第23話 出翔に備えて



 キングフィッシャーは早朝は眠いらしく大人しかったが、調教が終わって食餌の時間になると以前のように暴れ出した。



 餌を咥えて何度も噛むが、一向に飲み込まない。それどころか首を左右に振って餌を捨てる。また桶の中から餌を咥え、同じようにして食べずに投げ捨てる。



 葵は三砂に解決策を聞き、掌から直接餌を与える事にした。



 革製の手袋を付けた掌に小さな肉塊を置き、キングフィッシャーに差し伸べる。



 緊張の一瞬だった。昔友達が飼っていたインコに餌をあげた時、啄むのと同時に掌を突かれた覚えがある。あの時は小さいインコだったから出血もなかったが、巨大な龍に同じ事をされれば掌に風穴が開いてしまう。



「……ゆっくり食べてね」



 キングフィッシャーと自分の緊張を和らげようと言ってみる。キングフィッシャーは葵の掌の餌をじっと見つめ、嘴を近づけてきた。額から垂れてきた汗が目に入って染みる。それでも葵は瞬きもできず、キングフィッシャーを注視した。



 そっと、摘まむように餌を咥える。葵の口から安堵の息が漏れた。キングフィッシャーは何度も餌を噛み、地面に落としてからようやく食べ始めた。



 残りの餌も掌から与えた。それから投げ捨てた餌を回収し、同じ分だけ作って重連に指示された規定量を食べさせる。



 食餌を終えて嘴を拭いてやると、突然、キングフィッシャーが絶叫した。



 驚いたが、躰に異常がないのは調教後の点検で分かっている。満足したから出ていけという意味だ。葵も自分の昼食を食べに行き、それが済むとキングフィッシャーの傍、しかしキングフィッシャーから見えない位置で三砂が描いたノートに眼を通した。



「クィー、クィー」



 ふと、キングフィッシャーの甘えるような声が聞こえた。葵は急いで遊び道具を取りに行き、キングフィッシャーが満足するまで一時間以上遊んだ。



 午後の仕事が再開してからも度々作業を中断してキングフィッシャーの面倒を見て、夜は夜で寝ようと思えば嘴で突かれて起こされ、少し距離を取れば絶叫して起こされる。他の龍の睡眠を邪魔するわけにもいかず、葵は夜通しでキングフィッシャーの相手をした。



 ようやくキングフィッシャーが寝たのは深夜に入ってからで、葵は気絶するように眠りに落ちた。起きたのはその三時間後、夜も明けるか明けないかといった頃に仕事が始まり、気怠い躰と寝ぼけた頭に鞭打って動き出す。



 三砂が倒れるのも無理はなかった。キングフィッシャーが入厩してから短い期間とはいえ、しっかり大学に通いつつ相手をしていたのだ。それに引き換え、葵はまだ数日で大学にも通ってない。この程度でへこたれて良いわけがない。



 甘えて頭を擦り付けてくるキングフィッシャーに構いながら、龍専用の体重計に一緒に乗る。予め葵の体重は引いてあった。



「……悪くない」



 体重計の表示された数字を見て、重連が呟く。それからキングフィッシャーの胸辺りに手を伸ばし、眼を瞑って触診する。



「……良い」



 嬉しい言葉だ。重連が手を下すと、葵も同じ部分を触ってみる。



 触るのは胸にある竜骨と呼ばれる骨の下部だ。重連のように熟練した人間はそれだけで龍の体調が分かるらしいが、葵には分からない。しかし依然は固くなっていた筋肉は柔らかく解れている。これは龍の体調が良く、さらにリラックスできている状態なのだという。



 レースは明日だ。



 あと一日気合を入れて過ごせば、無事に親次にキングフィッシャーを渡せる。きっと良いレースをしてくれる。



「……龍の単位は分かるか?」



 不意に、重連が訊ねてきた。



「騎、ですよね。馬偏の」



「何故、頭でも羽でもないか、分かるか」



 言われてみればおかしな話だ。騎といえば、騎馬武者などを数える時の単位だ。普通に考えれば龍の単位は鳥と同じ羽か、馬などの大型動物と同じ頭、もしくは龍専用の単位があっても良い。



「飼われた龍はな、人を乗せずに飛ぶのは禁じられている」



「え?」



 つまり、龍は自由気ままに空を飛ぶのを禁じられている。



「放牧に出た時は?」



「心休まる暇はない。調教が気晴らしの運動になるぐらいで、龍房に閉じ込められたままだ。競翔龍は人が乗っているのが前提だ。だからこそ、単位は騎になる」



 経済動物。



 その言葉が葵の頭に浮かんだ。競龍の始まりが絶滅寸前の龍の保護から始まったのは聞いている。その巨躯からくる危険性を考えれば、龍だけで自由気ままに飛ばす許可が下りないのは理解できる。龍の飛行能力を考えれば、地球上で安全な土地を用意するのは不可能だろう。



 全ては龍を守る為だ。龍の絶滅を避ける為なら、龍に不自由させるしかない。滅ぶよりは不自由な思いだろうが生き延びたほうが良い。だから、仕方ない。



 理屈は理解できる。葵には解決しようがなく、現状を見るに権力を持つ大人たちですらどうしようもない事だ。最後は結局、消去法のどちらがマシかという結論に落ち着くしかない。



 葵はキングフィッシャーを龍房に連れて帰り、龍房に鍵を掛ける時になって手を止めた。



 母は何も知らないのだろうか。



 龍は危険な生物だ。しかしそれ以上に、可哀そうな生物だ。葵は今になってようやく分かったが、ずっと前から競龍に反対している母がそれを知らないのだろうか。



 そんなわけがない。



 競龍に携わっている人たちの意見は何度も聞いている筈だ。競龍を廃止すれば多くの龍が死に絶え、関係者も職を失う。それを分かっていながら、どうして競龍に反対する。母はそんな無茶苦茶な人なのか。



 疑問を覚えながら龍房に鍵を掛ける。



 そういえば、しばらく前に母が一萬田厩舎を訪ねてきた。あれは一体、何をしに来たのか。母と重連の表情を思い返すと、揉めていたわけではなさそうだ。



 要件は勿論、葵の事だろう。それで揉めていなかったという事は、ただ様子を見に来ただけなのか。心配して来たのか。



「……心配、か」



 葵はキングフィッシャーを見つめた。片肢で立ってリラックスして、何故か嘴を開けて固まっている。時折首を傾げ、天井や地面を見て、やっぱり嘴は開けっ放しで硬直する。



 こんな子供みたいなキングフィッシャーも、他の龍と同じく不自由な生き方を生涯強いられている。可哀そうだと思う。でも、逃がすわけにはいかない。関係者は勿論、人を襲えば被害者が出て、当のキングフィッシャーは処分されるし、今更自然に出たところで生き延びられるかも分からない。



 結局、今の生活しかないのだろう。



 厩務員は競翔龍を万全の状態でレースに送り出し、帰ってきてからは存分に労わってやる。結局、できるのはそれだけだ。心配してもそれ以上は何一つできない。



 まるで、親と子だ。



 家を飛び出してから、母とはまともに話していない。それより前からも、授業料を出してもらっているのに碌に大学の講義を受けていない。



「このままで……良いわけないよね」



 キングフィッシャーのレースは明日。親次にキングフィッシャーの手綱を渡せば、後は見ているだけしかできない。しかし間違いなく、その時が厩務員の集大成だ。



 葵はスマホを手に取り、母に電話を掛けた。

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