で言った。


「私ね……女の子が好きなんだ」


 その意味がすぐには飲み込めなかった。そんな話だと思っていなかった。でもそれはけっして、気持ち悪いとかそう言うことじゃなくて、そもそも当時の私にとって恋愛そのものが遠い世界のことのようで、恋愛対象について考えたことすらなかったからだ。

 いつか勝手に恋に落ちる、そのくらいの気持ちで、好みのタイプやどんな人が好きとか、考えたこともなかった。


 だから恋愛対象が同性なのだ。と言うのを理解して、そうなんですか。と相槌をうつしかできなかった。

 先輩と恋バナをしたことがなかったし、先輩としょっちゅう一緒にいて先輩だって同じように恋愛とは距離があるとばかり思いこんでいた。だけど実際には、先輩をとっくに恋を知っていて、その結果自分の恋愛対象が同性であると把握しているのだ。


「……やっぱり、引いた、よね?」

「え、いえ……驚きましたけど、ひいてはないですよ。なんでわざわざ言ってくれたのか謎ですけど、そういうこともあるんじゃないでしょうか」


 当時のテレビでもすでにそんな感じの人が出ていたし、恋愛に興味がなかった分、そう言う世界があるんだふーんとフラットに感じていた。なので先輩が同性が好きなのだと聞いても、芸能人レベルの面食いなのだと言われたくらいの驚きと、ある意味どうでもよささえ感じていた。


「安心してください。先輩が同性愛者でも別に、私と先輩の関係は変わりませんよ。先輩への思いは変わってません」


 先輩が同性が好きだとして、先輩と私は友達なのだからそんなの何も関係がないのに。どうしてそれを言わなくちゃいけなくて、嫌だと思ったり距離を取るなんて思うのか。わけがわからない。

 だけどそれを不安に思っていたなら安心させてあげたい。私はそう思って、先輩の手をとって握りながらそう励ましたのだ。


 先輩は私のありきたりの励ましに一瞬きょとんと、目をまたたかせた。そのいっそあどけないような顔は可愛らしく思えた。

 そしてにっこりと微笑んだ。


「……ありがとう、かなちゃん。嬉しい」


 だけどそのお礼と共にされた微笑は、なんだかとても作られたような綺麗さで、どこか泣きそうにも見えて、その時私は急にドキドキしてしまった。

 どうしてわざわざ、それを私に言ったのか。その疑問は、もしかして、私もまたその対象と言うことなのではないか? そんな風に急に思ってしまったのだ。


 その瞬間まで考えたこともなかった。恋愛対象が同性だとして、だから私が対象になるなんて思わなかった。だって同性とか、タイプにあってるかの前に、先輩と私は友達だったからだ。

 だけど一瞬でもそう思ってしまったら、意識してしまったら、駄目だった。


 改めて見た先輩は、初めて会った頃から年上で大人っぽいと思っていたはずなのに、いつのまにかそれよりずっと、本当に大人になっていた。友達としての女の子じゃなくて、女の人、みたいな、そんな雰囲気で、私は急速に先輩に対して胸が高鳴っていき、見る目が変わっていくのを自覚した。


「あ、あの、先輩……なんで、わざわざ言ってくれたんですか? そんなの、言う必要ないじゃないですか」


 それを伝えると言うことは、つまり私に対して恋愛に関する話をしたくて、その前の段階で言う必要があったと言うことではないのか?

 そんな期待をしてしまう私に、先輩は顔を伏せて、携帯電話を手に持った。


「あ、あのね……」


 そしてひとしきりもじもじしてから、そっと携帯画面を表示させていったのだ。


「私……彼女ができたんだ」


 だから、言っておきたくて。そう言われて、私は恋に落ちたのか定かではないような瀬戸際で、瞬間的に失恋した。


 それから私は、ちゃんと元の、正しい後輩であろうとした。

 だけどそんな風に一度でも感じたのが悪かったのだろう。それからもそうとしか思えなくて、時間がたつほど明確に、はっきり私は先輩に恋をして、より深くはまっていった。


 私が15歳の時から、これで10年になる。この間、先輩は数人彼女を変えていたけれど、全員タイプの違う人だった。だけど私と似たタイプはいなかった。

 わかっている。だから私だけは先輩の恋人になりえなくて、私だけは先輩にとってゆるぎない友情の相手なのだろう。わかっていても、辛い。


 新しい彼女の写真を見せてもらうたびに身を引き裂かれそうになるし、別れたと聞くとその場では慰める癖に家でニヤけてしまう自分が嫌だ。

 いっそこんな感情を忘れたいのに、友人としての付き合いがいつまでも先輩を胸に居座らせる。なかったことにさえしたいのに、先輩からのお誘いにいそいそと返信をしてしまう。


