第13話 幸せ

「入りますよ」

 ドアをノックする音の後に、アグノティタの声がした。

 ドュールスとの稽古の後、サフィラスはシャワーを浴びる気力もなく、だらしなく自室のベッドに横たわっていた。


「どうぞ」

 慌てて起き上がる。服の皺を伸ばし髪を整える。アグノティタが部屋に入ってくる。

「お疲れかしら?」

「いえ、平気です」


 椅子を引き勧める。アグノティタはゆっくりと腰掛けた。

 続いてメイドが入って来た。メイドはワゴンを押している。何かいい匂いがした。


「先日約束したものです」

 メイドはテーブルの上に皿を並べた。銀製のクロッシュを開ける。

 すると皿の上に、なんともいい匂いのする物がある。


「これは何ですか?」

「牛のお肉です」

 サフィラスは驚いた。

「牛を食べるのですか⁉︎」

 王宮の料理で、牛が出てきたことはない。


「美味しいですよ。あなたも座りなさい」

 サフィラスがアグノティタの隣に座る。

 皿に鼻を近づけクンクン匂う。

「あれ、この匂い、どこかで……」

「ステーキといいます」

「ステーキ! それなら前に、ネブラ叔父様にご馳走になったものと同じかも」


 サフィラスは残念だった。あの店で食べた『カットステーキ』はあまり美味しくなかった。


「あら、そう。それなら別の物を用意すれば良かった」

 アグノティタが残念そうにする。

「い、いえ。大丈夫です。また食べたいと思っていたのです」

「この前は、美味しくなかったと言っていたじゃありませんか」

「えっと。でも、珍しい物だし、また食べたいなぁーと。アハハハ!」


 最後は笑って誤魔化した。


「それならいいけど。さぁ、召し上がりなさい」

 アグノティタにうながされ、サフィラスは迷った。

 食前の祈りを捧げるべきか、わからなかったのだ。このような中途半端な時間に食事を取ったことはない。


 するとアグノティタが両手を組み、食前の祈りを捧げた。

 サフィラスもアグノティタにならった。


 祈りが終わると、サフィラスはステーキを小さく切り分けた。

 前回食べたものが、ぶよぶよしていて噛みきれなかったからだ。

 小さく切った物を口に入れる。


「あれ?」

「どうしました?」

 動きを止めたサフィラスを見て、アグノティタが不安そうにする。

「口に合いませんでしたか? それともアレルギーかしら」


 アグノティタを見て、サフィラスがにっこり笑う。

「これ、美味しいです」

 つられてアグノティタが笑う。

「そう」

 サフィラスは小さく切ったステーキをどんどん口に入れた。


「とても柔らかいですね。噛めば噛むほど味がでます。それに全然しつこくない。前に食べたのは、脂っぽくて」

 柔らかい肉からどんどん肉汁が溢れてくる。脂身は少なく、ソースもさっぱりしていた。


「美味しいです。とても」

「良かったわ」

 アグノティタは薄く微笑み、お茶に手を伸ばした。ティーソーサーを持ち上げゆっくりと飲む。


「こちらは何ですか?」

 テーブルには背の高いスタンドのような物も置かれている。中には色の綺麗な物が並んでいた。


「アフタヌーンティーです。本来は下の段から食べますが、好きな順に食べていいですよ」

 一番下の段に並ぶ、パンのようなものを取る。


「これは何ですか?」

「サンドウィッチです。茹でた卵と胡瓜をパンで挟んであります。そちらはシュリンプとチーズ。そちらはサーモンとオリーブのタルティーヌです」


 サフィラスが食べるたび、アグノティタが丁寧に説明をする。

 サフィラスは自分の為に事細かに説明をしてくれるのが嬉しかった。


「それはミートパイ。そちらの三角のものがかぼちゃとブロッコリーのキッシュです」

 サフィラスは次々と口の中に詰め込んだ。そのどれもがとても美味しかった。


「一番上は甘味です」

 そう言うと、アグノティタは初めて手を伸ばした。

「オペラというケーキです。私はこれが好きです」

 銀のフォークで切り込みを入れ、口に入れる。

 その仕草ひとつひとつが美しい。


 サフィラスもオペラをとった。ほろ苦く、しっとりと甘かった。

「美味しいです」

 サフィラスはうっとりと言った。アグノティタの好きな物だと思うだけで、物凄く美味しく感じる。


「フルーツタルトと、コーディアルのジュレも美味しいですよ」

 色とりどりのフルーツは、まるで宝石のようだ。

 コーディアルのジュレは、つるんとした食感とハーブの香り。それにフルーツの甘酸っぱさが交わりとても美味しかった。


「これ好きです」

 サフィラスが笑うと、アグノティタも優しい笑みを浮かべた。

「食べるのは構いませんが、ちゃんと夕食も食べなければなりませんよ」

「はい、姉様。義務ですからね」


 サフィラスは自分の身を心配してもらえるのが嬉しくてたまらなかった。

「あなたは食が細いから。そうでなければもっとあげても良いのですが……」

「そうなのですか⁉︎」

 アグノティタが頷く。


「僕、全部食べます。夕食。残したりしません。だから、また一緒にこうして食べたいです」

「そんなに美味しいですか?」

「はい!」

「いいですよ。あなたは特に小柄ですからね。もっと食べた方がいいのかもしれません」


 サフィラスは生まれてきた中で、今日が一番幸せだと思った。

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