収穫祭にて
─── 1 ───
冷たく光を弾く長剣の
繰り返される金属を打ち合わせる音は、暴力的なものの筈なのにリズミカルさえ聞こえる。
優雅な舞を踊るように滑らかな体捌きと、動きに合わせて流れる銀髪。
いつか、どこかで見たことのある……。
(こんなつもりではなかったのだが……)
剣を抜刀する程の揉め事の中、ティルダール・シン・ワイズは、心中でぼやきながら、肩を並べている者に一瞬見惚れた。
ぼやいている場合でも、見惚れている場合でもないにも拘らず。
大陸の交通の要所・イムヘル。広大な大地を幾筋も走る主な街道は、この都市で交錯する。必然的に、商業の盛んな場所になり、都市は肥大し、高い壁に囲まれた城塞都市と成長していったのは、極自然な成り行きだった。
イムヘル───またの名をギュール・レイテ=黄金の花の都というこの街を訪れたのは、束の間の仕事探しと長年の尋ね人の為だった。決して、街に集まって来た無頼漢と悶着を起こす為ではない。
けれど、旅の連れが───守るべき唯一の相手が、彼の助けを求めたのである。助けに行かないという選択肢は無かった。
到着したばかりの都市での今後を考えると、一方的に絡まれた相手といえども殺すわけにはいかない。だが、連れを守る為には、それなりに撃退しなければならない。生かさず・殺さず───それが出来るだけの技量が、彼、ティルダールにはあった。
「警備隊が来たぞっ!」
遠巻きに諍いを見守っていた誰かが、周囲に報せるように叫ぶ。ティルダールは時間を稼ぎながらそれを待っていた。
「逃げるぞっ!」
なりゆきで共闘していた背後の人物に、義理半分で声を掛ける。警備隊に係わりたくないのは、流れ者であるティルダールも同じ。けれども、その人物は、ティルダールが到着するまで、彼の大切な者を守っていてくれたのである。前後の経緯は判らないが、その恩義には報いなければならない。聞こえた証拠に、輝く銀髪の持ち主は小さく頷き、剣を持った二人は警備隊に動揺する無頼漢の隙を突いて活路を切り開き、アルフェスを抱え上げたまま共に脱兎のごとく逃げ出した。
時は黄金色の秋───豊穣の季節。
春からずっと人々が丹精した畑は豊かに実り、森の木々はたわわに果実を実らせ、動物たちも冬に向けて栄養を蓄える。
黄金の花の都・イムヘルでは、この時期に大規模な収穫祭を行うのだ。
いや、イムヘルだけではない。他のどんなに大きな都市でも、辺境の小さな村でも、この季節には同じような祭りが存在する。これから訪れる長い過酷な冬に備え、三つの季節の働きを慰労し合い、一年の実りとお互いの無事を祝う祭りだ───それが、もう数日のうちに始まる。
商業都市として栄えているイムヘルは、通常から人の出入りが多いが、この時期には別格に大量の人々と物資が、あらゆる地方から流れ込んで来る。各地の特産物を抱えた一儲けしようという商人は勿論、旅芸人や吟遊詩人、幾らか裕福な生活をしている観光客。他にも、都合の良い雇い主を求めて、主を持たない戦士や流れの魔法使い、ただのごろつきに至るまで、およそ想像し得るだけの種類の人々が、関を切ったように流れ込んで来るのだ。
夜明けの開門を待ってイムヘルに入ったティルダール・シン・ワイズとその連れは、取り急ぎ旧知の人物の住まいに向かった。何しろ、ティルダールの連れは、まだまだ庇護者が必要な年齢であり、誰か信頼が出来る相手に預けられなければ、人が多いが故に危険も多い雑踏の中を連れて歩かなければならない。それは、ティルダールが最も避けたいことだったのである。
ティルダールの連れ───アルフェス・キル・ワイズは、まだたった七歳の最愛の一人息子なのだから。
けれども、非常に思いがけないことに、ティルダールの当てが外れた。まだアルフェスが産まれる前に知り合った人物が、住まいを留守にしていたのだ。少々怪しさを
少々慌てたティルダールは、中の上ぐらいの酒場兼宿に飛び込み、店主に多少の金銭を握らせてアルフェスの一時的な保護を承諾させ、その場を動かないように息子に言い聞かせて、街に飛び出して行った。
目的は、そこそこで程度で良いので、拠点となる宿屋だ。アルフェスを預けられるだけの、信用ができる事が必須条件である。
