第25話 悪人の末路
「どうなってんだ!」
朝倉氏幹が龍主席から飛び出してきた。無表情にこめかみだけが生き物のように痙攣している。
「失敗したんですよ」
龍主席の入口近くで待っていた友治はそう言い、近くのトイレを目線で示した。
「ああ!? ……ああ、そういう事か」
怒りの形相そのままに、しかし朝倉は落ち着きを保って友治に続いてトイレに入る。そこは龍主席近くのトイレだけあって純白を保っているが、場所と時間が時間なだけに、競龍場の喧騒とは断絶していた。
「蒲池君、八百長に気付いたからって強請に来たってわけ? 証拠はないし、むしろ罪を犯したのはそっちなんだよ」
罪か。友治はトイレの窓際に行って振り返り、入り口に佇む朝倉を正面から見据える。
「俺が戸次騎手に教えたんですよ、八百長の事」
朝倉の額に、青筋が立った。
「……冗談か?」
言いながら、朝倉はスマホを取り出して誰かに指示を出すような操作をする。あと少しもすれば朝倉の仲間が到着し、逃げ道は完全に塞がれる。
「八百長で金稼ごうなんて考える人には、冗談としか思えないでしょうね」
朝倉は鼻で笑った。
「馬鹿か? 金なんてどうでも良いよ。俺が八百長をするのは、人間が協力して罪を犯す姿を見たいからだ。俺が指示を出せば、どんな悪事でも逆らわずに従う。その姿を見たいからだ。それをお前……逆らいやがって」
朝倉は金に困っていないだろうとは思っていたが、八百長をするのはそんな理由だったのか。自分は借金で脅され、まんまと遊ばれていただけか。
「残念ながら失敗です」
「だからどうした? 警察に泣きつくのか? 捕まるのはお前だぞ。借金だって残る。まあ、警察に逃げ込まなくても終わりだけどな」
微かに、窓の向こうで大勢が走っているような音が聞こえた。おそらく朝倉の仲間が集まってきた。トイレの入口の方でも似たような状況の筈だ。
「好きにしてください」
怒りを残しながらも、朝倉は眉をひそめた。
「最初は八百長にただ乗りしようとしたんですよ。でも、磐梯山競龍場で八百長が発覚してできなくなった。それで急いで別の八百長を考えて、戸次騎手を利用しようと聞き込みやレースを見返して必死に弱みを探しました。その時、気付いたんです。あの日、戸次騎手が墜落した時の真実に」
龍同士の接触により、親次の騎乗龍が体勢を崩し、錐揉み回転して落下。その急激な回転により命綱が外れ、親次だけが墜落した。公式ではそういう発表だった。
「あれ、自分で命綱を外したんですよ」
弱みを探す過程で何度も目を通し、ようやく違和感に気づいた。あまりにも激しい錐揉み回転でコマ送りでもはっきり確認できなかったが、確かに親次は自分で命綱を外した。
「結果、騎乗龍は背中の重りがなくなった事で辛うじて体勢を取り戻し、墜落を避けられた。一萬田調教師にしつこく聞いたら頷きました。本人の強い希望で隠していたらしいです。その瞬間、戸次騎手の見方が百八十度変わりました」
それで過去のレースを見返すと、親次が無茶な騎乗をする龍の傾向が見えてきた。
それは、弱い龍だ。
強い雄龍やそれなりの成績を残している雌龍の騎乗は、強引なところはあっても比較的無難な乗り方をしている。危険騎乗をするのは決まって、明らかに弱い雌龍か大きなタイトルを取っていない中堅以下の雄龍だ。そこから予想できる親次が危険騎乗をする理由は一つしかない。
競翔龍の将来。
競翔龍は引退すれば繁殖に上がって未来に血を繋ぐ。しかし全ての龍が繁殖に上がれるわけではなく、雌ならある程度の実力や血統が良ければ繁殖に上がれるが、雄となると名龍と呼ばれるような偉大な龍しか繁殖に上がれない。それも競走馬と違って龍は圧倒的に危険だ。乗馬のような行先はない。繁殖に上がれない龍の行き先は一つ。
屠殺されて漢方薬となる。
一騎でも多くの龍を助けたい。戸次親次はその思いで危険騎乗を繰り返した。その思いがあったから、咄嗟に命綱を外せた。
「気付いたら、戸次騎手のファンになってましたよ。自分と同世代、それも年下なのに凄い奴がいるなって。そして、自分が恥ずかしくなりました。だから八百長の事を伝えて、包囲網が敷かれる可能性も示唆したんです」
感動のレースだった。
利き腕が使えなくなり地方競龍にまで堕ちた親次は、リハビリをしつつ新たな騎乗スタイルを見つけ、包囲網を堂々と打ち破って勝利した。
「戸次が凄い奴か……」
朝倉は呟き、それから、声を上げて大笑いした。
「あのヘタレが!? 龍が殴り殺されるところ見て青ざめてたヘタレが、凄い!?」
龍が殴り殺される。
「……何の事ですか」
「屠殺だよ。前にも言っただろう。うちは特別な手法で龍の漢方薬を作ってるって。つまり殴り殺してるんだよ。犬神って知ってるか、それと似たような理屈だ。動けなくした状態で散々殴って殺すんだ。そうしてできた龍の漢方薬には龍の恨みつらみが籠ってる。これが闇市場で高く売れるんだよ」
龍を殴って殺す。
ようやく、親次が突然変貌した理由が分かった。
親次はそれを見たのだ。自分の命を懸けても龍を救おうとするほどの龍好きが、龍が撲殺される場面を目撃した。想像するだけで息が苦しくなる。胸が痛くなる。龍をこよなく愛する親次が受けた衝撃と悲しみは、尋常でなく深かっただろう。
