16 せっかちだね。ほんと


「推定死亡時刻は午後14時ごろ。職場に確認を取ったところ、客と酷く揉めてトラブルを起こしたそうで、そのままクビに。今回の件はそれが原因ではないかと。」


大きなサイレンの音が脳を刺激する。

警察が駆けつけたのは、通報してから3時間ほど経過した後の事だった。

バタバタと家中を人が行き来し、疲れ切った顔のひとりの刑事が淡々と内容を告げていく。


14時‥タケちゃんと学校の廊下で話していた頃だ。あの時ちゃんと家に帰っていれば。いや、今更そんなことを考えても仕方がない。だって母さんは、もう


天井が軋む音が頭から離れない。呆然とリビングの椅子に座って刑事の言葉を繰り返し考える。

数時間だ。たったの数時間‥。

その間、俺の給料目当てでもいい。俺の帰りを待っていてくれればよかったんだ。それで全てが解決したんだ。

それなのに‥。


「あー根岸さん、この手紙がリビングの机の上にあったのですが、お母様の遺書と思われるものです。読まれますか?」


「‥」


‥遺書?気づかなかった。母さんを見つけてから、ずっと放心していてそれで、警察に電話して、後はあまり覚えてない。

1人の警官から気まずそうに渡された手紙に目を向ける。


俺はその手紙を受け取ると、そっと開き内容に目を通した。


ーーあなた‥、あなた、どうして帰ってこないの‥。どうしてどうしてどうして。こんなにも愛しているのにひどいわ。ーー


書かれていた内容はクソ野郎に向けたラブレターや養子縁組を了承してくれない担当の人への愚痴の数々。期待はしていなかったが、なかなか酷いものだ。

上から下まで全ての文を確認し、俺はハハっと、乾いた笑みを浮かべた。どこを探してもその手紙に俺の名は無い。


そうか、最後の最後まで俺の顔すら浮かばなかったのか、この人は。よく考えれば分かっていた事だ。戻ったところで、昔のようには行くわけないって。俺の居場所は、はなから存在しなかった。ただそれだけ。何も悲しくはない。変に期待をしてた自分が虚しいだけだ。

何が平凡だ。くだらない。そんなものを求めていた自分に吐き気がする。


運ばれていく母さんだったもの。俺はそれを虚な目で見つめる。


刑事の事情聴取を終えて、時刻は21時を過ぎていた。後の処理は、また後日に行うそうだ。俺はやっと帰った刑事と警察官にため息をつく。


『はぁ?ランクS?何かの間違いだろ!どう見てもありゃクソの中のクソだよ。はあ、こんな忙しい時にかぎって‥。俺の息子はああはならないようにちゃーんと教育しないと!』

『おい!聞こえてるぞ!』

『いいんだよ!涙一つも見せない馬鹿野郎には聞かせとけ!親はランクが高いってのにこんなボロアパートで生活して‥あの女性も1人で大変だったろうに‥。こんなっ』

『もうやめろって!す、すみません!こいつちょっと疲れが溜まってるみたいで‥ほら、今日って色々ありましたでしょ‥だから、ね?』


事情聴取の合間にわざとらしく吐かれた言葉。俺から視線を逸らしふんぞりかえるごついおっさん警察と、それを庇うように必死で作り笑いをして誤魔化そうとする同じく警官の男。その男の視線も決して好意的ではなく、内心では俺の更新されたランクに戸惑っているのだろう。見下しながらも、こちらの様子を伺う態度は思い出すだけで気分が悪い。相当空気が読めないのか、または頭がお花畑なのか。どこもかしこも同じだ。説教したがりの連中ばかりで嫌になる。