 今日だってそうだ。クリスマスにはまだ早いけど、寒くなってきた11月。彼女と別れたのだと言う先輩に、ほいほい誘い出されてこのざまだ。

 好きな人と年末年始を過ごしたい。と言うお願い。私のことを好きになってくれたなら、すぐにだって叶えられるのに。いつだって、サンタさんになってあげられるのに。


「あの、先輩。元気出してくださいよ。その、何と言っていいかわかりませんけど。先輩ほどの人をふるなんて見る目がないと言うか、ていうかほんと、不思議ですよね。折角のイベント前にわかれるなんてねぇ」

「うー、かなちゃん。慰めてくれてるようで、塩をぬられてる気持ちになるよ……」

「え? す、すみません」


 先輩は今までもそうだった。今まで5回、彼女ができて、だけどその誰もが長続きせずに、クリスマスになる前に別れている。私は不思議でならない。先輩ほどの人を振る人の気持ちがちっともわからないと言うのはもちろんあるけど。

 だけどそれを無視して、仮に先輩がいざ付き合うとうっとうしいタイプで仮に好意が目減りしていくのだとして、イベントだけでも恋人が欲しいと言う意見をネットや噂で聞いたことがあるのだ。そう言う人がいるくらいなのだから、逆にそれが終わってから別れればいいのではないだろうか。なのに誰一人イベント前に別れるなんて。不思議だ。


「まあ、なんていうか、別れたからいう訳じゃないけど、私なんかを一度は好きで付き合うって言うんだから、みんな見る目はなかったかもね。うん。あはは」

「もう、先輩。さっきから酔いすぎですよ。そこは逆に見る目あったんですって。自虐は聞いていて楽しくないですから、ほどほどにしてください」

「はーい、ふふ。かなちゃんは、相変わらずはっきり言うねぇ」

「う。言い方きつかったですか?」


 私はいつも考えが足りない。だから思ったことをついそのまま言ったりしてしまって、外見がちょっとキツめに見える釣り目なのもあって、初対面では距離を置かれがちだ。

 なので意識して普段は柔らかい言い方を心がけているのだけど、先輩は大昔からの付き合いなのでさすがに気が緩んでしまった。お酒も入っていて、私だって酔っているし。


 先輩の家で飲むのも珍しいことではない。失恋した先輩が心置きなく飲めるようにと言う配慮から、成人してからはそうしている。

 だからこそ、気を抜いてつい素で気遣いなく言ってしまったかもしれない。先輩だからこそ、少しくらい強くあたったって私を嫌うことはない。そのくらいお互いに信頼している。

 だけど絶対ではないのだ。長い付き合いで親戚なんかよりよっぽど近いとはいえ、赤の他人には変わりない。最低限に礼儀は必要だ。そうでないと、先輩に距離を置かれる可能性だってゼロではない。


 そう自戒してから、自分で笑ってしまいそうになった。何度も距離を置こうと思っているくせに。先輩を前にしたらこうして、離れたくないとばかり考えてしまう。どうしようもない。どうしてこうなってしまうのだろう。


「んふふ。まぁね。でも私相手なんだから、気にしなくていいよ。私、かなちゃんのそう言うところ好きだから」

「う……」


 やっぱり距離を置くべきだ、そう考えだした途端にそんなことを、とろりとした蠱惑的で柔らかな笑みで言うのだ。ますます先輩にのぼせ上がってしまいそうで、誤魔化すように私はカップを手にした。