勿論、商業都市であり、大都市であるイムヘルには、数え切れない程の宿屋があるのだが、この時期に限っては、宿屋の許容量を超える旅人が集結するのだ。出遅れれば、広場や路上で眠ることになりかねない。年間で最も賑わっているイムヘルは、一年の間で最も治安が悪くなっている時期でもあった。
幾度か訪れたことがある分、多少の土地勘があるティルダールは、都市の中心部は無理だと判断し、中央街から少し離れた場所で何とか一室だけ残っていた宿を確保した。旅人向けの宿としては中級よりやや下だが、馬屋もあり、何より
祭りを前にして、どこもここも混雑している人混みの中を、ティルダールは巧みに人波をすり抜けながら、足早に息子が待っている場所に向かった。
本人には全く自覚が無かったが、明らかに長い旅をして来た証拠である年季が入った旅装束と、腰に下げた長剣。群衆の中にあってなお頭一つ抜ける長身と、野生の猛禽類を連想する
収穫祭はこれから始まるのだ。真っ当な商売をしようとしている者も、後ろ暗い商売を目論んでいる者も、稼ぎ時はこれからだ。今、この場でこの青年の行方を遮り、一悶着起こそうとするものはいなかった。
アルフェスは、実年齢より思慮深く賢明な子供だ。けれども、まだたったの七歳である。その最愛の息子を、保護者不在の状態で置いて来てしまったという事実が、ティルダールの足を一層早めた。
そして、目的地までもう少しという所まで来て、その声を聞く。
「テュール!」
耳から頭頂へと突き抜ける甲高い声が、彼の愛称を呼んだ。
彼の愛称を呼ぶ人間は、この世で二人だけ───そして、この街においてはたった一人しかいない。
「どこぉ、テュール! 早く来てぇ!」
どうやらアルフェスは、彼を見つけて叫んだ訳ではないようだ。つまり、それだけ切羽詰まっているということ───ティルダールは、聞き間違いようのない声の発信源に向かって、速力を全開まで上げた。
目的地付近に不規則な人波。
その人々の壁の向こうに、金属が反射する見慣れた光が目に入る。振り上げられた金属製の何か───内臓が引き絞られるような危機感を感じても、伸ばした手が届く距離ではなかった。
瞬間的に高まった過度の緊張感に、血の気が引く───また、間に合わない。
「アルフ!」
「テュール!」
ティルダールとアルフェスが、互いの姿を見つけて叫ぶのと、質感が異なる別の銀光が翻るのは、ほぼ同時だった。
いや、新たに現れた銀光は二つ。
一つは、見知らぬ人間の動きの合わせて流れる銀髪。もう一つは、馴染み深い剣光だった。
二つの銀の光は、滑らかに子供の近くへと移動していた。その動きに従った銀髪が太陽の光を受けて輝き、無抵抗の子供に危害を加えようとしていた物を遮った動きが、もう一つの閃きとなって二人の視界に入ったのである。
レイピアとは少し違う細身の剣は、無頼漢が持つ重い剣の打ち込みを鮮やか過ぎる剣捌きで受け流し、一瞬の隙を突いて男の頸部に吸い込まれて行く。
声もなく倒れて行く大柄な男───それら一・二呼吸の間に状況を見て取ったティルダールは、周囲が息を呑んでいるその隙に、アルフェスの側に駆け寄っていた。
理由は判らないが、何らかのトラブルに巻き込まれたのは間違いない。それを、銀髪の人物が助けてくれたというところだろう。
ざっとアルフェスの様子を見て、怪我がないことを確認したティルダールは、すぐさま息子を守る態勢に入った。アルフェスもまた心得たもので、自分に背を向けた父親の剣帯を握り締め、ティルダールが多少激しい動きをしても離されないように体を側に寄せる。
アルフェスを保護下に置いて、幾分余裕が出来たティルダールは、改めて周囲の状況を確認した。
抜刀している男達、その数・六人。どいつもこいつも、脛に傷の三つや四つは持っていそうな風体をしている。そもそも、無抵抗の子供に剣を振り上げるような輩に、善良な者がいるとも思えない。
ティルダールの印象が正しい証拠に、態勢を立て直した無頼漢達は問答無用で切り掛かって来た。多少は腕に覚えがある彼でも、そこは多勢に無勢。善戦は出来ても決して楽ではない。更には、無害で傍迷惑な野次馬に囲まれているので、逃げ足を発揮することすら出来ない。
「警備隊が来たぞっ!」
野次馬の誰かが叫んだ。
防御に徹しながら、これを待っていたのである。
