第7話 側仕えのお買い物、そして貴族を救出
今日は久々の休暇をもらったことで気持ちも晴れやかだ。
怖い貴族社会だったけど、どうにか無事に潜り抜けられているので今日はゆっくりと過ごすつもりだ。
といっても、溜まっている家事でそれどころでもないのだが。
部屋の布団を天日干しをして、衣服を近くの井戸の近くで洗濯する。
「おはようさん!」
「ひゃあ!」
後ろから元気よく背中を叩かれて思わず変な声が出た。
振り向くと近所に住まう面倒見の良いおばさんだった。
子供が五人もいるのにそれに負けないほどのエネルギッシュな女性だ。
子供は下の子も見習いで仕事に出ており、子供に食事を食べさせた後に洗濯に来るのだ。
「マチルダさん、おはようございます」
私は立ち上がって挨拶をする。
村から出てきたばかりの私に色々と教えてくれるのでかなり助かっていた。
彼女は今日も元気そうだ。
「うんうん、ずっと心配してたのよ。あんた、ほとんど日中に帰ってこないじゃない。そんなお貴族様のお世話って大変なのかい?」
心配そうに聞いてくる彼女にどこまで話すべきか悩んだ。
いきなり屋敷を襲おうとする輩に、舞踏会で毒針を放つ刺客、そしてお城で剣を抜こうとする貴族がいたと言っても信じられないかもしれない。
それに余計な心配させるのもどうかと思うので、私は話を逸らした。
「人が足りていないだけですよ。それよりもフェーの面倒を見て下さってありがとうございます。ご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「はは、あんなお利口なガキンチョならいくらでも面倒を見るさね。うちのワンパク小僧どもの何倍も賢いよ」
思わず褒められことに対して自分のことのように嬉しくなった。
私が言うと親バカと言われそうだが、私と違って本当に頭が良い。
大病を患っている弟はほとんど家の中で過ごしているため、村では村長に文字や計算を習っていた。
さらには高価なはずの本をサリチルから一冊だけ貸してもらったので、それを読ませてどんどん賢くなっている。
本の内容を教えてくれるが、何を言っているのかさっぱりわからないくらいだ。
本当は村で生活を送ることが一番だったのだが、ここ最近では薬の効きも悪くなっていたので、最新の医療を受けられる都市で働けたことは幸運だった。
だがそれでも症状を抑える程度しか効果がなく、前借りでもらった賃金も生活費以外はほとんど残らなかった。
「あまり無茶するんじゃないよ。あんたが倒れたら、あの子も一緒に死ぬしかないんだからね」
「もちろんです。貴族のゴタゴタで死ぬつもりはないですから」
一番大事なことは弟と幸せに生きていくこと。
そのために私が倒れるわけにはいかない。
どんどん気持ちが燃え上がる私を見て、マチルダも安心したようだ。
「そうかい。あとは旦那を早く見つけることだよ」
「恋人もいないのに早いですよ」
またこのやり取りが始まったことで私は少しばかり焦っていた。
いつもこの後の話は決まっている。
「何言ってんだい! あんたみたい美人はすぐにたくさんの男からアピールがあるよ。いっそのことそのお貴族様を誘惑して、正妻の座を勝ち取って玉の輿に乗るのはどうだい!」
やっぱり始まった。
マチルダの声が地声が大きいせいで、周りにも丸聞こえなのだ。
私は笑って誤魔化していると、どんどん噂が好きなおばさんたちが集まってきた。
「おや、エステルちゃん! 玉の輿に乗ったんだって!」
「白馬に乗った王子様とお城で色々あったんでしょ」
「やっぱりお城はイケメンばっかりかい?」
どこで私がお城に行ったことを知ったのか、彼女たちはどんどん質問をしてくる。
私が答えなくても、みんなで盛り上がっていくので、洗濯が終わったらすぐに離れる。
こういう想像力豊かなところが、彼女たちの元気の源なのだろう。
「結婚か……」
年齢的には周りでも子供を持つ年齢だ。
