リアルに死にかけた日の話し

@Yomuhima

第1話

死にかけた日の事

私は死にかけた事がある。

始めは事故ではなく病で。

8歳の冬始めの事だったと記憶している。

身体が怠いと言うのは経験を持って理解するもので、病に気が付かないうちは、思わぬ様に動けない事に私は腹が立って仕方なかった。


両親の人間性にかなり問題があって数年前に父母は離婚して私達姉妹は人格がましな方の母親に引き取られ母の実家で生活していた。

祖父母は健在で、子育てに参加していたが、子育てのスタイルは前時代的な農家のもので、無意味な暴力は無かったが子供に人権と発言権は無かった。


その日も4キロの上り坂を歩いて学校から帰り着いた私は、灯油ストーブに当たる祖父母に太って顔が赤くてコロコロと太ましくえらく可愛いと褒められた、いつもは割と無関心で用事を言いつける事があっても面と向かって会話する事は無いのに構ってくれた、しかし内容が気に入らない。ダイエットブームの最中、太いは侮辱する言葉であった。大人になった今は価値観の違いを理解したが、誰からも返り見られなくテレビで世の中を学んだ私は野猿と同じぐらい道理を知らなかった。から立場の違いを理解出来なかった。


身体の不調もあり私はキレ散らかして奇声を発したが祖父母の発言は面と向かっての会話では無かったらしく黙殺され、不貞腐れた私は畳まれる事の無い自分の万年床に横になって寝た。


朝起きたら、身体は動かず意識はふわふわとして、布団の中で母に声をかけて学校を休むと告げた。予定通りに事が運ばなくてキレた母から乱暴に熱を計られ、ズル休みして恥ずかい子明日は学校に行かせるからなど色々と罵声を浴びせられた気がするが、私は微睡むのに忙しくて、いつもは怒った母が怖くて心臓が縮み上がるのにやんわりと眠りに包まれて気にしなかった。


お昼になってふと目が覚めた、天井がせまる様に感じてグニャと目の前が気持ち悪い、息を吸えば空気が痛くていつもは布団を被って寝ると喉と肺がザラザラするから絶対嫌なのに、冷たい呼吸に耐え切れなくて鼻まで布団をかけて目を閉じた。

昼過ぎに祖母が冷めたインスタントラーメンを3分の一ほどお椀に注いで持ってきて来てくれたけれど、身体が動かないし食欲も無い中で無理に少し食べようとして出来なかった。いつもは私の為に食事を持って来てくれるなんて無いから食べたかった。


食べかけでまた少し寝ていたら、母が帰って来て祖母と話している気配を感じた。

脱力してグニャグニャの私を毛布で丸めて、親戚から貰った赤くて小さい中古車にのせ母と祖母は大きな病院に向かった。

母が私だけとお出かけしてくれるのが嬉しくて嬉しくて私は、回らない頭でジョークを言えばこの怒った顔の彼女も笑うのでは無いと考えパンダがパンだ、と言う覚えてたてのアニメのジョークを力なく後部座席で寝そべりながら言った。

やはり黙殺された。自分一人でひっそり笑った。


そこから意識はぶつ切れでコインパークを探したり、運ばれたり、次に覚醒したのは寝台に横になって点滴を打たれる時だった、手足にクリップがいつの間にか止められていて、私はその状況で一生懸命にまわりの大人達に話しかけた気がする。


寝て起きたら、1人だった、どの様な処置がされたのか分からないが、見知らぬ薄暗い個室で点滴に繋がれて私は泣いた。

暫くして、母が何かを待って現れた大人なのに泣き顔で、もう少し遅かったら死んでたって医者に怒られたと、ぐずぐず私に訴えてくるのを私は母ちゃんのせいじゃ無いよと拙い言葉で慰めた。でも明日は学校に行かすんだよね思いながら。でも暫く入院すると聞いて私はとても喜んだ。学校は嫌いだし、家も嫌いだった。


そこから半年入院した後成人まで問題無く育ったが、最近身体が思う様に動かない事が増えた、平均的な寿命にはかなり早く、若者と呼ぶには無理がある人生で一番長い中年とかオッサンおばさんの時期に、あの日の様に微睡みながら死の縁に転がって行けないかと思う。困難に出会うたびにあの時、祖母と母がうっかり私を見落としてくれていたら良かったのにと思うほど死は私に優しかった。