溢れる人波を掻き分け、幾つもの路地を当てずっぽうに曲がり、諍いの気配が遠退いて、ようやく多少なりとも人が少ない場所に辿り着いたのは、半刻ばかり駆け回った後だった。
「怪我はないか?」
乱れた呼吸を整えながら、腕の中の息子を降ろしながら問う。
「うん、大丈夫。テュールは?」
「大丈夫だ」
こんな出来事は日常茶飯事だ。父子して慣れているといってもいい。
お互いの無事を確認して、ようやく二人は、もう一人連れが居た事を思い出した。振り返ると、忘れられていた連れは、律儀にも付いて来ている。立ったまま体を二つに折り、脇腹に手を当てて、かなり息苦しそうではあったが。
(一瞬見ただけでは、人の印象など判らぬものだな)
内心でティルダールが呟く。
視界の端に映る剣捌きから、当たり前に男だと思っていたのだが、傾きかけた陽の光に晒された姿は、紛れもない女性のものだったのである。よく鍛えられてはいるが、男とは違う優美な曲線を描く体の線も、繊細な輪郭も、肩に触れる程の長さの輝く銀髪も───。
ただし、男だと思っても仕方がないような、剣士の服を身に着けてはいる。
「…ふぅ……」
ようやく呼吸が整ったのか、軽い吐息をついて上げた横顔に、ティルダールは硬直した。
いつもの空似だと、自分の臆病な部分が囁く声がする。体を動かした後とは違う動悸が、体を内側から叩く。剣を抜く時とも、降り下す時とも違う緊張感が、思考の芯を空っぽにしていく。
父親の変化を敏感に感じ取ったアルフェスは、遥か頭上にある強張った顔を見上げた。息子のどんな些細な動作にも反応する筈の父親が、アルフェスの記憶のある限り初めて、すべての神経を眼前の人物に捕らわれていた。
(そんな、まさか……)
呼吸を整える為にか、閉じたままの目蓋を縁取る睫毛───その繊細な毛先にまで光の粒が宿り、激しく動いた後のやや紅潮した顔に薄い影を落とす。意思の強さを表すきっぱりとした眉のラインも、流れるように流麗な輪郭も、ティルダールの記憶の中のそれと重なる。
重なり過ぎる。
(まさか───偶然にしても、度が過ぎる)
この商業都市イムヘルは、もうずいぶん以前───まだアルフェスが産まれる前、ティルダールとその探し人の生きる道が、それまでと決定的に変わることになった場所だった。その同じ都市で、再び人生を変える出来事が起こるということがあるだろうか?
そんな偶然は信じられない───信じられなくなるだけの時間が流れてしまった。
心の中の大部分でそう考えるのに、それでもティルダールは目の前の面影から視線を外すことが出来ない。
「エリィ……」
唇の間から微かに零れた名前に、アルフェスが父親と同様に身を強張らせる。
いつもいつも聞いていた訳ではない。けれども、長い旅を続ける間、月が輝く夜空の下の草枕で、雪が降る静かすぎる夜の寝物語で、何度も何度も繰り返し聞いてきた名前だ。ティルダールがその名を口にする時、寂しそうだったり辛そうだったりしたことはない。ただいつも、静かに、大切そうに囁く名前───。
「そう……なの…?」
訊くことさえ怖い。けれども、訊かないことも同じように怖い。
幼いアルフェスは、そんな矛盾した気持ちがある事を初めて知った。
親子の間を奔った動揺に気付いていないのか、ようやく呼吸を整えた女が、汗ばんだ髪を軽く振りながら顔を上げる。成り行きで連れになった二人に、その眼差しを向ける。
夜空に向かって広げた諸腕───その果てしなさ。
吸い込まれそうに澄んだ、深淵にも似た漆黒が二人を見ていた。
(違うか…やはり……)
それに、光の角度が変わると、銀に見えていた髪の色も白である。一筋も混じりもない、新雪にも似た純白の髪が、光を反射して銀に見えていたに過ぎなかった。
千切れそうに張り詰めていたティルダールの体から、緊張が消える。その事とその意味を感じ取って、子供は傍らの大きな体に頬を摺り寄せた。ティルダールの大きな手が、励ますように小さな背を優しく叩く。
「息子が迷惑をかけた」
「いや、厄介事になったのはわたしのせいだ。御子息は、わたしの話し相手になってくださり、一人旅の無聊に花を添えてくださったのだ。わたしがつまらぬ相手に絡まれたせいで、お二人にいらぬご苦労をおかけした。本当に申し訳ない」
華は彼女の方だ。
