~到来~
「今はそんな事にこだわる時ではないだろう。」
「ちぇ。これだからなー。」
諦めとも取れる言葉。
当然、成実の口からは溜め息が洩れた。
それを見守る秀吉。彼も勿論、強気な言葉とは違う感情を常に抱きながらこの会話をしている。
(奥州の民は皆…あの気候に似合わず本当に、紅蓮の様な心を秘めている・か…。)
秀吉は刹那、思った。
(先程の藤次郎とて、同じ。やはり)
「…違う。」
「?何がだ。」
「同じ【民】じゃない。あいつは、奥州の【王】になる男だ。」
「…口に出ていたか。しかし王とは、甚だしいな。」
「いや、なる。」
「何故、言い切れる?」
「あいつがそう言ったから。」
「…話にならないな。」
僅かだけ吐き捨てるように、秀吉は続ける。
「貴殿は…【世界】というものを見た事があるか。」
「世界?」
「そうだ。ものの奥ゆかしさ、…真意の――――」
それは各々に見える事象の、度合いの話だった。
だが、秀吉が語り終えるほんの間際。
『親父殿ー!!!』
ガツッ!
割り込んだ声がそれを掻き消す。
「うわあっ!?」
何かが足元に縋り着いたので、成実は声を上げた。
───────
「……子供…?!」
秀吉は目を疑いながらも、ただ正直に現実を口にする。
その時、一々と気配の察知を鈍らせるこの地の特性に、問答していた二人はやっと同じ事を考えただろう。
―――有り得ない。
血腥い地に突然訪れたのは何と、まだ前髪も剃らぬ
成実の足元は、
「う…うぅ…。」
「…大丈夫かー?」
成実は取り敢えず、訊ねる。
「痛い…。」
「そりゃ、頭から突っ込めばなー。」
「しかし…、やっと会えたぞ!親父殿!!」
漸く痛みが落ち着いたのか
顔を上げると、その童は満面の笑みを浮かべて成実を見た。
「会えましたか、…誰にですか。」
「なっ?……
「判りませんねー。作った覚えも無いし。」
「こら。」
成実の思わぬ言い振りに、秀吉が軽く頭を小突く。
「だって、本当に知らないんですよ。」
「人間、誰しも間違いはあると、私は考える。」
「俺の話を聞いて下さい、殿下。」
───────
「みっ…見損なったぞ!伊達政宗!!」
膝元で響いた声を、二人は見下ろした。
視線の先の童はその身を小さく震わせながら、今にも泣きそうな顔で、成実を見上げている。
「躬の事ならば、例え姿形が変わろうとも探し当てられると…言うておったではないかっ!!」
「だから、違います。」
「何が違うと言うのじゃ!!」
「名前。藤次郎は、あっち。」
成実は摩天楼が佇む方角を指差し冷静に返した。
童はきょとんと目前の顔を見上げ、続ける。
「な、何ぃ…?躬が違えたと申すか。ならば、お主は誰なのじゃ。」
「成実。【伊達】はまぁ、合ってますけどー…。」
(そんな似てるかな。)
自覚の無い首はただ傾くばかりであったが、童は笑顔を取り戻し、再び名を呼んだ。
「おおっ。お主……“なるみ”か!!」
「…ぁあっ!?」
「ははは!」
「これは良い!」
唖然とする成実の隣で、秀吉が高く笑う。
「成程のぅ。なるみならば見間違うても致し方あるまいて。」
童は合点とばかりに腕組みをし、何度も頷いた。
「何か腹立って来た!明らかに解って言ってんだろ、それ。正せ!」
「まぁまぁ、子供の言う事だ、…“なるみ”。」
「…、殿下。」
「ははは!」
───────
秀吉が小気味よさそうに成実を宥め、童をひょいと抱え上げる。
童は、僅かに訝しげな顔をした。
「む。その方、何をする。」
「貴殿は何処から来た。」
「屋敷に決まっておろうが。」
「誰の倅か、父の名は。」
「…言えぬ。」
「ならば、探し出すまで。」
「!」
迷子にしては、人が出来過ぎている。
(―――武家の出か、それ以上か。)
いずれにしても、この童には既に【威厳】が備わっている。
蔑ろにすべきではないというのが、秀吉の直感的に出した答だった。しかし、話題を認めた童は途端、秀吉から逃れようと身を捩らせ始める。
「か、帰らぬぞ。」
その視線は、具足の土を払いながら摩天楼を見据える成実に向けられていた。
「躬は帰らぬ!親父殿に会わねば、話は始まらぬのだ!!」
するりと秀吉の腕から抜け出すと、童は再び成実に縋った。
「おっと。」
「なるみ……いや、成実。あの黒き塔にぞ、親父殿は居るのであろう!」
「“親父殿”が藤次郎なら、そうだな。」
「決めたぞ…躬も連れてゆけ、あの頂に!今回は特別に、背負わせてやる!!」
「え?背負うってまさか」
「とうっ!!」
───────
ぎゅっ。
秀吉の驚きも他所に。
決起するなり、童は成実の背に回り、羽織の二又に飛び付いた。ちょうど、三寸ほど宙に浮いた状態になる。
「おわ!どこ掴んでんだ!破れる!!」