「ん。おかわりまだありましたっけ?」

「あるけど。かなちゃんこそ、今日ちょっとペース早いね? 嫌なことでもあった?」

「あると言えばありますけど、愚痴るほど特別なことはないですよ」


 仕事が面倒なことも、先輩が好きすぎていっそ離れたいほどなのも、いつものことだ。わざわざ報告するほどの変化はなにもない。

 おかわりをだしてくれる先輩にそうそっけなく答えながら手酌でそそいでいると、先輩は子供みたいに唇をつきだして不満をあらわにして机に肘をついて身をのりだした。


「えー? かなちゃんは真面目ねぇ。別にいつものことでも愚痴って全然いいからね? と言うかそうじゃないと、私だっていっつも同じことで愚痴ってるじゃない?」

「失恋は別に、相手が違うんですからいいじゃないですか」

「そう言ってくれるのは嬉しいけどぉ」


 むぅ、と上目遣いで睨んでくる先輩に、どきどきと胸が高鳴る。相変わらず、酔った先輩は可愛らしい。ふいに口元まで落ちた髪をかき上げて、じっと見つめてきた。

 じわじわと変な汗が出てきてしまう。お酒でほんのり赤らんでいる先輩はすごくかわいい。おでこが見えているのも、何本か前髪が戻ってきているのも、新鮮で愛らしい。


 黙っていると、ばっと先輩は机に手をつくのをやめて、後ろにもたれるようにして後ろ手をついた。そして天井をあおぐように上をむいた。

 形のいいつるりとした顎と、鼻が見える。穴まで見えるのが、見えてはいけないものを見ているようで妙に緊張してしまう。


「ねー、かなちゃん。ひとつ、聞いてもいい?」

「なんですか? また変なこと聞くのはなしですからね」

「んー。変、って言うかさ。かなちゃんは、全然、恋愛の話しないけど……相手とかって、いないのかなって」

「いませんねぇ」


 先輩の呼び出しにほいほい応えているのだから、そのあたり察してほしいものだ。だけど他ならぬ先輩自身にちょいちょいいたのだから、会っていない時に他の人と交友を深めていたとしてもおかしくはないと考えてるのだろう。


「そ、そうなの?」


 意外そうに先輩は傾けていた頭を戻して私を見た。気まずさを誤魔化すような半笑いだ。

 なんだろう、その顔は。いくら先輩とはいえ、いらっとする。だいたい、誰のせいで私がずっと恋人がいないと思っているのだ。私だって、告白をされたことだってあるのだ。

 だけどどうしても、先輩が好きでたまらなくて、他の人と付き合うなんて考えられなかった。先輩が他の人と付き合っていたって、そんなこと関係なく、先輩のことしか考えられなくて、だから他の誰とも付き合えなかったのに。


 あー、でもほんとに、悔しい。馬鹿にしたような顔されても、可愛いんだもんなぁー! 顔がいいって暴力。


「そうですよ。悪いですか?」

「ご、ごめんね? 別に馬鹿にしたとかじゃなくて、意外で。聞かなかったけど、その、普通にいるんだろうなって思ってたから。かなちゃん、可愛いし」


 先輩は後ろ手をつくのをやめてちょっと猫背の前かがみになって机に顎でも起きそうなほど顔を伏せてそう言い訳した。

 まあ、そう言われて悪い気はしない。仮にも好きな相手になので、可愛いと言われたら嬉しい。どうせ私のことなんて恋愛相手として眼中にないのだろうと思っていても、やっぱり諦められないほど好きなのだから。 


「えっと、もしかして、恋愛に興味がない人なのかな? アセクシャルとか」

「あ? えっと、そういう訳じゃないです。普通に……好きな人はいますし」


 今まで先輩が自分から言う失恋話を聞くくらいで、積極的に恋バナをしたことはない。だからか先輩からも私の恋愛事情について聞いてきたことはなかった。意図的に隠したこともなかったけど、好きな人がいる、と本人に言うのはそれだけでばれやしないかと妙にどぎまぎしてしまう。


「えっ!?」


 目をそらして言う私に、先輩はわかりやすくびっくりした声をあげてどんっと机に手をついて、膝立ちになって身を乗り出した。

 そ、そこまでびっくりしなくてもいいと思うのだけど。勢いが凄すぎて、思わず今度は私が後ろにもたれるように下がってしまい、背後のベッドにぶつかった。


「あ、ごめん、びっくりさせて。痛かった?」

「だ、大丈夫です。と言うか、先輩こそ、そんなに驚きます?」


 痛みはそれほどではないが、背中がそこそこの勢いだったので地味にいい音がした。それによって先輩が正気に戻ったようで、膝立ちのまま対面から横にやってきて背中を撫でてくれる。

