第22話 最後の足掻き



 友治は諦めるに諦められなかった。



 朝倉が八百長を中止するとは限らない。引くも地獄進むも地獄、それなら進むしかない。友治は朝になってようやく仮眠をとり、午前の厩舎仕事が終わる頃に起床して扇山競龍場に向かった。そこで競龍記者として取材をしつつ、朝倉の情報を集める。



 分かったのは、今日も朝倉は龍主の犬童と共に接待を行うという事だった。



 それも、成松や伊地知を始めとした怪しい面々ばかりで、成松などは午前の調教もそこそこに訪ねてきた朝倉と長い間話し合っていたという。明らかに、八百長関係の接待だ。



 続行か中止か、果たしてどちらだ。悩んでいると、朝倉から電話が掛かってきた。



「次は調教師の成松だ。今から来い」



 それから場所を言い、電話は直ぐに切れた。落ち着き払った堂々とした声音だった。



 続行するから離脱しようとした成松を脅すのか、中止するから不穏分子の成松を襲うのか。分からないが、疑われないよう実行するしかない。友治はいつもの料亭近くのパーキングエリアに車を停め、眩しい日光をバイザーで遮って寝たふりをして監視する。



 窓ガラスが、正反対の方向から叩かれた。違法駐車ではないから文句を言われる筋合いはない。友治は眠りから覚めたような演技をして、叩いた人物に眼を向けた。



 遠藤。



 飛び上がる。心臓が一気に早鐘を打つ。いや、大丈夫だ、落ち着け。今は味方だ。それでも友治は恐る恐る、車の窓を半分だけ開けた。



「よう、仕事中止のお知らせだ」



 友治は窓の開閉ボタンに指を置いたまま、疑問を尋ねた。



「……仕事って?」



「成松だ。あいつにも話を通して襲われた事にしてやった。もう罪を重ねなくて良いぞ」



 恐怖しかなかった。悪の権化が、慈悲深い警官のようなセリフを吐いている。



「……どういう事ですか」



 遠藤は車の屋根に肘を乗せた。



「サービスだよ。磐梯山競龍場で八百長が発覚したのは知ってるだろ? これでこっちのリスクが跳ね上がった。なんで俺は報酬貰って下りた。危険な橋は渡らない主義でな」



 聞き逃せない一言があった。



「俺はって事は?」



 言って後悔する。友治は八百長について知らない、そういう建前だ。しかし、遠藤はにやりと笑った。



「良かったな、朝倉は八百長を続行するつもりだ。上手く使えよ」



 分からない。遠藤は何故、そんな事を言ってくる。また別の罠に嵌めようとしているのではないか。そう思う反面、甘い蜜を吸ってしまいたいという欲望が湧いてくる。



「なんで、教えてくれるんですか」



「サービスって言ったろ。朝倉とは今回だけの関係だ。対してお前は、また付き合うかもしれない。それならお前に愛想良くするのは当然だろ?」



 誰が遠藤に金を借りるか。地獄を見ると分かっているのに、わざわざ金を借りる馬鹿ではない。しかし関係をこじらせないよう、友治は形だけの礼を言った。



「また会おうな」



 そう言って、悪魔は去っていった。



 動く時は今だ。



 悪魔は性格は悪いが合理的、だからこそ信じられる。友治は急いでホテルに帰った。スマホを片手に仕事用のノートPCを起動させる。



 他の競龍場で八百長が発覚した今、八百長にタダ乗りできなくなった。だからと言って指を咥えて見ていれば、借金と犯罪歴だけが残ってしまう。



 ならば残るのは、もう一つの八百長だ。



 朝倉の八百長を利用して、表向きの本命龍とも裏向きの本命龍とも違う、第三の龍に勝たせる。これなら動く金も小さく発覚のリスクは低くなり、しかし大金を稼げる。



 問題は、友治に八百長の伝手がない事だ。



 八百長に必要なのは金という圧倒的な権力を持つ龍主、日頃から龍に接する調教師や厩務員、直接龍に騎乗する騎手。最低でも内一つの協力は絶対に不可欠だ。



 だが、友治にそんな知り合いはいない。しかも出龍表が発表されたのは昨日、レースは明日に迫っていて時間がない。だが、僅かに希望はあった。



 戸次親次だ。



 幸運な事に、親次も当該レースに騎乗する。しかも親次は朝倉の接待を一度も受けておらず、八百長に関わっている可能性は低い。朝倉が注目度の高い親次を避けたのだろう。



 馬鹿な話だ。以前に親次を調べていたから知っている。親次ほど金に汚く、金の為なら何でもする人間はいない。この男なら、金を握らせれば八百長に引っ張り込める。



 最近では動かない左腕を除けば全快し、新たな騎乗スタイルを求めて試行錯誤している。その甲斐あってか成績も著しく上昇し、トップジョッキーの加来惟教に並ぼうとしていると専らの評判だ。