疲労が押し寄せる中、入院着を脱ぎ黒のパーカーとスウェットのパンツに着替え、俺はすっかり暗くなった外へと飛び出した。

あのアパートには居たくない。だけど行く当てもないから、足が赴くまま地下鉄に乗り、数時間前に通った道を引き返していく。

病院前の駅まで辿り着くと、そこからなんとなくに歩いた。


瓦礫だらけの街並み。

帰る時は浮かれて気づきもしなかったが、惨い光景だ。ランクが低く救出を後回しにされた連中だろう。死体が乱雑に並べられている。


ふと、風が吹いて、ひとつの死体にかぶせられていた布が吹き飛んだ。

奇抜な仮面に服装。Eクラスか‥。

俺は何を思ったのか、その死体に近づき、仏さんの仮面を取る。俺と歳もそう変わらない青年だった。苦しそうに瞳を大きく開けて、絶命している。


ーーマザーからのお知らせです。マザーからのお知らせです。ランクが更新されました。ランクが更新されました。至急確認をーーー


そんな放送が流れ、刹那、穂柄の言葉が頭に浮かんだ。

低ランクになるほど、良い能力を授かる。そうだ、あいつはそう言ってた。お前も変わるはずだったんだよな。穂柄みたいに自信に満ち溢れて‥。少しだけ長く生きられたのなら、少しだけ長く‥。そしたら世界が変わるはずだったのに。彼の瞼をそっと閉じてやる。


どのくらい時間が経っただろうか?彼を眺めていると、何度も、何度も‥見たくもない母さんの顔が脳裏をよぎって、俺はやるせなくなってその場から立ち去った。


フラフラと歩きだし、また死体と瓦礫の間を彷徨う。

ふと、崩壊していない建物の側を通った時だった。ガラス越しに映る自分の姿が目に入る。


頼りなく下がった眉。怯えるような瞳。への字に曲がる口。そりゃあこんなのどこ行ったってなめられるよな。病院でも、先ほどの警官の態度だってそうだ。ランクが高くなっても、俺は何も変わらない。変わらないと嘆くだけのそんな人間。


心の奥底では俺のせいじゃないなんて、そう思ってた。でも結局、全部俺のせいでこうなったんじゃないか。変わろうともしないで、努力もしなかった。それなのに偉そうに母さんに逆らって‥。プライドなんて捨てて学校を辞めていたら、母さんが望んだ内職だって続けられただろう。俺のバイト代だってもっと稼げたはずだ。そしたら縁組が通って、母さんも‥


『職場や近所の人からの聴取で、根岸さんお父様が出て行かれてから、だいぶ追い詰められていたって聞きましたけど、君は気づいて?』


刑事が最後にそう言い残した言葉。まるでランクの低い頼りない息子のせいだと。そう言いたげな視線。

ふざけるな。俺のせいだって言いたいのか。何も知らないくせに。俺がどれだけ‥。我慢も知らない、好きなことを好きな時に言っちゃってさ、それで全てを理解したつもりかよ?あー、あー、羨ましいこった。


俺のせいだ。俺のせいじゃない。なんて、数分ごとに変わっていく感情。矛盾して矛盾して、沸々と湧き上がる怒りと、もやもやと気持ちの悪い喪失感。この世界から消えてしまいたいと思うような羞恥心が心をぐるぐると渦巻いている。その割には冷静になっていく頭。


ふと手元に違和感を感じ、それを確認する。ああ、この仮面さっきの‥持ってきちまったのか‥。

馬鹿にするように笑った顔の仮面。自信に満ち溢れたそんな表情‥。

俺は何を思ったのか、その仮面を自分の顔へと装着してみた。そして黒のパーカーのフードを深く被る。ガラス越しに映る自分に俺は声を出して笑った。


ああ、だいぶましになったじゃないか。


「はは!あはは!ゲホッ、あはは!」


自信に満ち溢れていて、恐れ知らず。いつも余裕な顔して笑顔を絶やさないそんな人間。俺の理想の姿。そうか‥Eクラスの奴らもこんな気持ちだったのか。なんだよそれ、俺にももっと早く教えてくれよ。奇抜な衣装、最高じゃねえかよ‥。


「あは、は‥はは‥は。」


だるい‥。声は枯れて、ガラガラだ。馬鹿みたいに笑うのにも疲れた。頭がたぶんおかしくなってるんだろう。今はもう何も考えたくなかった。それでも溢れ出る笑いが止まらない。まるで狂ったピエロだ。


