第19話 八百長
そうと決まったら当該レースがどれかを探ろう。手掛かりとなるのは八百長の方法だ。それは大きく分けて二つ、騎手か競翔龍への関与が存在する。
騎手については有力龍に乗る騎手に抑えるよう指示を出せば良く、競翔龍は龍の入れ替えからドーピング、他にはレース前に食餌や水を与えて体重を増やし飛翔能力を落とす、あるいは精神的に満足させて飛ぶ気をなくさせるなどが存在する。
まず、龍の入れ替えは不可能だ。競龍の黎明期ならいざ知らず、制度の整った現在では龍に埋め込まれた個体識別用のマイクロチップで簡単にバレてしまう。ドーピングも頻繁に行われる検査に引っかかり、とても現実的な案ではない。
そうなると八百長の方法は表に出にくく効果がある二つに絞られる。
一つは騎手が行う騎乗する有力龍を負けさせる事。一つは調教師や厩務員が、レース前に負けさせる予定の龍に多くの食餌や水を与え、体重を重くしたり精神的に満足させてパフォーマンスを落とさせる事。
そして肝となるのは、競龍に絶対の八百長が存在しない事だ。
騎手がいくら抑えても騎乗龍が勝つ事はある。食餌や水を多く与えても勝ち切る龍がいる。だからこそ、競龍に絶対の八百長は存在しない。
朝倉はできうる限りの手を打って来る。即ち、勝ちうる可能性のある騎手や龍、全てに手を伸ばし、盤石の態勢を整えて当該レースに臨む。
それが分かれば、まずは尾行だ。
友治は表向き競龍記者として本来の仕事である戸次親次について調べながら、扇山競龍場に朝倉が来るのを待った。厩舎の午前中の仕事が終わって一段落が着いた頃、朝倉は龍主と思われる老人と共に現れた。
その老人は犬童。友治が東京の駅で背中を押した龍主だった。
二人は犬童の持ち龍の下に行き、担当の厩務員と立ち話をする。それから調教師と言葉を交わして、三人で厩舎横の事務所に入っていった。
友治は近くの厩舎で取材をしつつ様子を伺い、念のため競龍場前にタクシーを呼んでおく。しばらくして朝倉と犬童が表に出てきた。二人はそのまま競龍場を後にして、それぞれの車に乗って別れる。
追うのは当然、朝倉だ。
用意していたタクシーに乗り、気まぐれな観光客を装って朝倉の乗る車を尾行した。着いたのは街と海が一望できる、市内で一番の大型リゾートホテルだ。
宿泊客は多く、施設内の温泉は宿泊客でなくとも利用できてまったくの部外者の友治でも目立たない。朝倉がエレベーターに乗ると、到着階を確かめてから友治も隣のエレベーターに乗ってその階に向かう。
着いた時には朝倉の姿はなかったが、朝倉がこのホテルに泊まっているのは間違いない。友治はまた一階に下り、受付で部屋を取った。それから街に行って変装の為の眼鏡や帽子、普段は着ない種類の服を買って戻り、チェックインした部屋の窓際から駐車場に停まる朝倉の車を監視しつつ、隙を見て車をレンタルしたりと着々と準備を進める。
朝倉は夜も更けた頃に動き出した。ホテルの明かりで華やかに照らされる駐車場から朝倉の車がひっそりと発進する。
友治は急いでレンタカーに乗り、遅れる事数分朝倉を追った。ホテルは見晴らしが良い分、街外れにあってどこに行くにも向かう先はしばらく同じだ。まもなく朝倉の車を発見し、間に何台か車を挟んで尾行を開始した。
やがて朝倉が車を停めたのは、友治が騎手を襲撃した飲み屋街だった。夜に温かい光を放つ料亭に朝倉が入っていく。友治は近くのパーキングエリアに車を停め、カメラを回しながら出入りする客の顔を確認する。
しばらく待っても、競龍関係者の姿はなかった。朝倉が最後に着いたらしい。さらに待つと、予想が当たって次々に競龍関係者が料亭から出てきた。