(やはり、この童は。)
秀吉はまた急速に思考する。
「承知せぬまで、離さぬっ!!!」
「…んのガキンチョ!大体、“背負わせてやる”とか、ふざけんな!!」
「待て、藤五郎!」
童の着物の帯を掴み、無理に剥がそうとした成実を、止めたのは秀吉だ。
「殿下。」
「童よ…ひとつ、訊ねる。」
「む。童ではない。」
「ならば何と呼べばいい。」
「……しろい。」
「白い?」
「【
童はそう呟くと僅かに不貞腐れてみせた。
「それは、何故に。」
「訊くはひとつと言うたであろうが。二言は聞かぬ。」
「……。」
秀吉は更に思考する。
(信長様は此度の件…私に一任すると仰せになられた。)
「…藤五郎。」
「何ですか。」
「その幼き白粉様をお抱えし…摩天楼を登りきれる自信はあるか。」
「…はぁ?!」
「むっ。その方、“幼き”は余計じゃっ!」
───────
その後の答を成実はどう紡いだのか。
結局の所、いま彼は童を背負い、秀吉の先導で摩天楼を駆け抜けている。
「“お前”などと、無礼な呼び方をするでないわ!」
背に在る童は相変わらず流暢に言葉を返した。
「だって“おしろい”とか何か、言いにくいし。」
走りながら答える成実。
「ならば何と呼ぶ。」
「そうだなー…。“みーちゃん”とか、如何かな。」
「み、みいちゃん?」
「みーみー言ってるから。」
「阿呆が。これはただの」
「みーちゃんが呼びやすいなー。」
「うぅむ…不本意じゃが、仕方あるまい。」
「やった!」
童の答を受け、成実は笑った。
「じゃあ、みーちゃん。」
「気安く呼べとは言うておらぬぞ。」
「あはは、確かに。」
「ふん。妙なやつじゃ。」
「知り合いなんじゃなかったのかー?」
「お主ではない。」
「ふーん。」
開けた道の中。
その長い木目を、辿る。
少し先で佇む秀吉を追いながら、成実はふと、辺りを見回した。
「何じゃさっきから、忙しないのぅ。」
その背を眺める童が訊ねる。
「いやー、明るいなって。」
「明るい?」
───────
「俺が知ってる道は、真っ暗だったから。」
それは、藤次郎と通った道だ。
往けども往けども明けぬ闇の中を、ただひたすらに走る。同じ様な感覚ではあるが、道が見えるのとそうでないのは、これ程までに、違うのか。
成実にはそう、【
「何か、楽だ。」
「見えぬ道は、迷う。お主がこの道を好むなら、やはりその道は迷い道であったのやも知れぬ。」
の、と
童は相槌を混ぜて告げる。
「おお、解る!そんな感じしてた!」
「…ふん。」
(小童め。)
童は鼻で笑い、そっぽを向いた。
「遅いぞ!藤五郎!」
「げ、殿下がまた怒ってるー。」
(何であんなに気が短いんだろ。)
当然の疑問を留め、成実は秀吉の居る壁の前へ駆けて行く。
「人ひとり背負ってんですから、勘弁して下さいよ。」
「話は後だ。この壁の【向こう】から、何か聴こえないか。」
合流して間も無く
僅かに怪訝な面持ちを浮かべている秀吉が、背にした壁を後ろ手に小突いた。
「何かって?」
「判らないから訊いている。」
言葉を受け、成実は少しだけ考える。
「いやー…。殿下に判らないものが、俺に判るんですかね?」
───────
そうして返した言葉は、秀吉の表情を少しだけ緩めた。
「意外な見解だ。しかし…私は仙人でも、何かの達人でもないぞ。」
気付きの表情も刹那に、秀吉は微かに笑む。
「……聞くんじゃなかった。」
成実は溜め息を吐く。
その笑みに、【焦燥】が含まれていたからだ。
その何とも言えない嫌な気配は、避ける術も無く、自然と身に迫って来る。
「人…ですかね。」
「恐らく。居るとするならば、二人。……いや、三人か?」
「……。」
成実は壁の向こうを【見た】。
厳密にはただ張り巡らされている天井を見たに過ぎないが…言われると自ずと、そんな気がしてくる。
「おーい!誰か居るかー?!」
ひとまず、声を掛けた。
静寂に吸い込まれる呼び掛けはやはり、ただ短く響いて消える。
重厚な白塗りで固められた壁の向こう側。
一体、何があると言うのか。
判るのは、この場所とは違う事象が在るという事だけだ。
「何なんだよー…。」
成実が呟いた、その時。
「…来るぞ。」
童が壁を見つめた。
「え?」
「来る。」
もう一度言って、成実の背に横顔を伏せる。
「いや、だから、なっ」
「何なんだ。」
成実が訊ねようとすると、壁が突然、音を立てて裂けた。
秀吉のちょうど真後ろ。茶の木目と炭屑、炎を纏う男が一人。まるで吹き飛ばされる様に、割り込んで来たのだ。
───────
(解説欄)後日更新
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