「……よくバレませんでしたね」
「あのヘタレがチクって競龍協会の人間が来たよ。でも予想できてたからちょいのちょい、直ぐに納得して帰っていった」
その一件は、親次の妄言として処理されたのか。そんな事はないだろう。むしろ未だに朝倉は競龍協会からマークされている可能性もある。しかし朝倉は尻尾を見せず、競龍協会も疑っているに留まり、競龍協会に対する不信感だけが親次の心に残った。
墜落した時に真実を言わなかったのも、そこに起因するのではないか。競龍界への強い不信感から、親次は真実を明かす事を拒んだ。いや、心を閉ざした。だから師である一萬田好連は、龍具の管理義務を怠ったとして制裁を受けてでも、弟子を尊重して嘘を吐いたのではないか。
「もう良いだろう、蒲池君」
朝倉が溜息交じりに言った。
「真実が分かっておめでとう。俺の遊びをぶち壊してくれた君の行き先は地獄だ。さあ行こうか」
抗う気はなかった。
龍を助けるようと命を張っている戸次親次に憧れた。だから今までの恥ずかしい自分ではいたくないと思い、全てを清算しようとここに来た。
その筈だった。
友治は、親次が危険騎乗する原因を知ってしまった。無残に殺された競翔龍を見て、親次はどうにかして競翔龍を救おうとした。しかし競龍騎手でしかない個人にできる事などほとんどなく、危険騎乗だろうが騎乗した龍を少しでも多く勝たせて生き残る可能性を高める事しかできなかった。
やはり、戸次親次は凄い人間だ。だからこそ悲しく、周りの状況に怒りが沸いてくる。
親次を助けたい。心からそう思う。
一人黙々と罪を償っている場合なのか。それは、親次を助けた後からでも遅くはないか。後ろ髪を引かれる思いがだんだん強くなる。
「……待ってください」
焦り。
自分が殺される事ではない。親次が一人で足掻き、最後には墜落して死んでしまうのは目に見えている。それを防げない焦りが胸を突き上げる。
「駄目だ。死ね」
即答される。トイレの入口から足音が入ってくる。
「そこ、通せぇ!」
大声が響く。大柄の男がトイレに飛び込んできた。
「感動したぞ蒲池!」
ダイブの編集長の田北義久。下着が透けるほどの大汗を掻いて息を荒げている。慌てて後から入ってきた朝倉の仲間たちを視線で威嚇して、友治に言葉を飛ばす。
「お前が書いた戸次親次の記事、最高だった!」
確かに今日の朝、急いで書き上げた親次の真実を綴った記事を遺書のつもりで編集部に送り、友治の置かれた状況も伝えた。それからまだ数時間だ。届いた瞬間に飛行機に乗ってきたのか。
「おい、誰だ、上司か」
朝倉が言い、仲間に田北を連れ出すように指示を出す。しかしプロレスラーのような体格の田北は力強く、数人がかりに抵抗しながら朝倉にガンくれる。
「お前こそ誰だ?」
「蒲池君に金を貸してる。その取り立てだ。これは正当な権利の行使だ。とやかく言われる筋合いはない」
「いくらだ?」
「三百万」
言うが早いか、田北は懐から分厚い封筒を取り出した。
「持っていけ」
朝倉は封筒をひったくるように受け取り、中身を確認する。舌打ちした。呆気に取られていた友治は、我に返って追い打ちをかける。
「これで弱みは一緒です。だからもう終わりにしましょう」
朝倉は、友治を見なかった。
「……もう良いよ」
仲間を顎で促して借用者の束を出させ、それを田北に渡した。そして、何事もなかったかのように消えていく。
終わったのか。
借金はなくなったが、お互いに弱みを握っている。友治が朝倉の犯罪を警察に告げたとしても、間違いなく朝倉は対抗策を打っている。朝倉にしても、友治を刑務所に入れようと拘っているとは思えない。
「ほらよ」
田北が借用書の束を突き出す。反射的に受け取りそうになり、友治は慌てて押し返した。
「受け取れませんよ。というかあの金」
田北はヤニで黄色い歯を見せて、にかっと笑った。
「目をかけてた奴が良い記事を書いた。三百万、安いじゃねえか」
こんなところにも凄い人がいた。友治は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「気にすんな。まあ、お前の借金の総額を聞いた時は驚いたけどな」
礼を言っても言い足りない。だからこそどうせなら言ってしまえ、そう思って友治は口を開いた。
「その、言いにくいんですけど、仕事の件でちょっと良いですか」
「なんだ。戸次の記事なら良かったぞ。次の目玉だ」
「取材に行きたいんですよ、海外に」
「お前……」
会社の金とはいえ、海外に取材に行くとなれば結構な額になる。しかし、時間がない。親次が墜落死する前に、取材を成功させなければならない。
「中東に行かせてください」
田北は呆れたような顔をしていた。頭を掻き、溜息を吐き、厚い胸を張る。
「行ってこい!」
「ありがとうございます」
翌日、蒲池友治は飛行機で飛んだ。目指す先は競龍の本場である中東ドバイだ。
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