幸いにも歳が近い同世代の女性がいないので、そういったことを意識して慌てることがないのが救いだ。
ただやはり願望はあったりする。
温かな家庭を築いて、弟とも仲良くしてくれる男性とお付き合いをしたいと思う。
ただ確実に言えるのは、どんなに玉の輿でもレーシュと結婚だけは嫌なことだ。
洗濯物を背負いながら階段を上って二階に借りたお家へと入る。
「ただいまー、すぐに朝食の支度するね」
「おかえり!」
中から元気な声が聞こえてきた。
ベッドの上で本を読んでいたようで、布団の上に置かれていた。
名前はフェニルだ。
まだ十歳になったばかりで、人懐っこい可愛いらしい顔のため、大人の女性から好かれる。
病気によって、その日の体調がよく変わるが、今日は顔色が良いので一日中元気そうだ。
「すぐにご飯の支度をするからね。それまでパンを食べてて」
堅いパンとミルクをテーブルに置いて置く。
長い髪を紐で結んで後ろに一本でまとめて調理に取り掛かる。
途中まで作っておいたスープに火を通して、さらに野菜を煮込んでいく。
火を通している間に包んであったチーズの二切れを木皿に乗せる。
温まったスープの入った鍋をテーブルに持っていって鍋敷きの上に置いた。
「さて、食べようか」
堅いパンをミルクに付けてほぐしていく。
こうしないととてもじゃないと食べられない。
ただ堅いパンは食べ応えがあるので、私は結構好きだった。
野菜スープも美味しくできており、塩漬けしたお肉もよく味が染み込んでいる。
「何だか落ち着いてご飯なんて久しぶりね。マチルダさんもお利口だったって褒めてたよ」
「お利口も何もただ寝ていただけだからね」
「十分よ」
フェニルは笑って謙遜をする。
そのじっとしていることができないのが子供なのだ。
前よりも元気になった様子に見え、美味しそうにスープを飲む姿は微笑ましい。
私もまたスープで体を温めようと手を伸ばすと、今度はフェニルがこちらをジーッと見ていた。
目が輝いているところを見ると、どうやら何か私に聞きたいことがあるようだ。
「どうしたの?」
「ねえ、ねえ。お貴族様のお家ってどうだった?」
貴族の屋敷で働くことは平民ではほとんどあり得ない。
偶然にもサリチルの紹介があったことで勤務できているが、やはり物珍しい職業なので、先程のおばさま方から話のネタにされる。
フェニルも貴族のお屋敷にはどんなものがあるのか知りたいのだ。
「何だか高そうな壺や絵があったよ。あと玄関がすごーく広いの」
「へえ、やっぱりそうなんだ!」
「でも使用人が少ないから掃除がタイヘン」
「お貴族様の家なのに人がいないの?」
使用人はサリチルと私しかいないけど心配されそうなので黙っていることにした。
その他にも何か面白いことがあったかを思い出してみる。
少しでも気晴らしになればそれでいい。
「そういえば馬車にも乗ったよ。村からこっちに来た時に乗ったものよりずーーっと快適なの」
「いいなー、僕も乗ってみたいな」
「ふふ、もっと稼げるようになったら乗せてあげるね」
「本当!?」
元気よく喜ぶ姿に頑張る気力が湧いてくる。
フェニルは一人で遊びにいくことができないので、外への好奇心が人一番強い。
いつか二人で旅行でもしたいが、今のままだと難しい。
食事を終えてから食器を片して、フェニルに温かいフードを着せて体を冷やさないようにさせる。
弟との一緒のお出かけは私も楽しみにしていた。
私にとってはただの買い物だが、フェニルは都市を回るのを心待ちにしていたのでうずうずさせている。
弟の歩く速度に合わせてゆっくりと階段を下りていく。
おんぶした方が早いのだが、前にしようとしたら怒られたので、男の子の考えとは難しいものだ。
体力がないフェニルは階段を下りるだけで重労働であるが、元気な時にはなるべく外へ連れ出さないと病気にも負けやすくなる。
「頑張ったね。ほら、一緒に行こう」
