勘違いから始まる剣聖側仕えと没落貴族の成り上がりーー側仕えが強いことはそんなにおかしいことなのでしょうかーー

まさかの

第1話 側仕えと最低な主人

 もし時間を操れたら、私は時間によって異なる選択をしたに違いない。

 明日ならご主人様との出会いを無かったことに、一つの季節分先なら何も変えず、そして一つ歳を重ねていたら、もっと前に逢いに行っただろう


~~☆☆~~


 

 ──私が本当にこの屋敷に仕えるの!?



 目の前の貴族の館の大きさに思わず緊張してしまった。

 農民の私がまさかこんな場所で働けるなんて夢にも思わなかった。


 私が今日ここで使用人として働くのだ。


 手に持った木札を知らずうちに強く握っている事に気が付き、大きく深呼吸をする。

 もう一度見渡すと、花壇や入り口は綺麗に整えられており、よく分からない置物も美観に貢献している気がしたが、ただ凄そうという言葉しか出てこない。


 ふと、こちらをじっと見る門番に気付き、怪しいものではないと慌てて木札を渡した。

 木札を見るとすぐに把握してくれたのか、しばらく待つように言われて、別の近衛兵に命令して誰かを呼びに行った。



 ──あの給金って嘘じゃないよね?



 偶然助けた人の紹介で今日からここで働けるようになったが、あまりにも話が美味すぎて、今更ながら騙されたのではないかと思えてきた。

 これまでも貴族に騙された話というのは農村にまで伝わっている。

 しかしそれでも来てしまうのには理由がある。


 月の給金、小金貨一枚。


 都市に住む人間の平均賃金が、大銀貨一枚ほどだ。

 大銀貨十枚と同じ価値のある小金貨は、農民から出てきたばかりの私にはかなりの大金だ。

 三年に一度出るか出ないかの凶悪な魔物を倒したときに貰えた給金と同じ額を毎月支給されるとなれば、やりたくないことでも頑張ってみようと思うものだ。


 自分の服装をもう一度見直す。

 上はつぎはぎだらけの服に、足首まで伸びるスカートは赤と緑が分かれている。

 自分が持っている服で汚くないのはこれしかなく、あとは魔物を狩る用の鎧しかない。

 農家で作物の田植えや牧場の手伝いしかしないため、おしゃれなんぞしたことがなかった。

 失礼になるのは承知だが、農民にあまり期待はしていないだろう……そう願おう。



「ようこそお越しくださいました」



 黒いタキシードを着こなす初老の男性が、にこやかな顔でこちらを歓迎する。

 筆頭側仕えという役職と聞いていたがよく分からなかった。おそらくこの屋敷の使用人で一番えらいのだろう。

 前にも会ったのに、それでも緊張してしまった。


「こ、こちぃらこそぉ!」


 あまりにも緊張しすぎて舌が回らない。

 相手は特に気にしていないようで、私のバッグを持ち上げた。


「重いでしょうからこちらはお持ちしますね」


 紳士的な対応にほっこりとした。

 優しい人だな、と言葉に甘えようとすると、近衛兵の一人が血相を変えて近寄ってきた。


「サリチル様がそのような雑用など! わたしが責任を持って運ばせていただきます!」

「えっ、えっ!?」


 近衛兵のあまりの謝りように、私はもしかするとかなり位の高い人に荷物持ちをさせようとしたのかと、顔から血の気が引いた。

 考えるよりも早く、私もサリチルから手荷物を奪い返した。


「──えっ?」


 サリチルと近衛兵はこちらを驚いてみた。

 もしかしたら急に奪ったことで戸惑ったのだろう。

 何をやっても裏目に出てしまいそうだが、誤魔化すように荷物を何度も上げ下げを繰り返した。


「こ、これくらい私が持ちます! これでも鍛えてますので!」


 はは、と無理矢理笑って誤魔化す。

 サリチルは自分の手と私の荷物を交互に見て呟いた。


「いつの間に……さすがですね」


 何に感心したのかは分からなかったが、特に怒った様子もなく私はホッと胸を撫で下ろす。

 貴族社会では、貴族の気まぐれで生き死にが決まるらしいので、次回以降は気をつけようと心に決めた。


「すごい──!」


 玄関へ入ると私はたまらず感嘆の声を上げた。

 綺麗に清掃されていることはもちろんだが、大きな額縁に入れられた絵や高価そうな壺などが至る所に設置されており、私と住む世界が違うことを認識させるには十分だった。

 思わず見惚れていた私にサリチルから心配そうな声が聞こえてきた。


「大丈夫ですか?」

「はいッ!? いえ、そのぉ、想像以上にすごい部屋で……」



 田舎者丸出しで恥ずかしくなり、私は笑って誤魔化した。

 しかし気になることが──。



「もっと貴族様のお屋敷でしたらたくさんの方を雇っていると思ったのですが……」



 奥の部屋に気配が一つあるくらいで、この大きな屋敷に主人以外いないのだ。

 私が言った言葉にサリチルは困った顔をしていた。



「そうですね。主人であるレーシュ様は中級貴族ですので、あまり財力に余裕があるわけでもありませんので、人を雇うのも大変でして……」

「そうなのですか?」


 ──給金、小金貨一枚って嘘じゃないよね?