 大げさだし、ふいに近づかれると落ち着かない。手を振って大丈夫だとアピールする。それに先輩はほっとしたように、そのままそこに腰をおろして恥ずかし気にはにかんだ。


「いや、驚くでしょう。それは……ど、どんな人なの? あ、ごめん。言いたくないから今まで言わなかったんだよね。えっと……誰、って言わなくてもいいけど、どう言う感じの人とか、好みのタイプ的な? そう言うの、知りたいな……聞いてもいい?」

「いいですけど……恋バナ好きですね」

「こ、恋バナって言うか。かなちゃんと長い付き合いじゃない? なのに知らないなんて、今更だけど。かなちゃんの好みだから知りたいの」


 すぐ隣で正座から崩したような座り方で、恥じらっているのかそのままベッドに手をかけてもたれ、腕の中に半分顔をうずめたような状態ではにかみながらそんな風に言われて、断れる人がいるだろうか。

 いるとしたら先輩に惚れていない人で、つまり惚れている私に対してはクリティカルヒットなのだ。ていうかもう抱きしめて、先輩のことだよ! って言いたい……。


「……」


 だけどそんなことできるはずもない。そんな度胸があるなら、今まで何度だってチャンスはあった。無防備に目の前で寝ていたって、寝ぼけてキスをねだられたって、頬に触れる事すらできなかった。だから、恋愛に興味があるのだと言うことすらなかった。


「私の好きな人は……」


 どこまで言えばばれないだろう。そう思いながら口を開いて、はっとする。


 これは、チャンスではないだろうか。好きなタイプを言うだけなら、告白ではない。だから、もしそれで、先輩に自分が当てはまるのだと思われたとして、軽くかわして終わりだろう。もしほんの少しでも希望があるなら、冗談でも、軽くでも、のってくれるのではないか?

 何より、意気地がない自分でも、それくらいならできるのではないか?


 先輩の顔を見る。先輩は黙って見ている私に不思議そうにきょとんとして、ふふ、と笑った。そう言う反応が、ますます好き。何度も見てるけど好き。はー、好き。


「私の好きな人は、ほとんどいつも、笑ってます。ニコニコして、目があうだけで笑ってくれるような、明るい人です。優しくて、人の為に笑える人です」

「そうなんだぁ。かなちゃんも優しいから、きっとお似合いだね」

「……何言ってるんですか。さっきも言いましたけど、恋人ではないんですから。私の片思いですよ」

「あ、そだったね。でも……ううん。ねぇ、もっと聞かせて?」

「はい。私の好きな人は……」


 先輩は柔らかな笑みのまま、少し困った顔になったけどそう優しい声音で促した。その顔を見ていると、告白をしているような気になってしまう。少なくとも近いことをしようとしているのだと自覚してしまって、心臓がうるさい。

 私はさっき注いでから手付かずだった自分のカップに口をつける。間を持たせるように、気持ちを高ぶらせるように。


「んっ、はぁ」


 一気に飲み干すと、そう度数の高くないものとはいえ、くらりと酩酊して視界が揺れているような気になる。ふわふわとして、現実と自分の間に幕が張られているような、現実感の欠如。


「か、かなちゃん? あんまり一気は体に良くないと思うな?」

「私の好きな人は、陽だまりみたいで、本当に優しい人なんです。でも……ちょっと馬鹿です」

「え、あ、そ、そうなんだぁ」

「そうです。全然自分の価値が分かってないんです。そうじゃなきゃ、どうして五人も恋人ができてはふられるんですか。誰かを好きになるのも恋人を作るのも勝手ですけど、ちゃんと思ってくれる相手と付き合って自分を大切にしてくれなきゃ、私が諦めきれないじゃないですか。そのくせへらへらと自分だし仕方ないみたいな。はー、何か腹立ってきました」

「え、ああ、水、入れるね?」


 先輩は私の空いたカップに、2リットルペットボトルを持ち出して水を注いでくれた。

 その様子に、気が付いた形跡はない。割と具体的についさっきの文句を言ったのに、全然気が付いてくれないのにも腹が立ってきた。


「まあまあ水飲んで」

「はい……」


 言われるまま、こちらも一気に飲み干す。美味しい。さっきのよりすごくおいしい。これなんだろう。


「これ、美味しいですね。なんですか?」

「うん。水だね。酔ってきてるね。にしても、5人って、じゃあ結構長い片思いなんだ?」

「はい。そうですね。長いですね。……だって、しょうがないじゃないですか。今言ったところ以外、全然、悪いところがないんですもん。優しくてぽやぽやしているところも、全然鈍いところも、全部可愛いし、その癖黙ってたら美人だし」