手を差し出して手を繋ごうとしたが、首を大きく横に振られた。
どうやら手を繋ぐのも嫌らしい。
「今日は調子がいいから大丈夫だよ」
「そう、ならキツかったら教えてね」
自立心が生まれ始めているのかもしれないので、ここは成長と思って見守ろう。
フェニルは市場までの道を覚えているようで感心した。
「よく覚えてるね。一回しか見てないのに」
「お姉ちゃんの代わりに覚えないと、いつまで経っても家に帰れないじゃん」
「頼りになることで」
口が達者な弟に肩を竦めた。
さてさてと買い置きができる食材を探す。
あまり家にいるわけではないので、小腹が空いた時にかじれる物があると役に立つ。
干物等はそれに適しているので、パンと一緒に買おうかと思って値段を見る目をひん剥かせる。
「っげ、前より高い!」
農村では珍しかった干物をフェニルも気に入っていたので今日も買おうとしたのだが、金額が中銅貨七枚となっておりおやつにしては少し割高になっていた。
「ごめんな、最近は海の漁も厳しいみたいでね」
店員のおじさんが申し訳なさそうに謝る。
不漁はどうしても運に左右されるので、誰のせいというわけでもない。
ただやはり金額が上がるというのは困りものだ。
「お姉ちゃん、僕はなくても大丈夫だよ?」
フェニルが心配そうに下から覗き込んでくる。
薬代が高いことで家計に負担をかけていることに責任を感じているのだろう。
ただそれはこの子のせいではないので、私は笑顔で心配ないことを伝える。
「子供がお金の心配なんてしなくていいの。ただ値上がりしたことで驚いただけだから。おじさん、干物を二つください」
私はお金を支払って買い物かごに入れる。
まだまだ買い物もあるのでどんどん食材を買っていく。
「フェー?」
遠くを見ているので私もその視線の先を見た。
同じくらいの歳の男の子たちが元気よく走っていく。
村では小さな子供たちを見守る側だったが、一緒に外で遊ぶことはなかった。
一人くらい友達がいると彼も心細さがなくなるのだろうけど、外にあまり出ないこの子ではそれすら難しい。
フェニルの視線が別の方向へ移った。
「なんだろう、あっちが騒がしいよ?」
指差す方向を見ると、確かに賑わっている。
特に女性の声がよく聞こえてきたので、特売でもあるのかもと興味が湧いた。
だがそれにしては若い女性が多く、私は目を凝らして見てみることにした。
女性たちの中心には白い髪を持つラウルの姿が見えた。
──この前の神官様!?
私は思わずフードを被って顔を隠した。
急いでいたとはいえ、貴族の彼に一撃を当てて気絶させてしまったのだ。
なるべく気付かれないようにしたが、もしバレたらどうなるかわかったものではないです。
ただあまりにも不自然な挙動をした私にフェニルは不審な目を向けていた。
「どうしたのお姉ちゃん?」
「しっ──! あのお貴族様は、前に私が気絶させてしまったから見つかったらまずいの」
「何があったら貴族様を気絶させるの!?」
改めて考えるとそんなことを言われたら私もびっくりするだろうから、フェニルが驚くのも無理はない。
しかし私もまさかそれをしないといけないことになるとは思ってなかったのだ。
運がいいことに周りに人が多いおかげで、私がここにいることはバレないだろう。
「でもすごい人気だね。平民とか関係なく話してるし」
「そういえばそうね。普通のお貴族様って結構性格が破綻しているのに」
「お姉ちゃん、あまりお貴族様の敵を増やさないようにね」
フェニルから小言をもらったので、私も発言を慎もうと思う。
あまりここにいるといつバレるか分からないので離れようとした。
今度は別の悲鳴が聞こえたので振り返ると、馬車が暴れながら進んでいることに気が付く。
周りでも同じくその挙動のおかしさに気が付き悲鳴がどんどん大きくなっていく。
一体何事かと思ったらすぐにその理由がわかった。
──車輪が壊れている!?