 またもや先ほど考えた疑惑が浮上してきた。

 ただの農民の娘にかなり弾んでくれると思ったが、使用人が少ないような貴族の懐具合で払い続けてもらえるのだろうか。


 ──でもそうなると弟の医療費が払えなくなる……!


 都市に移り住んだことで家賃も馬鹿にならない。

 また村に戻ることに考えても、弟にかなりの負担を強いてしまう。

 悪い方向へと想像が膨らんでいくが、サリチルは察して否定してくれた。


「ご安心ください。エステルさんの賃金はしっかり保証しますので」

「はは、顔に出てましたか?」

「はい、エステルさんは正直な方ですから」


 顔が赤くなるのが分かった。

 あまりお金、お金と言いたくはないがそれでも生活が掛かっているのだ。



「それにこの前まではしっかり使用人もいたのですよ」

「え?」


 隅々まで清掃されているのはサリチル一人で頑張ったわけではないようだ。

 そうすると考えられるのは、私を雇ったことでみんなを解雇したのではないだろうか!?

 サーっと血の気が引いていった。

 もしかすると私は知らない間に色々な人の恨みを買っているのかもしれない。

 私の苦悩を知らずか、サリチルはスタスタと二階へ向かう。


「少し時間がなくなってきましたね。レーシュ様は多忙ですので、挨拶は早めに終わらせましょう」

「はい!」


 とりあえず悩んでも仕方がないので、私は頭を空っぽにして後ろをついていく。

 しかし気になるのは、壁に傷が至るところについているところだ。


 ──レーシュ様ってお家で稽古をするのかな?


