第3話 夢のような時間
多恵は自分の部屋に戻ると、化粧し、着替え直して玄関に戻ってきた。
母親から譲ってもらったブラウスにカーディガンを羽織り、白いロングスカートを穿いて、目いっぱいのおしゃれをしてきたつもりであったが、仁平は多恵を見て、いまいち浮かない顔をしていた。
「多恵……それ、一応おしゃれしてきたつもり?」
「そうよ。どこかダメなの?」
すると仁平は多恵の手を掴み、車の助手席に座らせた。
「ど、どこに行くつもり?」
「俺の知り合いがやってるブティックだよ」
仁平の車は田園風景の中をひた走り、町の中央にある繁華街へと進んだ。
「ここだよ。降りなよ」
多恵が車を降りると、目の前にはショーウインドウがあり、マネキンが色とりどりの可愛らしい洋服に身を包んでいた。
店の中に入ると、仁平は店員に声をかけ、多恵を指差すと
「この子に似合う可愛い洋服、探してあげて」
とだけ告げた。
「仁平、お金は?私、洋服を買うお金なんて無いし……」
「俺が出すよ」
「何で?私の洋服なのに?」
「だって、今日はお前の誕生日なんだろ?俺からのプレゼントだと思えばいいさ」
「仁平……」
「さ、お姉さん。こんな洋服はどうかしら?」
店員は、数着の洋服を棚から取り出すと、多恵に手渡した。
「え?これ……?すみません、私には無理ですよ」
「そうかしら?あなたにはきっと似合うはずよ。一度着てごらん」
店員のアドバイスは、優しくも多恵の閉じた心をそっと開かせる力があった。
「じゃあ……試しに着てみます」
試着室で渡された服に着替えた多恵は、おそるおそるカーテンを開いた。
そこには、店員と仁平の姿があった。
襟の大きな黄色の細身のシャツに紺のベストと、お揃いの紺のミニスカート。首にはカラフルな花柄のスカーフが巻かれていた。
スカートからは太腿が半分近く露出してしまい、多恵は腿の辺りを必死に抑えながら、顔を赤らめていた。
「どうしたの多恵?すごく似合ってるぞ、ミニスカート」
「だって……私、普段野良仕事やってて脚が太いから、こんなに脚を出すのが恥ずかしくって」
「そうかな?私は多恵さんの脚が綺麗だから、思い切って出した方がいいと思って、ミニスカートを薦めたのよ。それに仁平さん、ミニスカート大好きだしさ」
そう言うと、店員は笑いながら仁平向かって目配せした。
仁平は、こめかみのあたりを指で掻きながら、照れくさそうな顔をしていた。
「さ、もうすぐコンサートの時間だから、行かなくちゃ」
「ちょ、ちょっと!」
仁平は多恵の手を強く引っ張った。
店員は、にこやかに片手を振って二人を見送ってくれた。
仁平と多恵はブティックを出ると、そのままコンサート会場である町立公会堂へと向かった。
公会堂の中は、既に若い男女で超満員だった。
みんな目一杯おしゃれに着飾り、オーケーズのメンバーがステージに登場する瞬間を今か今かと待ち続けていた。
「緊張しちゃうな。私、こういう場所、初めてだもん」
「大丈夫だよ、俺が隣にいるから」
その時、二人の目の前に、大胆な巻き髪にペイズリー柄のミニのワンピースで着飾った、映画女優のような出で立ちの女性が、手を振って近づいてきた。
「あら仁平、来てたの?」
「礼子!」
「お父さんがチケット買ってくれたんだ。こんな田舎にオーケーズが来てくれたんだもん、ぜひ見なくちゃね」
礼子は二人の仕事の同僚だが、父親が町議会議員であり、裕福な家庭に育った。
その時礼子は、仁平の隣に立つ多恵の姿に目が止まった。
「ねえ仁平、この人は?」
「ああ、多恵だよ。一緒にコンサート見に来たんだ」
「ふーん、多恵なんだ。なんだか別人みたい。ま、せいぜい今日だけは楽しんでね」
そういうと、礼子は笑いながら手を振り、歩き去っていった。
「今日だけ?ど、どういう意味よ!?」
しかし、仁平は礼子に何も言わず、ズボンのポケットに手を入れたままうつむいていた。
その時、突然場内の照明が消え、場内に集まった少女たちは、一斉にわめき散らすように絶叫し始めた。
やがてオーケーズのメンバーが、続々と舞台の袖から登場し、楽器を手にすると、ヒット曲「アー・ユー・オーケー?」を演奏し始めた。
多恵は、すぐ目の前で演奏するメンバーを見て、身体の震えが止まらなかった。
バンドのリーダーでボーカルのオースケは、多恵の視線に気づいたのか、多恵の近くまで来ると、笑顔で手を振ってくれた。
「やだ、どうしよう、オースケが私に手を振ってる」
「多恵はオースケが好きなんだ?」
「うん。ギターのケータローの方が人気あるんだけど、私はずっとオースケが好きなの」
「じゃあ、手を振り返してあげないと」
多恵は、オースケに向かって精一杯手を振った。
すると、オースケはそれに応えるかのように、更に何度も手を振ってくれた。
「うれしい!オースケ、手を振り返してくれたよ!」
「あははは、きっと多恵が可愛いから、オースケの気を引いたんじゃないか?」
「え~?それはないんじゃない?」
「俺は今日の多恵の服と髪型、可愛くて好きだけど」
仁平の言葉を聞いて、多恵はハッと我に返った。
何気なく仁平の口から出た「好きだ」という言葉に、多恵の心は激しく揺れ動いた。
目一杯おしゃれをして、大好きなバンドのコンサートで、大好きな人と一緒に過ごす時間……それは多恵にとって、今までの人生で味わったことのない、夢のような時間であった。
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