片側の前輪と後輪がどちらともなくなっており、バランスを失ったことで人を乗せるキャビンが引きずられるようになっていた。
驚いた馬が暴れ始めているようで、御者も制御が効かなくなっている。
御者は投げ出されてしまい、馬は手綱を失い我を失っていた。
中には貴族の女性と側仕えが恐怖から目を瞑って震えていた。
「フェー、ここにいなさい!」
「う、うん」
足に力を入れて、馬車へと走り出す。
このままでは中に入っている者たちは無事では済まない。
走る途中に腰に剣を差している冒険者がいたのでそれを抜き取った。
「ちょっと借りる!」
「えっ……あれ、剣がない!?」
説明している時間がないため構わず馬車に飛びついた。
そしてすぐさま剣を一閃させて扉を壊す。
バラバラになった扉を見たせいで、一瞬だが恐怖と驚きで思考が止まっているようだ。
時間がないため、用が終わって邪魔になった剣を後方へ投げた。
先程の持ち主の前へ返ったはずなので、後はこの二人を救出すれば問題ない。
「あ、あなたは──キャッ!」
突然の侵入者に驚くが時間がないため説明は後回しだ。
二人を有無を言わさずに両手で担いだ。
「口を閉じててください」
暴れそうになったが、私の意図を理解したのか黙って口を結ぶ。
貴族をこのように雑な運びをしていいのか分からないが、今は緊急事態なので仕方がない。
馬車から抜け出して、地面へ着地すると両足に衝撃がやってきた。
──きつい!
流石に女性とはいえ大人二人を持ったまま着地するのは体に堪える。
しかし二人は無事に救出できたのでこれくらいの痛みは我慢できる。
すぐに抱き抱えた二人を下ろして、いつもの地面に近づけて安心させた。
二人とも立つことはなくへたりこんでおり、命の危機にあったことで放心状態だった。
少しばかり側仕えの方が回復が早く、私へのお礼を言おうとしていた。
「あ、ありがと──!?」
お礼の途中で顔が歪み始めた。
まるで侮辱するように私を上から下まで値踏みされた。
ツギハギだらけの服を見て、平民に対しての嫌悪感が出たのだろう。
助けたのに失礼だと思ったが、サリチルからもあまり貴族に深く入り込むなと言われていた。
別にお礼を言われるためにやったわけではないので、私は立ち上がってこの場を去ろうとすると、ドレスを着たもう一人の令嬢から袖を掴まれた。
「助けてくださってありがとうございます」
側仕えと違って、彼女は特に嫌悪している様子はなく、澄んだ翡翠の目を向けた後に頭を下げた。
驚く光景に私だけではなく、側仕えも慌てだして、その手を離そうとする。
「お嬢様、お手が汚れてしまいます」
パチンっ、と側仕えの手を跳ね除けた。
力強い瞳を自分の侍従に向けて、厳しく叱咤する。
「愚か者! 助けてくれた者にそのような言葉を向けるでない!」
「は、はい! 大変御無礼を!」
慌てた側仕えも謝りだしてそれ以降は口をつぐむ。
年齢も近く見え、お淑やかな女性に見えたが、中身は芯が通っているようだった。
再度目と同じ翡翠の髪を垂らして謝罪をした。
「うちの者が失礼しました」
「いいえ! ご無事で何よりです。私はこれで失礼──」
「待って! お礼をさせていただけないかしら。命を助けてもらって何もしないなんてことはできません」
貴族のお礼には心惹かれるが、これ以上関わるとそれ以上の悪い何かが返ってきそうな気がした。
「礼には及びません。それでは──」
「そんな──! 今はこれだけでも!」
だが彼女はそれでは気が済まないと短剣を渡した。
装飾の多い剣であり、護身用かもしく儀式の武器に見える。
どちらにしてもそこらへんの安物ナイフとか違って、売ればかなりのお金になるのは間違いない。
さらにもっと多くの褒美を与えると言い出しそうなので、どうやって断ろうと考えていると、こちらにラウルとかいう神官が駆け寄ってきた。
「そこの方々、大丈夫──その髪は……ネフライト嬢ですか?」
目立つ髪の彼女に視線が向かっているうちに私は急いでフードを被り直した。
ここで顔がバレて、この前の件で何か言われるのを防ぐ。
「ええ、貴方はラウル様かしら。本当にお白い髪を持ちなのですね」
お互いに知っているようだ。
しかしあまり仲はよろしくないようで、少し逼迫した空気になる。
私はラウルに顔を見られるわけにはいかないので背中を向けた。
「急用がありますのでこれで失礼します!」
「ちょ、ちょっとお待ちに──」
ネフライトと呼ばれた令嬢から引き留められかけたが、それよりも私が離れる方が早かった。
ラウルも彼女を放っておくことができずに、私を追いかけてくることもなかった。
人混みに紛れて逃げていき、フェニルと一緒に家へと急いで帰るのだった。
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