「そうなの……」


 まだペットボトルを抱えたままの先輩を見る。今はもたれてもいないし、まっすぐに顔が見れる。なんだか困ったような顔をしているのがまた、可愛い。


「はぁ。そうなんです。ほんと、まず顔がよすぎるんですよ。すごい好みって言うか、もう好きになって10年ですけど、全然他の人に目移りさせてくれないし」

「じゅ、10年も? あ、水いれるね」

「ありがとうございます。ええ。長い付き合いだから全然無警戒で無防備で、こっちは大変ですよ。顔だけじゃなくて体も完璧で、胸も大きいし、何なら半分羨ま」

「えっ!?」

「わっ。な、なんですか、ちょっと、この距離で大声出さないでくださいよ」


 またコップに注いでもらいながら話していると、お互い体を寄せ合う感じで近かったので、先輩の声が妙に耳に響いて普通につらかった。身を引いて左手で右耳を抑える。


「ごめ、あ、あの、え、そ、それはごめん。ごめんなんだけど、え? あ、相手の人って、女の人なの?」


 先輩は何故か泡を食ったようにわたわたしてペットボトルを机におくものだから、勢いでわりとこぼれている。何をそんなに慌てることがあるのか。首をかしげつつも頷いて肯定する。


「え? ああ、そうです。言ってませんでし」

「聞いてないよ!?」

「え? はぁ、えっと、だとしても、そんな驚きます? 先輩もそうじゃないですか」


 手も濡れたのに、それも気にせず床に手をついて四つん這いで身を乗り出してくる先輩は妙に興奮している。確かに、今までそんな話もしていないし、今の好きな人の説明も、わざわざ性別を前置きしていなかった。

 でもそもそも、好きな人の話をするとき、異性なら、男性なんだけどね、と前置きしないだろう。私は先輩が先輩だから先輩として好きなので会って、女性だから好きなわけではない。いやもちろん、今となっては女性的な要素も全部好きなのだけど。

 というか、ち、近い。ちょっと体を寄せたらキスできそうな距離だ。いくら先輩がふわふわスキンシップも多め女子だからって、ここまで顔を寄せることはない。変な汗がまた出てきそうだ。


「そ、それはそうだけど……と言うか、10年? あれ……?」


 先輩の混乱したような顔から、何かに気付いたような表情の変化を私はじっとそのまま見ていた。固くなり、真顔になる先輩。それがどんな感情なのか、わからない。


「そうです。私の好きな人は……女性です。髪の毛もふわふわで、いい匂いがして、失恋しては人を急に呼び出すような、ちょっと困ったところもあるけど、そこも全部、一生懸命なんだなって感じで。年上だけど背も私より5センチ低くて、どこもかしこも柔らかくて、可愛くて、その癖しっかりもので家事ができて、料理上手できりっとしてる顔はすごく綺麗で、昔から、ずっと好きな人なんです」


 好きな人は先輩だって言えたら、どんなにいいだろう。だけど言えない。これだけ具体的で、さすがに先輩だって気が付いただろう。それでも、言えない。

 だって言ったら、断るって言う流れが必要になる。そうなったら一気に疎遠になってしまうではないか。先輩が気が付いて、さり気なく、少しずつフェードアウトなら私だって気持ちの切り替えができるかもしれない。

 だけどばっさり断られたら、もう立ち直れない。だから気が付いて。そしてその気がないなら、流して。思うことだけ許してくれるなら、気が付いてないふりをして、何でもないみたいに、今まで通りの友達でいさせて。


「……か、かなちゃん。その、それって……」

「小さいのに年上ぶってことあるごとに頭をなでてくれるところも、最初はビールって言って好きじゃないのに無理して飲んじゃうところも、真面目で仕事熱心なところも、そのくせ、地理が苦手で都道府県テストで赤点だったところも、文字は綺麗なのに変なペンの持ち方してた後遺症で変なところにペンだこがあるところも」

