幕間0.4話「ザラ」(後編)



 ※



 そうして、また数日時が過ぎ、少年は普通に立って歩けるようになるぐらいには回復していた。


 それを、ザラは残念そうな、複雑な顔で見ていた。治らなかったら、ずっと世話出来たのに、と言わんばかりに。


「聞きたかった、んだけど……。オレ、治して、よかった、の?」


 誰にも見せてはいけないと、母に言われていた筈なのに。


「あんなに苦しそうにして、死にそうな子を放っておける訳ないわ」


「………」


「じゃあ、私のお世話は終わりね。帰るから」


 そう言ってカクレガを出ようとしたザラを、少年は腕をつかんで引き留めた。


「どうしたの?」


「ザラ、ここ住みやすい、言ってた、よね?」


「ええ。私のボロなネグラよりは余程」


「なら、ここに一緒、に、住も……」


「え……」


 少年は不機嫌な顔でうつむいて、でもザラの腕を放さなかった。


「オレ、が、水、とか、食べ物、二人分、取って、くるから……


 ザラは隠れて、ここで待ってた方が、いい……」


「それって、私、もしかして求婚されてるの?」


「?分からない、けど。二人で住む、のが、きゅーこん?なら、そう」


「そうね、君、まだ小さすぎて分からないか……。でも、二人で住むのは、いいわね。楽しそう」


 笑ってザラは、承諾してくれた。


「じゃあ、私、最後に一回ねぐらに行ってくる。それ程大事な物はないけど、母が残してくれた物もあるから、取りに行ってくるわね」


「うん。オレ、も、水取り、行くよ……」


 ザラとはカクレガの前で別れた。


 少年は、水筒を持って久しぶりに噴水へ。


 今までは、ただ惰性で行っていた水汲みが、ザラが喜んでくれると思うと、その歩みも軽くなるような不思議な気分だった。




 久しぶりだったから、まだ思う様に走れないが、なんとか水は汲めた。


 途中で運よく、教会が配給をやっていた。パンを2つ貰えた。


 奇妙なぐらい幸先がいい。


 これからザラを二人でカクレガで暮らしていくのだ。


 オヤブンと二人で暮らしたのはどれぐらい前だっただろうか……。


 正直、余りに昔で、記憶がかすんでいてよく思出せないぐらい前だ。


 それでも、オヤブンには悪いが、こんなに胸がはずむような、いい気分ではなかった気がする。


 後は、鳥とかなにかを狩る仕掛けを作るか、気配を殺して狩るにはまだ体力が足りない感じがする。


 下水道は……しばらく行かない事にしよう。魔鼠、というのだけ避ければいい気もするのだが、正直あまり気分がよくない。縁起が悪い、とでも言っただろうか。


 ともかく、早くカクレガに戻ろう。もしかしたら、ザラが心配しているかもしれない。


 戻ると、ザラはまだなのか、誰も中にはいなかった。


 でも大丈夫。ザラは戻って来る。今までも、そしてこれからも。


 そう思う。それだけで、少年の心はなにかで満たされ、安心していられた。



 そして、ザラはその日カクレガに戻って来る事はなかった……



 ※



 翌朝、少年は、睡眠不足な浅い眠りから目覚める。


 ザラが帰ってくる事を願って、小さな物音一つで何度も目を覚まし、余り眠れなかったのだ。


 楽しい新生活の始まりと思ったのに、またいつもの……。


 少年は首を乱暴に振って、その嫌な考えを振り払った。


 ともかく、ザラがどうしたか、確認しなければならない。


 念の為に、お互いが出かける前に、ザラのねぐらの大体の位置は聞いている。


 少年は、刃の欠けたナイフもどき等、自分が持つ武器らしき物を全部、服の中に入れて隠し持つと、ザラのねぐらとおぼしき場所へ急いだ。


 その場は、少年が思っていたよりも、ずっとひどい事になっていた。


 道の端や物陰、おして恐らくは建物の中にもだろう、怪我人が山の様にいて、皆がその痛みに苦しみ、苦痛の悲鳴や、押し殺した鳴き声などで、阿鼻叫喚のるつぼと化していた。


 とりあえず、それらは無視して、ザラのねぐらにと入った。ほとんど何もない、中に泥棒が入ったとしても呆れて出て来てしまいそうな位なにもなかった。


 一体、ザラは何を取りに来たのだろうか?それともザラと一緒にどこかへ?


