第16話 戦況
サフィラスはとても幸せだった。
穏やかな午後で、気持ちの良い風が吹いている。
季節は巡り、秋になっていた。どこかで咲いている金木犀の香りが漂ってくる。
隣を流れる滝に、紅く染まった紅葉が浮かぶ。サフィラスはテラスにテーブルを出し、午後のお茶を楽しんでいた。
同じテーブルに、アグノティタもいる。
日課になったアフタヌーンティーの後、アグノティタとサフィラスは思い思いに同じ時を過ごす。
アグノティタは刺繍を、サフィラスは読書をしていた。
アグノティタの隣には、夏に生まれた子どもがすやすやと眠っている。
アウラと名付けられたその子どもは、アグノティタたっての希望で、アグノティタ自身が育てていた。
よく乳を飲み、よく眠る子だった。
「乳母たちは、子育てがいかに大変か語ったけれど、この子を見てから何も言わなくなったのよ」
アグノティタは幸せそうに微笑んだ。
アグノティタは、アウラを産んでから変わった。
「この子を抱くために」
そう言って慣れない筋トレをした。
サフィラスと一緒に何でも食べるようになった。
貧血が改善され、輝くように美しくなった。
元々美しい人ではあったが、以前の抱きしめたら折れてしまうような、儚い美しさは消え、変わりに内面から湧き出る生命力に、しなやかな美しさを手にいれた。
そんなアグノティタを見ているだけで、サフィラスは幸せだった。
この穏やかな日々が、いつまでも続けばいい。それだけを願っていた。
部屋の扉が開き、アグノティタの従者が入ってくる。盆に乗せた手紙を差し出す。
手紙を読み終えると、アグノティタはため息をついた。
「どうなさったのです?」
サフィラスは聞いた。
「戦況がよろしくないようです」
アグノティタの表情は暗い。
「そうですか」
サフィラスはどう声をかけたらいいのかわからなかった。
「今度の戦は必ず勝たねばならないのに……」
負けて良い戦などないだろう。そう思ったが、サフィラスは何も言わなかった。
アグノティタはサフィラスの顔を見て、少し困った顔をした。
「あなた、本当にわかっているのですか?」
「えっ? 何をですか」
アグノティタが「ふぅ」と息をつく。
「あなたにはまだ難しいかもしれませんが、あなたも皇太子です。できる限り理解しなさい」
アグノティタが噛んで含めるように言う。
「今、王宮にはお金が足りません。毎日ルヅラを生み出してはいますが、王族の数が減ったので足りぬのです。ですから、お父様は領土を拡大しようとしました。領土を拡大すると、収益が増えますからね。この戦は絶対に勝たねばならぬのです」
サフィラスは「はぁ」と言った。
「ちゃんと聞いていますか?」
「聞いていますよ。でも姉様。戦をしたら、もっとお金がかかるのではありませんか?」
「勿論です。戦にはとてもお金がかかります。ですから、尚更負けられぬのです」
「では、戦以外の方法でお金を儲けた方がいいのではありませんか?」
「は?」
「我々王家にはルヅラという元手があります。その元手を使って、資本を増やすのです。経済の基礎ですよ」
「王家に商売をしろと言うのですか⁉︎」
カルディア王国において、商人の地位は低い。カーストの一番上には王家が鎮座し、順に貴族、農民、工民、商人となっている。
「天主アンガーラは言いました。利益を求めてはならないと」
アグノティタは経典の一部をそらんじた。
カルディア王国の人々が信仰する天主アンガーラの言葉の中に、利益を求めずという一説がある。
その為、利益を追求する商人は卑しい存在だとされていた。
しかし実質カルディア王国において、一番裕福なのは商人であった。
彼らは思いもよらない方法で、巨万の富を築き上げる。彼らは金銭を増やすプロなのだ。
「でも、戦だって収益を増やす為にしているのでしょう? 同じですよ」
「同じではありません。そもそもあの土地は──」
「でも、さっき姉様はそう言いましたよ?」
アグノティタは言葉に詰まった。
「それに、利益を求めているのは、商人たちだけではありません」
アグノティタが怪訝な顔をする。
「どういうことですか?」
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