 緊張していることで色々なことに気が付いているのだろうと私は軽く考える程度だった。

 ニ階の突き当たりが執務室になっており、レーシュは基本的に領主から任せられた業務をこなすらしい。


「何があっても黙って耐えてくださいね」

「──えッ?」


 不吉な言葉を突然伝えられ、聞き返す前にサリチルがノックを二回する。


「入れ」


 中から若い男性の声が聞こえてきた。

 許可をもらったことで扉を開けると同時に強風が吹く。

 逸らした目をまた中へと向けると、中央の机ではなく窓の縁で黒い髪を持つ青年が優雅にティーカップを持って、午後の紅茶を楽しんでいた。

 まるで王子様のように空の風景を楽しんでいる姿は、思わず見惚れてしまうほどだ。


「この世は美しい。特に今日のような晴れ晴れとした一日はどんな魔法でも再現することはできない」


 私ではなく外の景色を眺めながら、彼は独り言を呟いていた。

 いや、彼の意識は私へと注がれているのが気配で分かるので、おそらくは私に向かって喋っているつもりなんだろう。



「君はどういったことに美しさを感じるかい?」



 突然私に話を振られてドキッとした。

 美しさとはどういう意味なのかを一生懸命考える。

 農民の私が考える美しさなのか、貴族が感じる美しさなのか。

 あまりそういったことが分からないためどう答えるのが正解か分からない。

 とりあえず当たり障りのない言葉を呟く。


「目の前に広がるお花を見た時でしょうか?」



 自分の悲しいほどの陳腐な答えに悲しくなり思わず目を伏せてしまう。

 何だか求められている質問の答えになっていない気がするが、普段目にするのは植物と動物くらいなので、私では到底答えられない質問なのだろう。

 しかし予期せぬ答えが返ってくる。



「いい答えだ。やはり美しい者は美しい答えを持つ私の見る目に狂いはなかった」



 ガバッと顔を上げるとレーシュは特に気にしていないと紅茶をゆっくり口に運んだ。

 そしてティーカップを窓に置いて、立ち上がってから机まで歩いていく。

 飾っている薔薇を一輪取り、優雅に薔薇の香りを楽しみながらこちらへ近づいてくる。

 ただ歩いているだけなのに、その足取りは教養を感じさせ、その動きに釘付けになってしまった。

 ハッとなる頃には、目の前までやってきて膝を付いていた。



「受け取ってくれたまえ。愛しの姫君ティターニア



 白い歯をこちらへ向けて、優しい笑顔で初勤務の私を迎えてくれた。

 これまでの貴族の印象を覆すほどの手厚いお出迎えに何だか心が温かくなっていく。

 この職場で私は上手くやっていけると思えてきた。

 私が薔薇を受け取ると、レーシュは目を開けて初めて目が合った。

 歳が近くとも、これまでに様々な困難を乗り越えてきた特有の気配を感じた。

 野心のある力強い目が私を捉えた時に、目が急激に揺れ始めた。

 まるで時間が止まったかのように二人は見つめ合う。

 時を動かすきっかけを作ったのはレーシュであった。



「だれだ……この田舎娘は──!?」

「──はい?」



 先ほどとは打って変わって存外な言葉遣いをされた。

 もしかすると貴族では礼儀正しいのかもしれないと思ったが、田舎娘という言葉を相手に向けることがあるだろうか。

 固まっている私をよそにレーシュはサリチルに駆け寄っていった。



「サリチル君、今日は可憐な少女が側仕えとしてやってくると言ってなかったかい?」

「左様でございます」

「そうか、そうか。では私は勘違いしているのだろう。この農家の田んぼで虫と戯れているような貧相な娘はもしかすると道を間違ってきたのだろう。側仕えとは本来貴族の令嬢しかなれないものだからね」



 あまりの物言いにどんどん顔が引き攣っていくのがわかる。

 この貴族のボンボンは自分で雇っといて私を馬鹿にしているのだ。

 だが腐っても貴族なため、平民である私は怒りを抑えて自分を必死に抑える。

 サリチルはチラッと私を見て、再度レーシュへ紹介をする。


「いいえ、彼女こそが今日から貴方様の側仕えとなります」

「──ふふッ、フハハハハは!」



 頭がおかしくなったかのように突然笑い出した。

 困惑する私をよそに、ひとしきり笑った後に自分を納得させるように何度も頷く。



「サリチル、もうすぐ舞踏会があるな?」

「はい、領主主催の冬の舞踏会ですね。それがいかが致しましたか?」

「あそこに呼べるのは、貴族として生まれた麗しき妖精とも言うべき女の側仕えだけだ。お前が参加できないということは、俺の補佐はこの馬糞の上にいそうなブラウニーがすることになるな」

「ぶ、ブラウニー!?」



 例えがそもそも馬鹿にしている。

 一体どんな育ちをすれば、これほど滑らかに相手の悪口が言えるのだ。

 平民でも似たようなジョークか悪口を言うが、貴族も同じらしいことがわかった。

 わなわなと震える私を全く意に介しない。


「そうなりますね」

「それなら! ただでさえ俺の立場は危うい段階で、こんな品性のカケラもない女を連れて行けばどうなるか分かっているだろ!」

「仕方がありません。今のレーシュ様の側に仕えたい貴族令嬢も小金貨一枚を支払うだけの財力もないのですから」

「うぐっ!?」



 図星を刺されたのか先ほどまでの勢いも失ってしまった。

 しかし小金貨を払う財力もないと言っていたが、私の賃金はどういった理屈で付けられたのだろうか。

 この様子だとレーシュは資産管理を全てサリチルに委任しているのだろう。

 まるで世界の終わりかのように気分を落ち込ませて、机に手を置いてどうにか体を支えている。


「くそぉ、この猿のように呆けている娘なんて俺が哀れすぎる。誰だ採用を許可したやつ」

「貴方様ですよ。しっかり経歴をお見せしたはずです。ただ女性の側仕えと聞いただけで舞い上がってしまい、資料の方は全く見てなかったようですがね。護衛も出来る側仕えなんて上級貴族の騎士しかあり得ませんよ」



 体を震わせてところを見ると思い当たることがあるようで、先ほどまでの芝居掛かった演技に夢中で忘れていたのだろう。

 しかし流石に私を侮辱ばかりするので怒りが抑えられなくなってきた。



「さっきから人を雇ってといてその物言い、だからお貴族様もここで働きたくないんじゃないですか?」



 とうとう私の口も止められずに出てしまった。

 サリチルは手を額に抑えており、せっかく紹介してもらったことに罪悪感が出てきた。

 レーシュはピクッと反応して私へと指を向けて、すぐに外へその指を振った。


「この生意気な田舎娘よりもっといい娘を探してこい!」

「無理です。流石にこれから探しても舞踏会には間に合いません」



 サリチルは冷静に進言した。

 そして私も一言言ってやらねば気が済まない。


「誰が田舎娘ですか! 私にはれっきとした──」

「君以外にいないだろ、ど田舎のいも助が! 鏡がなくともそこらへんの水溜りで自分を客観視してみろ! 水溜りの泥で化粧もできて便利だな!」


 私の言葉を遮ってレーシュは指を私に向けて詰め寄ってくる。

 あまりの気迫に思わず後退り、人差し指を私に向けながら追従してきた。

 お互いに睨みつけ合い、ふんっ、と顔を背け合う。

 初日の印象は最悪、これが主従として私とこの最低な男との初めての出会いであった。

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