 少年はねぐらを出ると、怪我の比較的まともな男を見つけて話をする。


「おい、この怪我人の山は、なん、だ?それに、ザラ、何処、行った、んだ?」


 男は怪我に顔をゆがめて痛がりながらも話をしてくれた。


「例の、裏組織の人間が、ザラの事を確かめにやって来たんだ、大勢な。


 なにか大怪我をした奴がいるから、治癒術が出来る奴が急いで必要になったとかで、ここいらにいるほとんど全ての住人を、殴り、蹴り、逃げる者も捕まえて、みんなひどい目にあわされた……」


 そんな時にザラが戻って来てしまったのか。なんてタイミングの悪い……


「ザラは、あいつの父親と違って、金なぞ取らず、こっそり怪我人や病人を治していたんだ。


 だから、皆がザラの世話になっている。密告等する奴はいなかったが、こんな風に、奴らが見境もなく、暴力にうったえるとは、流石に思っていなかった……


 多分、誰かが痛みに耐えかねて、ザラの事を漏らしてしまったんだろう。


 しばらく見なかったザラが、この惨状に悲鳴をあげているのを見つけて、奴等は、ザラを連れていっちまったよ……。誰も、止められなかった……」


 男は泣いていた。怪我の苦痛でなく、今まで何度となく世話になったザラがさらわれるのを、みすみす目の前で見逃すことになってしまったのだ。


 情けなくて泣いているのだった。


「その、裏組織、どこ、ある、んだ?」


「な、何を……まさか、ザラを助けに行くつもりか?やめろ、お前のような幼いチビが行っても、何もなりゃあしない!殺されるか、捕まって奴隷商に売り飛ばされるのが関の山だ……」


 それでも少年がしつこく聞くと、男は渋々教えてくれた。


 まだスラムの中でも市民街に近い、建物の状態がマシな物の一つを、奴等はアジトとして使っているようだ。


 複数アジトのあるような、大きな組織でないのは助かった。


 それにしても、彼女はまるで母の遺言を守ってはいなかったようだ。


 ほとんど誰でも、礼も要求せずに治していた様だ。それもまた、ザラらしいと思うのだ。


 ともかく、急がなければ!


 ザラは、あいつ等に利用される位なら、自分を殺す、と言っていた。


 あれは本気の目だった。ザラにはいつでもそうなる覚悟があったのだ。


 早まった行動をザラがしてしまう前に、何とか助け出さなければ……!



 


 ※




 その建物には、当然の様に、入り口に見張りが二人、立っていた。


 どうすれば中に入れるだろうか?


 周辺の浮浪者に、わずかな水を与え、聞き込んだところ、建物には地下室のような物はなく、ボスや大事な物は上の方に隠すだろう、との事だ。


 何故そんな事を浮浪者が知っていたかの理由は簡単、前にそこに住んでいたのは彼等だからだ。


 何人かで共同で住み、生活していたのを、後から横入してきた裏組織の人間が、暴力で彼等を追い出し、今は我が物顔で使っている訳だ。


 困っていると、浮浪者達が手助けを提案してくれた。


 彼等の住処うぃ奪った憎っき相手に常々なにか仕返しをしたい、と考えていたようだ。


 そしてーーー


 浮浪者達が、すぐ近くの路地で騒ぎを起こし、気を取られた見張りがそちらへ確認に行く、わずかな時間で少年は駆け抜け、建物の中に侵入を果たした。


 スラムのほとんどの建物は、鍵が壊れるか、ドアその物が壊れるかしているので、そういう面で苦労しないのは助かる。


 なんでも、スラムが出来た経緯が、この辺一体に地震があった為なんだそうだ。(実際には、当時の魔王がこの近くに現れ、暴れた為だった)


 そんな訳で、どこの部屋でも大体覗けるのだが、そこかしこに人がいて、なかなか身動きが取れない。


 ともかく、上の階だ。情報ではボスもいて、大事な物はそちらに隠すと言う。


 別に、少年はこの組織をつぶすとか、ボスを殺すとか、そんな大それた事を考えてはいない。出来る訳もない。


 そもそも少年には逃げ足の脚力はあっても、腕力等あってなきが如し、だ。その辺の浮浪者にすら勝てないだろう。それが暴力主体の裏組織の人間相手なら、余計にかなう訳がない。


 なんとかザラを助け出して、とにかく逃げ帰れさえすれば、彼の勝ちだ。


 それにしても、彼は常に危険から逃げて来た。避けて来た。なのに、今自分は、危険の中に自分から飛び込んで、無茶をしている。


 逃げる事こそ生きる秘訣だったのに、まるで向こう見ずな自分の行動が少年自体不思議だったが、やめる気になれなかった。


 ザラを取り戻したい。その一心で、少年は余りにも危険な賭けをしていた。賭けているのは自分の命そのもの。それで足りるだろうか?