どうして‥こんな目に遭わなければいけなかったのだろうか?そんなに俺は悪いことをしたのだろうか?何度問いかけても答えは返ってこない。心の中が空っぽになるみたいな喪失感に襲われて、また笑えてくる。その繰り返しだ。


「そこのお前、何をしている」


ふと背後から聞こえる声に俺は思考を止める。

ゆっくりとその声の主に視線を向け、深いため息をついた。


暗くてもわかる。自信に溢れた表情。月に照らされる艶のある黒髪と鋭い目つき。どうみても上ランクの人間だ。今のランクは知ったことじゃないが。どうしてこうも間の悪い時に現れるのか。嫌がらせとしか思えない。


「おい、聞いているのか。そこで何をしている?」


徐々に近づいてくる黒髪の男。

頼むから絡まないでくれ。今は誰とも話す気分じゃないんだ。特にその容姿は見たくない。クソ野郎と歩く黒髪の少年の姿が重なって吐き気がするんだよ。


「はあ‥俺はこの通り学生だが、警察庁から実力を買われ、パトロールに参加している身だ。俺の言葉は一警官と同じ権力があると思え。もう一度言う。俺の質問に答えろ。怪しい者は取り締まる決まりだ。その仮面はなんだ?コスプレか?それに何故笑っていた。こんな悲惨な場所で不謹慎だとは思わねえのか。」


誰も聞いていないことをペラペラ話すその男にまた笑いが止まらなくなった。

うるせえな。笑って何が悪い?止まらねえから仕方ないだろうが。ここにいる理由をお前に言ったところで、お前は俺を助けてくれるのか?そんなわけないよな。いつもそうだ。お前らはそうやって正義振りかざすふりして、俺らを舐め腐った目で見て馬鹿にするだけだ。気持ち悪い。気持ち悪いんだよほんと。


「おい!聞いてるのか!」


掴まれる胸ぐら。俺は思わず口を開く。


「‥おま、え、ランク、は‥?」


こう言えばどうだ。言ってみろよ。ランクにこだわるクズ共が。ケイみたいに慌てるか?それか隠してしまうか。見ものだな。さあ、答えろ。


表情は見えない。だがゆっくりと開いていく口元。



「‥そうだな。今はEランクだが、お前に話を聞く上で、何か問題あるのか?」


「‥は?」



あまりにも正直に堂々とそう答えた奴に俺は一瞬困惑する。それと同時に、奴のその態度に胸が煮えくりかえりそうになった。

なんだよそれ‥。ふざけんなよ‥。


「ッ、‥」


どうしてそんな堂々としてられるんだよ。底辺なんだぞお前。何も出来ず、愚かなだけのゴミクズみたいなそんな存在なんだってば。努力しても無駄って確信されてて、世界の全員から疎まれる。そんな存在‥それなのに、どうしてそんな自信に満ち溢れてんだよ。

お前がそんなんだとさ‥

まるで俺がっ、

俺だけがっ、ランクに囚われてるみたいじゃねえかっ‥


「はな、せ!?」


俺は胸ぐらを掴んでいた奴の腕を勢いよく振り払う。

虚しい。恥ずかしい。嫌だ。消えてしまいたい。どうしてっ、


「おい、暴れるなっ!痛い思いをしたいのか?俺も暴力で解決はしたくない!少し話を聞くだけだ!おい!」


振り払っても振り払ってもまた違う場所を掴まれて、逃げられない。ついには力強く左腕を押さえ込まれ、俺は痛みで怯んだ。


俺もケイみたいに立ち向かえばよかったのか?どんなに嘲笑われても殴られても逃げずにこいつみたいに堂々としてればよかったのか?


臆病に世界から逃げだした俺が悪かったのか?


なんで俺がこんなに惨めにならなきゃなんねえんだよっなんで‥いつもいつも‥お前らはっ


「離せって、言ってんだろっーー!?」


ずりいんだよ‥っ‥お前らみたいになれたらっ、

俺が‥お前らみたいになれていたら‥




母さんは死ななかったんだっーー。


俺のせいで‥俺のせいだ。俺の‥俺の‥




ごめんなさいっ、ごめんなさい‥


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