私の死にかけた日の思い出。



私が20歳の時のことだ、私は20歳には死のうと人生設計していて怠惰に生きていた。凄く何事も表面上は楽しそうに取り組んでいたけれど、これがどのように役に立つとか、将来的に有利だから覚えようとかは無く、流れるだけの生活で。家族は愛が無い人ではいと理解してきたけれど、この人たちは敵では無いけれど見方でもないと理解していた。ひたすらに取り繕う事に必死で何のためにとか本質まで理解が及ばなかった。今思えばもったいない青春の使い方をしたものだが、当時あれが精一杯だったからやり直してもきっと同じだろう。


さて、誕生日は過ぎ、成人式が近くなり私は色々考えて運に任せる事にした。


事故死に見えるのがいい、転落死も考えたが、片付けが大変だろう。その当時一気飲み強要が社会的問題で急性アルコール中毒で死ぬ新成人を守ろうとチラシやCMが巷に溢れていたので、あやかる事にした。

大丈夫親族にアルコール強い人間は居ない。


お酒の事など分からないから一気飲みのイメージで安い発泡酒を6缶買う。

スルメイカも買う。インスタント焼きそばも買い、用意は完璧。

インスタント麺をセットする、イカを開ける。

さて、一気!むせる、飲めない何これ喉が拒否してくる。

私はえずきながら、我慢して飲む、目からは涙鼻から発泡酒。1缶飲んで頭痛目眩が来て座っていれなくなってズルズルと倒れ込む。

死ぬ気で吐き気を抑える死のうとしてるから、涙が床に染みてゆくほどダラダラ流れて、気がつけば寝ていた。

寒い、寒さで目が覚める。目が覚めて頭痛がして部屋がスルメとインスタント焼きそばと酒臭くてとにかく臭い。

ノロノロ起きてコートを着込み、窓を開ける。

そっか死ねないのか、そして苦しいのか、拒否された死に拒否された仕方ない。もう少しだけ死ぬ為に生きよう。


23の時だった。

仕事にも慣れず、人との距離も掴めず、何もかも嫌になって一年引きこもった。何もしなかったし誰にも何も言われ無かった。食事をギリギリまで取らずに眠り続ける。1日20時間を眠り、悪夢を繰り返す。

偶に友達から連絡がありいそいそ用意して普通を取り繕い帰ってくれば疲労困憊。

意味なく泣いてみたり、腕を噛んでみたり。

無意味な時を刻む。

早く早く消えてしまいたい、これでは駄目だと、命の電話にかけてみて、挫折する。ただ聞くだけが私の仕事なのでこちらに問いかけや意見を求める事をやめて下さいと言われる。マジか。それならまだ表面的な友人にかける方がいくらかましだろう。

命の電話を否定はしないけれども私には何の意味も無く、一般的な世の中の自殺したい人間はただ聞くだけで落ち着くのが当たり前なのかと驚いた。こんな所でも私は落ちこぼれなのか。

私は寄り添って欲しいのではい、ここに私が居るよと確認したかっただけなのだけれど。


首を吊る紐を探した、古い農家だから桐の箪笥がある。ほぼ開けられる事のない其れは亡くなった曽祖母の日常着が納められて放置されている。その中から着物用の腰紐を一つ取り出して自室のシングルのカーテンレールにかけた。


何度も何度も椅子に登って降りた。寒くも無いのに蒼白な手を見る。繰り返す内に季節が巡って冬になった。


出先で見たテレビで、女性を泥酔させて道に放置して凍死させた犯人を捕まえたと言っていた。場所は同県内。そうからここでも凍死出来るのか。


貯めた睡眠薬をガリガリ噛んで飲む。

天気予報で大寒波が来るので注意を呼びかけている日を選んだ。十錠ワンシート飲んだ時点で吐きそうになる。オーバドーズしたい訳じゃ無いので、充分だろう。眠る前に窓を開ける。服を脱いでタンクトップとボクサーパンツになる。

じっとして待つと動けなくなって来た。

睡眠薬の眠りは嫌いだ、優しくないし気持ち悪い。胎児の様に丸まって震える、寒い苦痛皮膚が痛い、寂しい寂しい寒いは寂しい。何か何か何か。手に触れたのは使い古したぼろぼろの毛布、其れを引き寄せて縋って引き摺られる様な暗い底に落ちた。

結果は私が今ここに居ることからお分かりだと思う。起きた普通に起きた。やはり室内は凄い。衣食住はやばい発明なのだと思った。

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