男のような話し方ではあるが、歯切れのいい彼女の声は、耳に快い音楽的な抑揚を持っている。
それに、改めて向き合うと、最初に男だと思ったのが信じられないほど麗しい女性だ。純白の髪と漆黒の双眸という稀有な組み合わせ。服装は質素な方で、着古した装飾のない剣士の服。色彩に乏しい姿の中で、紅い唇と白い額に揺れる赤い石のサークレットが印象的だった。
簡潔な一連のやり取りで一応の挨拶が済んだと思ったのか、彼女の表情が謝罪をする真摯なものから、がらりと変わる。やや薄い唇が悪戯っ子のような笑みを浮かべ、漆黒の瞳は好奇心で輝いていた。
「御子息とおっしゃったが、ずいぶんとお若い父上だな」
この質問は、ティルダールにとっては織り込み済みで、アルフェスと旅をするようになってからというもの、すっかり聞き慣れた台詞である。初対面の人間には、どうしも気になる事らしい。
「ああ、俺が十九の時の子だ。今年で七つになる」
「ほぉ……では、奥方も?」
「妻は十七だった」
「では、わたしと変わらないぐらいだな」
彼女は、二十三・四に見える。確かに、年齢差はなさそうだ。
「それほど若くして運命の伴侶を見つけて、可愛い息子を授かるとは、羨ましい限りだ」
幾つもの質問を重ねられ、挙句、知らない者故の勝手な感想を述べられても、不思議な程、ティルダールは彼女に不快感を覚えなかった。
いつもであれば、見知らぬ人間から問いを重ねられ、事情も知らずに勝手な見解を述べられれば、不愉快さなり疑念なりを抱くのだが───あるいはそれは、彼女の裏を感じさせないあっけらかんとした態度のせいかもしれない。
先程もそうだ。謝罪から一変しての好奇心───子供のように真剣で無邪気なそれは、やはり誰かを思い起こさせるものだった。
彼女が更に言を継ごうとした時、その気勢を削いだ者がいた。
アルフェスである。
「テュール、お腹が空いたよ」
───と、云われると同時に、ティルダールも彼女も自分の空腹にようやく気付いた。昼食も口に出来ないまま、大層な大立ち回りをしたのだ。腹が減っていて当然である。
「宿を見つけた。行って、食事にするか」
さも愛しそうに我が子を見やり、ティルダールが云う。
祭りのさなかに宿を見つけるのは、決して容易ではない。子連れともなれば尚更である。だからこそ、ティルダールは一人で走り回っていたのだ。
「見つけたのか? 良かったな」
「おぬしは?」
「わたしはどうやら野宿になりそうだ。やっと見つけた宿で、さっきの連中に絡まれたからな。せっかく街に入ったが、一旦は大門の外に出るしかないだろう」
だからといって、それを気に病んだふうもなく、実に気軽に云う。
その彼女の言葉の途中から、遠慮がちにティルダールの服の裾を、小さな手がつんつんと引っ張っていた。半ば諦め気味に見ると、予想通りの手の持ち主が。甘えるように、訴えるように父親を見上げている。
物心つく前から、父一人・子一人の旅暮らしを続けて来た一人息子は、普段から非常に物分かりが良く、子供らしい我が儘も滅多に言わない。そのアルフェスが、珍しく無言でおねだりをしているのだ。
その気持ちはよく判る。誰よりも。
ティルダールは自分と同じ癖のある黒髪を撫で、改めて彼女に向き直った。
「もしよければ、一緒に来ないか?」
意外な誘いに、アーモンド型の印象的な双眸が大きく見開かれた。そんな表情をすると、二・三歳は若く見える。
「いいのか?」
「こちらは構わない。おぬしが気にしなければな」
「気にすることは何も無いし、ありがたい限りだが───」
「が?」
「実は、初対面の人間のそういう誘いは、初めて受けるんだ」
照れているのか、紅い唇の端からぺろりと舌を出す。
「ああ、それなら気にすることはない。アルフの招待だ。我々も、初対面の人間を誘うのは初めてだしな」
その初めての行為を、何故する気になったのか───息子に望まれたことばかりが理由ではない。自分もそうしたかったのだ。
彼女の容姿と雰囲気は、このまま別れてしまうには、あまりに未練が残るものだったのである。
そうして、偶然出会った二人と半分は、しばしの道連れを決め込む事となった。
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