「ストップストップ! 本気でコンプレックスなのを指摘するのやめて! だいたい都道府県テストは、地学の先生がお休みだったから代わりの先生が出した自習であって成績とは一切関係のないものだって前も言ったでしょ」

「……」


 そう言う、過去のちょっとした失敗を本気で恥じらっているところも、むきになってしまうところも、可愛い。好き。

 だけど、ここまで言っているのに、そういうことはできなかった。好きな人として、好きなところをあげることはできても、好きな先輩としてお話しすることができない。


「……あ、あのさ、かなちゃん。その……その、あのね、私のこと、ずっと好きでいてくれたってこと、だよね?」

「……違います」

「えっ!?」


 沈黙する私に気を遣うようにぎこちない微笑を浮かべた先輩はそう確認するように尋ねてきた。そして当然だけど否定した私に驚いている。

 そりゃあ、いくらなんでもあれだけ言ってわからないほうがおかしいだろう。その上で、わかってほしくて言ったのに、確認されて逃げる私がおかしいのだ。わかっていて、肯定することができなかった。


 そうです。好きなんです。そう言ったら、告白だ。答えを受けるしかなくなる。だから否定するしかない。わかってる。ずるい。私はずるい。先輩に一方的に責任を押し付けている。

 答えを聞く勇気もなくて、もちろん直接思いを伝える気概もなくて、否定をされたくなくて、受けてもらうか、今まで通りでいたいのだ。


「違います。私は……私の好きな人は、中学から一緒の女性の先輩で、レズビアンで、声優兼コンビニ店員で、お酒に弱いわけじゃないのにすぐ呑まれて、お化粧してなくたって可愛いのに拘って新色がでたらすぐ試し」

「もう、わかった! わかった……かなちゃんが、好きな人のこと、すごく好きなのはわかったから、もう、言わなくていいよ」


 先輩を好きだと言っていると、断定したくない。その気持ちは少なくとも伝わったようで、先輩は片手で自分の顔を隠しながら、片手の平を私にむけて制止した。先輩の好きなところなのは本当だけど、ちょっと抜けたところも可愛いチャームポイントと思っているので、先輩的にはこれ以上聞きたくないようだ。

 これで、次の先輩の言葉が重要だ。その気がないなら、他人事みたいに、なんでもないみたいに、いつか思いが届くといいね、なんて残酷なことを言えばいい。でも少しでも気があるなら、ほんの少しでも希望があるなら、先輩から何か言って。


 甘えているのはわかっている。自分でも情けなくてしょうもなくて、今まで友達で好感度が高かったとしてこれでだだ下がっている自覚はある。それでもこれが、こと恋愛になると何にも言えない私が、実際なのだ。


「あの、かなちゃん……私、私も、ずっと好きだった。って言ったら……信じてくれるかな?」

「え? ……え、ごめんなさい、先輩」


 目の前の先輩に意識をやっていたはずなのに、急にずっと好きだったとか意味が分からないことを言われた。ここまでの流れだとまるで私のことをずっと好きだったと言っている風に一瞬感じてしまったが、そんなわけがない。

 そもそも先輩には何度も彼女ができているし、その都度私と全然タイプが違うし、あり得るとして今回の告白もどきでありかも、くらいのはずだ。


 だからこんなありえない言葉を言うと言うことは、その間にあり得るようになるような何かを言っていたはずだ。だけどまるで聞けていなかった。緊張して自分の考えに集中してしまっていたのだろうか。今一番大事なのは先輩の言葉なのに。


「聞いてなかったのでもう一回言ってもらってもいいですか?」

「えっ!? どういうこと!?」


 申し訳なくもそう素直に謝ると、当たり前だけどめちゃくちゃに驚かれてしまった。顔にあてていた手もおろして自分の膝を叩いている。珍しいくらいとてつもなく動揺している姿に、何だかそんな場合ではないけど可愛いと思ってしまう。


「す、すみません。本当に、私も今自分でもわからないんですけど、先輩の言葉を聞き逃してしまったみたいで」

「こ、この流れで?」

「はい。もう一度お願いしていいですか?」

「えぇ、うん、えっと……私も一回落ち着くね」


 表情の硬い先輩は、失礼にもほどがある私の態度に怒るでもなく、頬を掻きながら姿勢を机側によせて自分のカップに手を伸ばした。



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