 狭い階段。もしそこで人に行き当たれば完全に詰む。


 少年は気配を消して、身を物陰に隠し、機会を待った。


 こうして自分を殺して、ただ静に周囲に同化していると、その内、他の生きてる者の気配、の様なものが感じられる。


 この建物の中にいる人間は皆、異様にギラギラと、殺気立った気配を放っている。


 これが暴力に生きる者のすさんだ気配、というものなのか。


 その中で、一つだけ、静かで暖かで、清らかさすら感じるものがある。上の方だ。


 そうか!これがザラの気配なんだ。ザラはまだ少なくとも生きている。


 どうにかして、彼女を助けたいが、気配、というのが感じ取れる様になると、ますますこの建物にいる者から見られず、気づかれずにザラに近づき、連れ出すのが難しい事が分かって来る。


 人が多過ぎるし、建物の通路、階段、そのほとんどが狭い。


 夜になるまで待った方が良かったのか?だがその時間までザラが生きている保証等ない。


 階段に人がいない。静かに、自分の気配を殺しながら、上へと上がった。


 狭い通路。行きついた一番端の部屋に、多分ザラがいる。


 だが、その部屋に、他に誰かいた。見張りだろうか?


 他の気配より余程落ち着いた、岩の様な気配だった。それがボスなのだとは、少年が気づくすべもなく、ただ近くに来れただけで、この先どうしたらいいか途方に暮れていた。



 ※



 その、少年が探し当てた部屋の中で、裏組織のボスと、ザラの間では膠着状態に陥っていた。


 ザラには裏組織に協力する気など微塵もなく、一応駄目人間だったが、父がこいつらに殺されている。


 そして、スラムの人間達を裏切り、奴隷商にくみする最低最悪な組織。


 誰もが皆全員腐っている。


 こんな奴等に利用される位なら死を選ぶ。その覚悟は出来ていた、筈だった。


 「一緒に住もう」と不器用に言ってくれた少年。ああ、なぜ自分はあの時、ねぐらなどに戻ってしまったのか。大して大事な物ではなかった。


 何か、新しい生活を始める踏ん切りをつけようとしていたのだろうか。


 こんな素晴らしい事が起きた日に、捕まってしまうなんて。


 あの子は絶対心配している。自分が戻らない、帰らない事があるのでは、と病的に恐れていた少年の顔が浮かぶ。あの子を安心させてあげたい!


 でも、こうして捕まってしまえば、女の細腕で逃げ出せる術もなく、首に動物の様に首輪をつけられ、鎖で部屋に繋がれている。どうにも逃げようがない。


 ならば、やはり死ぬより他に道はない。


 そのザラの様子を、この組織のボスは困惑した顔で、どうすればいいか思案していた。


 少しでも刺激すれば、この女は死んでしまう。


 暴力に通じた者のボスだからこそ分かる、直感の様な物。


 治癒術が、逆転した作用でも使用出来る事は、この女の醜い火傷の顔を見れば分かる。


 あれで、今まで自分達をあざむいて来たのだ。身体の内部に同じ様な事が出来るなら、呆気なく死んでしまうだろう。


 だが、組織の長として、治癒術が使える存在は、喉から手が出る程欲しい。


 しかし、女を説得するすべがない。女は金も食物も水も、こちらが出した物には見向きもしない。商売相手である奴隷商の様に、奴隷紋、というもので言う事を聞かせる事が出来ればよかったのだが、もしこの女を奴隷商に引き合わせたら、奴隷商は自分達からこの女を取り上げ、自分達の商品にしてしまうだろう。


