第9話 深い海の底
サフィラスは呼んでもらった車に乗り込んだ。
城へ戻ると、門衛に咎められるかと思ったが、車はすんなり城門を抜けた。
車を呼んだ時点で話はついていたのだろう。
(なんだ。城から抜け出すのって、意外と簡単じゃないか)
緊張していたサフィラスは拍子抜けした。
車から降り、自分の部屋がある居館へ向かう。
途中、サフィラスは一度だけ振り返った。
迎賓館ではまだ宴が続いている。ほのかな喧騒が漂ってきた。
煌々と照らされる迎賓館の中に、アグノティタはいるのだろう。
(姉様には光が似合う。明るいところで、幸せになるべきだ。こんな、誰もいない、暗いところにいる僕じゃ似合わない……)
居館は静かだった。当たり前だろう。皆、披露宴に参加している。
王侯貴族だけでない。民だって参加している。
どんなに貧しい者も、今日ばかりは王家からの施しを受け、大いに飲み、大いに騒いでいるのだ。
この国にいる全ての者が、今日は幸せなのだ。
サフィラスは、長い廊下を進んだ。
毎日歩いている廊下なのに、とても長く感じる。
(部屋は、こんなに遠かったかな……。きっと暗いせいだ。暗いから、先が見えない……)
深い海の底を這うような気持ちで廊下を進む。
ようやくたどり着き、ドアを開けると、部屋の中にアグノティタがいた。
「姉様⁉︎」
アグノティタは、サフィラスがいつもゴロゴロする時に使うカウチに横たわっていた。
「ど、どうしてここに! 披露宴は⁉︎ まさか、や、やめ──」
「あなたこそ、どこへ行っていたのです」
低い声が、サフィラスをさえぎる。
アグノティタが、とても怖い顔をしている。
「あ、あの。僕はその……」
サフィラスは両手を組み合わせ、もじもじした。
(どうしよう。言い訳を考えてなかった)
考える時間はいっぱいあったはずだ。
しかし考えることを、脳が拒否したのだ。
考えようとすると、サフィラスの中のサフィラスが囁いた。
『どうせ考えるだけ無駄だ。お前が抜け出したことなど、誰も気付かない。お前に注目する者など、誰もいない。アグノティタは、お前を見ない──』
「うるさい!」
サフィラスは叫んだ。
アグノティタがあっけに取られた顔をする。
「あ、ごめんなさい。違います。姉様に言ったんじゃないんです」
慌てて言い繕う。
アグノティタは驚いた顔をしていたが、何も言わなかった。
「外の、料理を食べてきました……」
結局サフィラスがしたことと言えば、たいして美味しくもない料理を食べ、ネブラの愚痴を聞いただけだ。
「それだけですか?」
「はい……」
うつむき、もじもじする。
(姉様に怒られるくらいなら、行かなければ良かった)
どうしたら許されるだろう。
そればかり考える。
うつむいたまま、チラッと視線を上げる。アグノティタと目が合った。
アグノティタは笑っていた。
途端にサフィラスも笑顔になる。
(良かった! 怒ってない!)
アグノティタはすぐさま厳しい表情に戻った。
精一杯怒っているんだぞという顔をする。
でももう遅い。
アグノティタが本当は怒っていないことが、サフィラスにはバレてしまった。
(それに、姉様は気付いてくれた。僕が城から抜け出したことに。姉様だけは!)
サフィラスはニヤニヤと緩む頬を引き締めることができなかった。
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