第1幕 死ねない狐―5



「式神が、破られたみたい……」


 物陰に腰かける凜が呟いた。その戸惑うような様子から、妖の姿を確認できなかったのだと、虎鉄は悟った。


 普段現れる妖は力も弱く、知能も低い。式神が破られることはあっても、姿を見せずに無力化することなど到底できないはずだ。


 ――――となるとやはりこれは……


 落ちていた鉄パイプに付呪の祓魔式を描き、急ごしらえの武器を作っていた虎鉄は凜に歩み寄り、自分の考えを共有する。


「こうなると、力の強い妖って可能性が高そうだ……ありえない話だけど」


「もしそうなら、どうすればいいんだろう……」


「さっき言ったろ? 何かあれば俺が守る。だから……」


 不安そうな表情を浮かべる凜に虎鉄は笑いかけた。

 いまだ大きくなるばかりの、途轍もない異物感を押し隠して。


「……ありがとう……そ、そうだ! とにかくもう一度式神を放って――――」


 その言葉が発された直後だった。

 凜が再度陣を描こうとしたその瞬間、



「――――――――っが!?」



 虎鉄の心臓に、突如として強烈な痛みが走った。

 痛い。血液が沸騰していると錯覚するまでに、熱い。

 視界が赤靄あかもやに覆われ、息ができない。

 内臓が外側から剥がれ落ちるような、強烈な不快感が襲い来る。

 そして尚も肥大化する、どうしようもない、――――

 鼓動が加速する。ありえない速さで脈動する全身の血管。

 脳が警鐘を鳴らす。

 痛い。痛い、痛い……

 心臓が、心が――――――――壊れる。



「――――っ! 虎鉄っ!!」



 気づいた時には、凜が虎鉄を自分の体ごと突き飛ばしていた。

 意識が現実に引き戻されて行く。


 その瞬間、先程まで身を置いていた物陰が、粉々に吹き飛んだ。





「―――――はぁっ―――くそっ」


 一体何が起きたのか分からない。心臓の痛みは跡形もなく消え去り、地面にぶつけた肩の痛みが嫌に際立つ。不足していた酸素が急激に取り込まれ、視界が点滅する。


 数秒経った後、ようやく虎鉄の思考が回復した。

 凜に押し倒されたのか?どうして?

 訳の分からないまま体制を整えると、



『見つ、ケ、タ』



 目の前で、巨躯の怪物が虎鉄を見下ろしていた。


 肌は赤黒い。体はあまりに大きく、張り裂けんばかりに筋肉が隆起りゅうきした怪物。

 不気味に輝く赤い月と同じ色、血のような濃霧をあたりに振りまいている。


 鉄塊と表現するしかない巨大な斧を持ち、鼻の無い顔には、醜く歪んだ顎と、背筋を凍り付かせる程におぞましい真っ黒な独眼が直接張り付いている。


 そして、その直上、陰気を帯びたが―――― 


「お、鬼……なのか!?」


「そんな――――どうしてこんな所にいるの!?」




 鬼。妖の一種だ。


 遥か昔大量に表れ、大勢の人を貪り喰い、村を破壊し、悪逆の限りを尽くしたと言う。

 鬼が出た後の場所は血すら残らず、跡形もなくなった平野のみが残ることから、『餓鬼道がきどうに落ちた』と例えられ、人々を恐れさせていたらしい――――


 書物で見た知識が虎鉄の頭の中で巡り、一つの言葉だけが浮かんでくる。


 ――――ありえない!


 現代に生きる妖は強い力を持たない。科学の発展や宗教の希薄化などに阻害され、呪力を溜め込むことができないと考えられているからだ。それ故に現代の妖は殆どが意思を持たない程の、残滓の様な存在であるはずなのだから。


「虎鉄っ! 狼狽うろたえちゃだめっ!」


 凜の強い喝で、虎鉄は我に返った。

 何故遥か昔の妖がここに? そもそも何故俺に妖が見える? 見鬼の才が今発現したのか? その理由は? 


 ――――いまは考えている場合じゃない!


 無駄な思考を捨て去り振り払い、虎鉄は手に持った鉄パイプに向けて呪文を叫んだ。


急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!》


「頼む、凜!」


 急造の刀剣に呪力を宿される。やはり、今まで見ることさえ出来なかった呪力の流れを手元に感じることが出来る。

 

 虎鉄の掛け声と同時に、凜が生み出した式神が空を裂いた。


《奴を押さえろっ!》


 先程考えた、急ごしらえの作戦。凜の式神で動きを止め、虎鉄の鉄パイプで切る。

 虎鉄は付加術式しか使えないが、体内の呪力を半ば直接流し込むことが出来る。威力だけは確かなはずだ。虎鉄は式神に続き切り込める様、構えをとった。


 凜の号令に従い、祓魔式を記した紙片が巨躯の怪物の周りに纏わりついた。

 式神達は目にも止まらぬ速さで飛翔し、鬼に迫る。淡白く光る呪力の網が宙を旋回し、呪力の牢に鬼を捉えたかのように見えた、その瞬間――――


『見ツ。ケ、タァ!』


 鬼がその腕力を持ってして最大限の力を込めて鉄塊を振り回すと、あたりを囲っていた式神は白い光の帯と共に跡形もなく消し飛んだ。


 途轍もない、恐怖。それを体現したかの様な鬼の独眼が、舐める様にこちらを見据えている。


「凜! もう一度式神を!」


 呆けてしまっていた凜に、大声で叫んだ。


「くっ!? こ、このっ!! 《急急如律――――》」


 そして再度凜が呪文を唱えようとした次の瞬間、虎鉄の目の前にいた筈の鬼は突如として消えた。


 違う。速い。恐ろしい程に。

 急激な加速にピントが合わない。


 鬼はその巨躯に見合わぬ速度で、凜に飛び掛かり、鉄塊を振るった。



「うぁ」



 とてつもない衝撃波が短い呻き声と共に生まれ、凜の体が宙に吹き飛ばされた。


 そして月よりも赤い血が、湿った音と共に虎鉄の頬に飛び散った。


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