龍主の犬童、友治が財布を盗んだ若い騎手、他にも騎手や厩務員と思われる数人、比較的年齢層は若そうだ。朝倉が車に乗ってホテルに戻っていく。
友治は車を飛ばして先回りし、朝倉が泊っている階の突き当りの角に隠れ、スマホのカメラだけを廊下に向けた。帰ってきた朝倉が自分の部屋に入る。これで朝倉の宿泊場所は判明した。初動が分かれば尾行も楽になる。友治も自分の部屋に戻り、その日を終えた。
次の日からはずっと朝倉を尾行した。
朝倉は昼こそ屠殺業者らしく扇山競龍場の近くの山中にある牧場に足を運んだり、市内にある屠殺会社の事務所に顔を出していたが、夜は毎日何件もの接待を行っていた。
朝倉と一番多く共にしていたのは龍主の犬童だ。次に友治が財布を盗んだ若手騎手の伊地知、伊地知が所属する厩舎の調教師である成松が同程度で続く。
成松厩舎が八百長に関わっているのは間違いない。だが、それにしても朝倉の接待の数は尋常ではなかった。屠殺業者として扇山競龍場に深く関わっているのもあるが、扇山競龍協会の職員から騎手や調教師など、多くの人間と節操なく接触している。
隠ぺい工作だろうか。お陰で予想は困難を極めた。取材で得た情報や出龍表を睨み合って少しずつ絞っていき、それでも多くの候補が残る。無常にも時間は過ぎていき、朝倉から次の指示が来てしまった。
「次は伊地知だ。軽くで良い」
逆らう術はない。怖気づいた伊地知を脅して逃げられないようにしたいのか。八百長に実行日が迫っている証拠だ。
指示に従い深夜まで待って、いつもの飲み屋街近くに潜伏する。変装はばっちりだ。最近では夜でも蒸し暑さに汗が滲む。
伊地知が千鳥足で近づいてきた。友治は後ろから忍び寄り、果物ナイフで伊地知の腕を切った。浅い傷だ、致命傷には至らない。
冷静な思考に自分でもげんなりしつつ、友治は走って逃げた。飲み屋街は中央の道を外れれば狭い路地が行きかう。友治は数回道を曲がって人気がないのを確認すると、一息ついて変装を解いた。
「ダイブの……」
声。心臓が飛び上がる。振り返った。
「そう、蒲池さんだ」
えらく体格の良い中年の男が立っていた。夜にも電灯のように顔が赤い。手には飲みかけの缶ビールを持っている。友治を知っていたという事は競龍関係者か。友治の手には果物ナイフとカツラにメガネ、まずいところを見られた。
「物騒だねえ。それ使って何してたわけよ?」
答えられない。どう答えても裏目に出るだけだ。
「だんまりか。前に騎手が一人怪我したけど、蒲池さんがやったの?」
友治は果物ナイフを握り直す。飲み屋街を離れた深夜の路地、人気は全くない。喧噪もどこへやら辺りは静まり返っている。
「そう警戒すんなよ」
言って、中年の男は老化で弛んだ頬を震わせて笑った。
「朝倉の仲間だろ?」
何故、その名前が。果物ナイフを構える友治の手が下がる。安心させるように、中年の男はまた笑みを浮かべた。
「八百長だよ。その日はお手柔らかに頼むぜ」
この男も八百長に関わっているのか。こんな男がいた記憶はない。その体格の良さからして騎手なのは間違いない。それに四十歳を超えたベテランとくる。
まさか。
「……加来さんですか」
中年の男は喉の奥で笑い、缶ビールを一杯口にする。
「駄目だぞ、競龍記者なんだから覚えておけ。龍に乗らない日はいっつも飲んだくれてる酔いどれノリさんとは俺の事だぞ」
加来惟教。
二十年以上リーディングを取り続けているという扇山競龍場のトップ中のトップ、中央競龍にしか興味のない友治でも名前だけは知っている大人物だ。いくら貧乏な地方競龍といえども、加来ほどの騎手ともなればかなりの高級取りだ。だから八百長には関係ないと、一度顔を確認しただけで八百長から除外していた。