 それだけ、取引相手でも、向こうは信用の出来るような甘い奴等ではないのだ。


 けれどこのままでは、せっかく手に入れた治癒術士が餓死してしまう。


 何故か、死ぬ事に迷い、実行に移さない今の内に交渉材料でも見つかればいいのだが……


 その時、外の廊下がなにか騒がしい音がして、ドアを開けてみると、中で待機していた男達が、小さな少年を囲い、蹴る、殴るの暴行を加えていた。


「おい、なんだ、そのガキは。どこから迷い込んで来た?」


「そ、それが、こちらもよく分からないんでさあ。出入口には見張りがいたし、猫だの動物一匹入る隙間もなかった筈なんですがね」


 男達は首をひねりながらも、いい遊び相手が出来たとばかりに少年をもてあそんでいた。


「売り物になるかもしれん、遊ぶのは程々にしておけ」


 ボスは言い捨てて、戻ろうとすると


「ザラ、返、せ……」


 なにか必死に声を出している。


「なんだ、あのガキはいったい……」


 部屋の中に戻ると、治癒術士の女が、真っ青な顔をして、信じられないものを見た顔で、こちらを凝視していた。いや、ボスではなく、廊下のガキを気にしているのだ。


「そうか、おまえ、ザラって名前だったのか。小さな騎士がお出迎えとは、大した女だ」


 適当に言ってみると、どうやら大当たりだったようだ。女……ザラは狂った様に暴れだした。


「やめて!あの子に手出ししないで!この鬼、悪魔!」


 どう暴れようと、首輪や鎖は外せない。


 これこそが、交渉材料だ!


「おい、あいつを、助けたくはないのか?」


 ザラの動きが止まった。


「このままだと、あんな小さなガキ、あいつらのおもちゃにされ、すぐ死んじまうぞ!」


「駄目!そんなの駄目!」


「なら、契約だ。お前は死ぬな。生きて、お前のその術を、俺達の為に使うんだ!」


「な……嫌よ、そんな!お前たちなんかに!」


「ほう、そうか。だがそうすると、もうあのガキはすぐに死ぬな。腕に一本でもいでくるか?

足がいいか?首だと死んじまうぞ!」


 廊下から、うめき声や、ガキを容赦なく殴打する男達のげひた声が聞こえる。


「水もやる、食物もやる。それ以外は何もせんし、させん。だから、この組織の治癒術士になるんだ!そうしたら、あのガキは生きたまま、解放してやる」


「う、ううぅぅぅぅぅ………」


 うめくしか出来ない、弱い女、だが、死のうという感じはしない。ガキの命の保証が出来ないからだ!


「わ、わかった、わかったから、あの子にひどい事するのはやめて!」


「よし、契約成立だ。もしこの先、お前が死んだりしたら、あのガキを絶対に殺して後をおわせてやるからな、忘れるな!」


 ボスは言って、その部屋を乱暴に出ていった。


「あ、ああぁぁあっぁあっぁ~~~~!」


 ザラは泣いた。泣くしか出来なかった。それでもあの子に生きて欲しかった!



 ※



 少年は、ボロボロになって道に放り出された。

 

 結局、まだ本調子ではなかったのだ。目まいがし、うずくまっている所を男達に見つかり、それから先はよく覚えていない。


 とにかく殴られ蹴られ、突き飛ばされ、まだ生きているのが不思議なくらいだった。


 体中、痛まない所などない。最悪の気分だ。ザラを助けられもせず、このザマ……


 途中で何故か、ザラの泣き声を聞いた気がした。あれは、気のせいだったのだろうか……


 痛む身体を、何とか転がして、道の端、隅に到達する。


 そこで、また自分を殺し、ただただ周囲と同化する様に……。


「あれ、あのガキもういない?チッ、まだ動けたのか……」


「ああん?あんなでも、奴隷商は引き取ったかもしれんのに、何やってんだ、このアホ!」


「す、すいやせん……」


 男は周囲をくまなく歩き、ガキを探すが、浮浪者以外の者を見つける事は出来なかった。


「チッ、あのガキ、今度見かけたらぶっ殺してやる……」


 荒れた男は建物の中に戻り、交代の見張りの男達が、入り口に二人立つ。


 やがて夕暮れになり、そして夜になり、そして夜中になる。


 小さな影が、夜の闇に紛れ、いずこかへと去っていくのは、誰にも気づかれなかった……。


「オ、レは、なんの……力、も……な…い……。なにも、でき、や……しな…………」


 少年の無力を嘆く声は、何処にも届かず、ただその歩み行く道の先には、暗闇しかないと思われた……。

 

          

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