 勝てなくても良い。目論見通りレースを壊してくれれば十分だ。友治は親次に連絡を取ろうとして、不意に疑問を覚えて思い止まる。



 親次が朝倉に告げ口したらどうする。



 金に汚い親次ならやりかねない。朝倉にしても、平気で友治に犯罪行為や殺人未遂をさせる奴だ。待っているの粛清、その日の内に海に沈められるか山に埋められるか、それとも道路の一部になるか。



「……糞」



 想像すると躰が震えた。



 親次を第二の八百長に引き込めるだけの確実な根拠が必要だ。八百長までもう一日もない。それまでに可能な限り情報を集めて証拠を掴んでやる。



 ノートPCとスマホを両方使い、あちこちの記事に眼を通し関係者に連絡を取り、「ダイブ」の伝手を借りて調べ上げる。同僚には改心したのかとからかわれ、編集長の田北には期待され、それらの勘違いも利用してさらに取材の規模を押し広げる。



 電話中にはノートpCで親次のレースを一から見直し、少しでも多くの感覚を働かせる。昨日からまともに寝ていないのに眠気は全く感じない。ここが生きるか死ぬかの瀬戸際だ。眠ってなんかいられない。疲れたなんて言っていられない。



 それにしても、友治は改めて驚かされた。



 戸次親次の変わりようは異様だ。



 一年目はそつないという言葉に似合う騎乗で、地味で無難ではあるが龍によって乗り方を変えレースのペースにも柔軟に対応し、物足りなさはあるのものの将来の飛躍を予感させるには十分な印象と成績を残した。



 同期の角隈頼安が一年目からG1に勝利するなど歴史に残る華々しい成績を上げて陰に隠れてしまったが、業界人からは角隈頼安に僅差で続く、あるいは上と言う人間もいる程だった。騎乗依頼も少しずつ増え、信頼も勝ち得ていた。



 それが、二年目に激変した。



 友治も分かっていたが、たった一週間の間に豹変した親次の騎乗を見て、思わず電話越しの取材が疎かになり、動画に釘付けになった。



 危険、無謀、いかれてる、思い浮かぶのは同じよう言葉ばかりだ。



 普通、競龍で龍のポジションが動くのはコーナーから上りにかけてだ。落ち着いていた龍群がコーナーの旋回でばらけ、速度が落ちる上りでポジション争いを繰り広げる。下りは速度もぐんと増し、接触すれば墜落して大怪我あるいは死は免れない。故にポジション争いに敗れた騎手たちは躊躇して、抜き去る場合は少々のロスを度返ししても龍を外か上に持ち出す。



 しかし親次は、危険を恐れず騎乗龍を器用に操って、狭い隙間を突いて抜け出した。それは自殺行為であり、殺人未遂だ。昨年までのそつない秀才といった姿は欠片もなく。暴君のようにレースを支配していた。



 当然、事態を重く見た中央競龍会は騎乗停止処分を下した。しかし親次は騎乗停止が明けるや危険騎乗を行い、その度に処分を受ける。あまりに目の余る騎乗に有力龍主たちは親次への騎乗依頼を止め、零細の個人龍主の依頼ばかりになって騎乗龍の質は落ちに落ちた。それでも親次は勝ち続け、一年弱の期間で騎乗したのは三か月ながらも、トップジョッキーの年間勝数に迫る百勝に届くという、驚愕の成績を残した。



 そして、怪物が墜ちる時がきた。



 いつか来る必然の時だった。それまで風よけにしてきた大型龍を抜き去ろうと、親次は騎乗龍を傾けて狭い隙間に潜り込む。そこで、翼の先端が大型龍の腹に接触した。大型龍は体格もあって危なげなかったが、親次の騎乗する小型龍は簡単にバランスを崩した。錐揉み回転して墜落し、幸か不幸か命綱が外れて親次だけが地面に叩きつけられた。



 それは、熱狂の終わる時でもあった。



 危険だからこそ多くの注目が集まり、どんなに弱い龍でも勝たせるその腕には競龍ファン以外も沸き立った。友治も当時は親次の騎乗に興奮させられ、今見直しても全身の毛が逆立つような感覚になる。必然的に、熱狂終わらせた墜落レースに関連する記事は膨大で、友治は何度なく墜落シーンを見返した。



 初めは、その違和感が何なのか分からなかった。



 取材が実を結び電話をする時間が増え、PC操作は減っていき、レース動画もながら見が増えていく。しかし違和感はだんだん増していき、ついに友治はスマホを置いて親次の墜落レースに集中した。



 何度も見返した。特に接触からの墜落シーンは何十回と目を通し、スローでも再生してコマ送りで見返し、食い入るように眼を凝らした。



「あ……」



 ついに見つけた。



 鍵は、その墜落シーンに埋もれていた。

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