「……加来さんも、そうなんですか」
「どうかな。俺は勝ってくださいって言われて、当然って答えたら小遣い貰った。それだけだ」
腐ってるな。ふと、友治は思った。
ギャンブルとは興奮を味わう為のものだ。それには公平性が欠かせない。八百長なんてもっての他だ。それなのに、うだつの上がらない成松厩舎や若手の伊地知ならまだしも、中央競龍のトップと比べても劣らないと言われる加来惟教ですら、八百長に加担している。
「……金は十分にあるでしょう?」
「小銭に目がなくてね」
加来は鼻で笑う。それから、ため息交じりの笑いを漏らした。
「分ってものがある。自分に見合う場所で、自分の仕事をこなして小銭を稼ぐ。それが俺の分だ」
これが、トップジョッキーと言われる加来惟教か。さして高ぶっていたわけでもない友治の気分が急転直下で冷めてきた。
加来にも、同じくギャンブルを汚している自分自身にも嫌気が差す。早く帰ろう。貴重な情報が手に入った。それを使えば八百長の当該レースを探す地道な作業が一気に進展する。そして八百長に便乗して大金を稼ぎ、この行為からすっぱり手を引こう。
「その日は頑張ってください」
それだけ言って、友治は用意していたコンビニの袋に果物ナイフと変装道具を入れて歩き出す。そのすれ違いざま、加来が口を開いた。
「他所で八百長がバレたってな」
瞬時に振り替える。加来は背中越しに手を振って悠々と去っていく。
ブラフ、か。加来に声を掛けようとしたが、友治は確実な根拠を求めて編集長の田北に確認を取った。
「……分かったら掛け直す」
それだけ言って電話を切られた。時間が時間だ。いつ裏が取れるかは分からない。友治はホテルに戻り、加来の言葉が酔っ払いの妄言だと信じて八百長の当該レースを探した。
条件は四つ。龍主が犬童である競翔龍が二騎以上出翔する事、うち一騎が成松厩舎の所属龍で伊地知が騎乗し、かつ人気龍である事。さらに、加来が勝算のある龍に騎乗している事。探しやすいようにデータベースを作ってある。条件を変えれば少なくなった候補が簡単に表示される。
該当件数は一件。
八百長は、今週の二歳未勝利の長距戦で行われる。
扇山競龍場は地方らしくコースが小さく、この未勝利戦ではコーナーでの旋回を五回も行う。コーナーが多くなるほど龍を抑えてレースに負けさせるのも容易になり、直線も短くコーナーの影響が大きく出る。
まさに、八百長に持って来いの舞台だ。さらに予想される圧倒的一番人気は成松厩舎の龍で、騎乗するのも若手の伊地知だ。他の出翔龍も怪しい節のある騎手や厩舎がいくつかあり、これ以上の舞台はなかった。
「見つけた……」
素直には喜べなかった。他に八百長の候補がないか無意味に調べる。絶対にこれだという確信が持てた時になって、田北から電話が掛かってきた。
「本当だ」
最悪だ。
「磐梯山競龍場だ。前々から疑われていたが、今日の夜理事会が発表を決めた。明日には正式な発表がある」
他所の競龍場で八百長が発覚したとなれば、扇山競龍場の関係者は自分のところでも行われているのではないかと気を引き締め、ファンは少しでも怪しいレースがあれば即座に八百長を叫ぶだろう。ただでさえ朝倉の八百長で不審なオッズの動きがあるのに、そこに友治の金まで入ればどうなる。
「糞!」
電話を切る。スマホをベッドに叩きつける。八百長に便乗して大金を稼ぐ。全ては泡と消えた。
残ったのは、借金と犯罪歴だ。
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