第3話 白いカサブランカ
よく晴れた、寒い日だった。広間に王族たちが集まっている。
息苦しさを覚え、サフィラスは襟の隙間に指を差し込んだ。
ルヅラ糸で織り上げた深紅の上着に、クリーム色のジレ。
豪奢なフリルのタイと、レースの袖口。
膝丈の半ズボンに白絹のタイツ。先の尖った革靴はとても窮屈だ。
「ちゃんとエスコートしてよ」
婚約者のクルクマが、サフィラスの腕を掴む。
「あ、あぁ」
しかしサフィラスの心はここに在らずだった。きょろきょろと辺りを見回す。だが目当ての人物はいない。
「何を探しているの?」
クルクマが言った。
「いや……」
サフィラスは言葉を濁した。
「もしかして花嫁が現れるとでも思っているの?」
クルクマが意地の悪い顔をする。
「来ないの?」
「来る訳ないじゃない。花嫁は控え室で準備中よ。もうすぐ私たちも教会に移動するわ。でも私たちが行くのは参列者の席。花嫁が向かうのはウェディングロード。式の前に会える訳ないじゃない」
ふんっとサフィラスから目を逸らす。
クルクマはまだ成人していない。サフィラスよりみっつ年上の11歳だ。だから髪を下ろしている。
くるくると内に巻き、ハーフアップにしている。
サフィラスは後頭部を飾る金や真珠でできた髪飾りを見つめた。そして腕にかかるクルクマの手に手を重ねる。
「あの……」
クルクマが少しだけ振り返る。
「何?」
「僕、ちょっと……」
やんわりとクルクマの手をはずす。
「ちょっと何よ」
「ごめん」
「ちょっとぉ!」
サフィラスは広間を抜け出し駆け出した。
アグノティタを探す。
クルクマは控え室と言っていた。もう教会に居るのかもしれない。サフィラスは教会に向かって走った。
王宮には、婚姻の儀と、葬いの儀にだけ使用する専用の教会がある。
中庭を突っ切り、東の塔へ入る。
教会が東の塔にあるのは知っているが、東の塔のどこにあるかは知らない。
サフィラスが生まれてから教会が使われたことは、一度もないからだ。
ステンドグラスから入る光が廊下を染めている。
勘だけを頼りに探しまわる。
奥へ進むと、花の飾られた扉があった。大きな白いカサブランカだ。
サフィラスは、扉をノックした。
「はい」
アグノティタの声がした。鈴を転がすような、細い澄んだ声だ。
「姉様。サフィラスです」
少し驚いたように、衣摺れの音がした。
「入りなさい」
サフィラスは扉を開けた。正面にアグノティタはいた。
真っ白なドレスを着ている。
大きく膨らんだジゴ袖に、細いウエスト。
裾にはルヅラ糸で花のモチーフが刺繍されている。
白に近い金髪を丁寧に編み込み、頭上には大粒のルヅラをはめ込んだティアラ。
重いベルベットのマントには、ペアシェイプカットに加工されたルヅラがいくつも縫い付けてある。それはまるで、アグノティタの紅い瞳からこぼれた涙のようだ。
サフィラスは動くことが出来なかった。
アグノティタの美しさに見惚れ、棒立ちになった。
「何をしているのです」
鈴を転がすような声に、サフィラスは我に返った。
「あの……」
「あなたがいるべき場所は、ここではありません」
「僕は……」
「皆が居る場所に帰りなさい」
アグノティタが厳しい顔をする。
「ちゃんとお祝いが言えてなかったから……。おめでとうを言いに……」
アグノティタの表情が少し和らぐ。
「そう」
「では……」
サフィラスはぺこりと頭を下げた。部屋から出ようと背を向ける。
「待って」
「はい?」
サフィラスは振り返った。
「嬉しいわ。ありがとう」
サフィラスは、ほっとして微笑んだ。アグノティタに嫌われたら生きていけない。
今度こそ本当に、部屋から出て行く。
自分のいるべき場所へ向かうため。
参列者の列に並ぶため。
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